第5話 混沌の軍勢の真実

『混沌の軍勢の様子を見に行きたい、ですか』


『そうそう、やっぱり実物を見ないとわからないこともあるしね』


 その話題が出たのは、リタさんから話を聞いていったん自宅に戻った後のことだった。

 秩序の神の願いを叶えたいのはやまやまだったが、それを実現するには問題があった。


『都市から外に出るなら、城門から出るにせよ城壁を乗り越えるにせよ、見張りの《守護者》たちに見つかります。

 軍の指令でもない限り、そこで止められますけど……。

 もちろん、秩序の神が神々のまとめ役として復活したと喧伝すれば、その行いを止められる者などいませんが』


『うーん。私が蘇ったと表に出すのはちょっと待ってくれないかな』


『……疑問を発することをお許しください。秩序の神が蘇られたことが明らかになれば、この城塞都市の人間全てが歓喜の涙を流し、あなた様のために動きます。

 なぜお隠しになるのでしょうか』


『……ごめんね。私もまだ今の状況についてどう動くか考え中なんだ。

 今の世界を調べて、まとまったら改めてどうするか話すよ』


『……深遠なお考えを理解できず、不敬をお許しください』


『いいよいいよ。それにそんなに固くならなくていいってば。

 ……さてアルくん。君のクラスは《聖騎士》だったね。S級の凄いクラス』


『恐縮です』


聖騎士は今の軍では平均的なランクであるS級クラスであり、クラスの能力としては、優れた近接戦闘能力と、神聖乗騎召喚による機動能力、そして簡単な治癒魔法があった。


『S級が平均的って、一人あたりに授けられる加護がそれだけ増えるほど人口が減ってるんだなあ……』


『あれ、何かおっしゃいましたか?』


『ううん。何も。でもその聖騎士のクラス、隠密能力はないよね?』


『ううっ、申し訳ありません……』


『責めてないってば。……でもそれじゃあ、アル君にはクラスチェンジしてもらおうかな』


『えっ、でもクラスチェンジは仕える神を変えなければできないはず……』


『クラスチェンジと言っても一時的なもの……というより、切り替え式かな。

 私も蘇りたてとはいえ秩序の神だからね。

 アル君のクラスをいくつか用意して、場合によって切り替えることくらいできるよ。

 もっとも、今用意できるのは元から持ってた《聖騎士》と……うん、これとそれにしよう』


 *


 僕は城壁を軽々と乗り越え、都市の外へと飛び出した。

 見張りの《守護者》たちに見つかるかびくびくしていたが、秩序の神の授けてくださった《幽霊騎士》のクラスの力は、驚くべきものがあった。

 装備も含めた身体の透明化と無音の高速移動。隠密系クラスが《吟遊詩人》の歌になることは少なく、評価は難しかったが、それでも平均的なS級クラスより上なのは間違いがなかった。

 

『透明化できても本物の幽霊と違って、物理攻撃もちゃんと当たるから油断しないでね』


『はいっ』


 危ない危ない。油断しそうになった心を引き締め、足早に都市を離れた。

 

 しばらく進むと、日差しや土の匂いが強くなってきた。

 混沌の軍勢の領域に入った証拠だ。

 

『これからどうしましょうか。混沌の軍勢の拠点なら、一つはこの間の出撃で潰せなかったものがわかっていますが。

 侵入しますか?』


『侵入はなし。混沌の軍勢にも隠密を見破れるクラスがいないとも限らない』


 そうだ。混沌の軍勢の持つクラスは、通常は我々が文明の神々から授けられたものとは比べ物にならないほど弱いものだが、それでもまれに強力なクラスを授けられた精鋭が存在する。決して油断してはならない。


『そこでもう用意していたもう一つのクラスの出番です。それは、《神の眼》』



 *


 混沌の軍勢の拠点を見下ろす丘の上、そこで僕は木陰に身を隠して観察をしていた。

 《神の眼》の力は偉大だった。このクラスの力がなければ、混沌の軍勢の拠点など距離が遠すぎて豆粒ほどにも見えなかっただろう。


『アル君、アル君、どんな感じ? いや、私にも君の眼を通して見えてるけど、君の感想を教えて欲しいな』


『そうですね……混沌の軍勢が野蛮にも土を掘ってますけど、あれが農業というものなんでしょうか』


『そうだね。それも手慣れた動きで、洗練された集団作業だ。《農民》や《農場主》などのクラスが連携してるみたいだね』


 《農民》、《農場主》、それは聞いたことのないクラスだった。

 

『非戦闘系クラスだからね。名前通り農業関係の効率がよくなるよ。

 あ、家畜も育ててるね。あれはニワトリかな。

 家の中では料理もしてるね。おいしくな~れの魔法で微弱だけど料理にステータス増加の効果が出てる』


『くっ、混沌め。生きた肉を食らうというのか。邪悪な!』


『いや、人間の趣味に口出しする気はないけど、あれはあれでありで。

 生命を犠牲にして生きることを否定しちゃいけないよ』

 

『ですが大地の神と美の神はおっしゃいました。

 クリエイトフードの魔法によって人間は生命を犠牲にして生きる宿命から解き放たれたと』


『……それは間違いじゃない。だけど半分だけ間違ってる。

 クリエイトフードはそこまで万能じゃない。

 仮に文明の神々を信じる人間が混沌の軍勢に勝利し、数を増やして繁栄しようとしても破綻する。

 大地の神も、この地に生きる全ての人間に糧を与えられるほど力は大きくない。

 クリエイトフードだけで人は生きていけないんだ』

 

『そんな、神は万能なはず……』


『神だって万能じゃないよ。

 だから文明の神々だって混沌の軍勢に未だ勝利できないし、私だって一度は滅ぼされた』

 

 秩序の神の御言葉に頭が追いつかない。そして驚きはそれだけではなかった。


『……それに、ちょっと警戒してたけど、やっぱり混沌の軍勢と言っても同じ人間だったね』

 

 思わず耳を疑った。混沌の軍勢が人間……? あんなに毛むくじゃらで、鮮やかな色彩の紋様が肌に刻まれたものが?

 

『あれは髭や髪が伸びてるのと、入れ墨ってやつだね。入れ墨は《タトゥーマスター》のクラスによるもので、より神の加護を引き出せるようになる技術だよ。もっとも文化的側面が大きいみたいだけど』


『そんな……ですが美の神は、髪や髭をそり清潔に保つように教えています。そして入れ墨とは、美の神が禁じた技術のはず……』


『美の神、趣味出しすぎだよ……いや、文明の神々と混沌の軍勢で教えが違うだけで、同じ人間だからね?』


『同じ人間であっても、教えが違うのならわかりあえないのでは……』


『アル君は頑固だなあ。あの混沌の軍勢の拠点……村に住んでる人たちの姿を見てみてよ。みんな幸せそうじゃないか』


 その言葉に秩序の神が村と呼んだ拠点に目を戻す。

 子供たちが追いかけっこをして遊んでいた。

 老人が座ってひなたぼっこをしていた。

 大人たちが農業に汗を流して働いていた。その顔はやりがいに満ちていた。


『……秩序の神。僕にどうしろって言うんですか。あれは敵なんです。戦わなきゃいけないんです。

 それ以外の感情を抱いたって、苦痛なだけじゃないですか……』

 

『それは違うよ、アル君。この村を観察して確認できた。

 君が戦うのは混沌の軍勢だけじゃない。君には私の騎士として、世界と戦って欲しい』


『え……』


 思いもかけぬ言葉に反応できなかった。


『あの村からは、豊穣の神と光の神、獣の神にかまどの神の加護が確認できた。

 混沌の軍勢に加護を与えているのもまたかつて私の下にいた神々。

 おそらくは文明の神々と敵対する』


 そんな、秩序の神は混沌の軍勢に滅ぼされたはず。その混沌の軍勢に神々が?

 

『秩序の神を一度殺めたのは、神の裏切り者ということなのですか……? そんな……』


『それは半分だけ当たっている。

 かつて私を殺したのは全ての神々。

 私を殺した後、神々は文明の神々と混沌の軍勢に別れて争い出したようだね』

 

『そんな、嘘だ……どうしてそんなことに……』


『口うるさいお母さんは嫌われちゃったんだよね……』


 自嘲するような神らしからぬ声。


『だけど、そんな私にもやらなければならないことがある。

 文明の神々なり、混沌の軍勢なり、彼らの目指す世界のあり方が破綻してるならそれを正さなきゃいけない。

 それが神々と人間、そしてこの世界を生みだした私の義務』


 秩序の神は、僕に向かって真摯に言葉をかけてきた。

 それを聞いて、これまで信じてきた全てが揺らぎ、何をすればいいかわからなくなっていた僕にも、一つだけやらなければいけないことがわかった。


『……だから、僕はこの世界と戦い、壊さなきゃいけないんですね』


『嫌ならやめてもいいんだよ。つらいことも苦しいこともいっぱいあると思う』


『秩序の神はこの世界の在り方が破綻しているとおっしゃいました。

 僕が戦わなければ、この世界はどうなるんですか……?』

 

『……遠からず、滅ぶ』


『……ならば、僕は喜んでこの剣を振るいましょう。

 どんなことでも命じください。あなたの剣として、全てを成し遂げましょう』

 

『ごめんね……。ありがとう』


 世界とこの神のために、僕は戦おうと誓った。

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