鈍色の雨 [プレオープン版]

【鈍色の雨/第一幕】


 ゲートの内側に一歩踏み込んだ瞬間、空気が変わった。

 ――霧雨にけぶる灰色の路地裏に、私たちはいた。

 鉛色の空からは小雨が降りしきっているというのに、どういうわけか身体が濡れる気配が無い。


「うわー、凄いね! 全然濡れないのに、ちゃんと水の感触がある。不思議!」

 暁がその場でくるくると駆けまわるとバシャバシャと足元の水溜まりがしぶきを上げたが、その靴は乾いたままだ。


「街並みも微妙に変わってるのか。凝ってるな」

 月夜の言葉に周囲をよく見ると左右の壁すら様相がかわっており、土壁もゴチャゴチャしたダクトホースや配線も無く、年季の入ったコンクリートやレンガ作りの壁が並ぶ裏路地は、日本というよりはアメリカのダウンタウンといった風情だ。


(なに、ここ? さっきと全然違――)


 とっさに振り返ると、四角いゲートの向こうには雨粒一つ落ちていない、わずかに夕陽の色彩に染まりつつある日本的街並みが広がっていた。

 ゲート一つ挟んで、全くの『異世界』だった。やはり一般的な異世界転移のイメージと比べると地味な変化かもしれないが。


「さ、サーカスって、こういうモノなの?」

「ビックリした? こんなのパークじゃまだ地味な方なんだけどねェ。くひひひ」

 と、レキは意味ありげな微笑を見せた。


「とりあえずは一本道みたいだし、しばらく歩く、のかこれは」

「待って、月夜。――なにか聞こえない?」

 暁に言われ、耳を澄ますとどこからか女性の歌

「この歌声の主を見つけろ、ってことか」

「行ってみよう。多分こっちだ」

 私たちは暁の先導に従い、道を進んでいった。


***


 暁の耳と方向感覚のおかげか、程無くして私たちは歌声の主を発見した。


♪ ここに在るのは罪なのでしょうか

  この場所 この時 この胸の中にある

  確かに脈打つ この心は

  教えて どうか どうか


 積み上げられた木箱の上に座り、空を仰いで口ずさむ女性がいた。

 長く柔らかい桃色髪ピーチブロンドに、深いスリットの入った白いチャイナドレス。その女性の輝くような色彩と美貌はこの灰色の街の中でひときわ目立っていた。


「……誰?」

 木箱の上の女性が、歌うのをやめて音もなく地面に降り立った。

 間近でよく見ると意外とキツめの印象の顔立ちの美人だったが、どこか憂いを帯びた面差しに頬を伝う雨露も相まって、その雰囲気はどこかしおらしく儚げだ。


「……あなたたちもこの街を出るつもり?」


 急な問いに戸惑っていると暁が耳打ちする。

(こういうストーリーなんだよ、このアトラクション。素直に乗ってあげなきゃ)

 と、こちらの返事を待たずして、女は言葉を続ける。

「私はリリス。私もわけあってこの街を出たいの。……護衛として一緒に来てくれる? いくらか報酬は支払えると思うけど」


「もっちろん喜んで! 美人の頼みは断れないぜ!」

 暁は胸を叩いてノリノリで即答していた。若干この場の空気にそぐわない気もしたが、その明るさが雲間から除く小さな日差しのようで、目の前の美女リリスの頬もわずかに緩んだ。……ん? リリス……その名前と顔、なんか最近見たような覚えが……なんだっけ。


「頼もしいわね。それじゃあさっそくで悪いけれど、街の出口はこっちの――」

 リリスが言いかけて止まる。

 バシャバシャと水を跳ね上げ駆けてくる足音が遠く――私たちがやってきた方角から聞こえてきたのだ。


「急ぎましょう。街を出る前に兵士たちに捕まったら終わりよ」

 と、音の反対方向へ走り出したリリスを、私たちは追う。


 ――そこからはリアルなステルスアクションだった。

 リリスの先導に従い、敵兵士や警備ロボの巡回をかいくぐり、路地を進み廃墟を通り抜け、時折壁をよじ登り乗り越えもした。

 もちろんそこは隠密のプロなどではない素人集団だ。うっかり兵士に見つかり、銃撃を喰らうこともしばしばあった。

 が、実のところこの銃弾、命中しても少しも痛くない。どうやら殺傷能力の無いゴム弾みたいなもの……というより、どういう原理なのか当たる直前で威力が大きく削がれているようだ。物をぶつけられた痛みや衝撃なんてものではなく、当たったと分かる程度、例えるなら指で押された程度の触感しか感じない。


 なるほど、これは確かにエンタメでありアトラクションだ。ドラマ性のただ中にいつつも、安全性が配慮され命の危機は感じない。


 これが、この世界のサーカスなのか。


***


「ほら、よっ……と。大丈夫かい星海さん」

「正直、休憩、したい、です……」

 私の脚力では飛び乗るのが難しい高い段差を前に、私は一足先に上に着いていた月夜くんに上へ引き上げてもらっていた。ここに来るまでそこそこしんどい運動の連続で、私の呼吸はすでに絶え絶えだ。

「ほれ、リリスさんも」

「ええ、ありがとう」

 と、私と同様リリスも引き上げてもらっている。しかしこの月夜くん、このメンツの中ではインドア派の印象だったのに、(男女の身体能力差を差し引いたとしても)私より遥かにしっかりと危なげなく動けている。

(ああ、足手まといになってるなぁ自分……)

 リリスがほぼ私と同等の一般女子スペックなのが心の救いになりつつある。とはいえ向こうは運動能力が女子平均というだけで、今この状況において息切れもしていなければ汗一つ流していない(のかは滴る雨粒で実際はよく分からないが、少なくともそういう印象を受ける)綺麗なヒロインのままで、実質的に無様を晒しているのは私一人なのが悲しい。


「ねえ、少し休憩にしましょう。向こうにちょうどいい空き家があったはず。そこなら少しは安心して休めるはずよ」

 そう提案したのはリリスだった。

 ありがたい……。これが気配りのできるヒロイン力か……。



 そうして案内された廃墟の前には、都合の良いことに照明の点いた自販機が置かれており、レキが何か操作をすると、ちゃんとした飲料が出てきた。アクションシーンの安全性だけでなく、客の休憩まで考慮にはいっているのか……至れり尽くせりのアトラクションだ。


 そうして人数分の飲料を購入して入った廃墟は、ゴミの不法投棄場所にでもなっていたのか、だだっ広いホールにソファやらベッド、その他訳の分からない金属のガラクタなどが散乱した空間だった。

 私は少し埃っぽいソファに腰かけ、缶ジュースをちびちび飲みながら乱れる脈拍と息を整えていた。

「どう、疲れはとれたかい? なんなら脚でもお揉みしましょーカ?」

「遠慮しておきます」

 レキの提案をキッパリはねのける。疲労困憊ひろうこんぱいの私にジュースを買ってくれるような気遣いに感謝はするが、かといってそれ以上気を許せるような相手でもないのがこの男だ。


「ねえ、リリスさん。この街を出る理由、聞いていい? できれば僕らを狙ってくるヤツらの心当たりなんかも」

 と、話を切り出したのは暁だった。

「大した話じゃないわ、この街の支配者に疎まれているだけ。私も、あなたたちもね」

「じゃあさ、街を出たらあなたはどうするの? それに、僕たちはどうすればいいんだろう」

「街さえ出れば、すぐにでも他所の解放軍が保護してくれるんじゃないかしら。私は……他にやることがあるから、そこでさよならすると思うけど」

「そっかぁ。うん、ありがとう」

 暁は、このシチュエーションに即した世間話をリリスに投げかけることで、この場の世界観に自らを馴染ませつつ、用意された背景設定を自然と聞き出している。

(さすがRPロールプレイング部部長は伊達じゃない、ってことか)

 正直、RP部とやらがどういった部活なのかまだ全く知らされていないのだが、少なくとも字面で想像されるような技能が磨かれる部活動、ということはこの短期間で分かったような気がする。


「それで、どう? もう出発できそうかしら」

 しばらくして、リリスが私の方を向いてそう尋ねてきたので、こくりと頷く。十分に休めたおかげで、身体はもうだいぶ楽になっている。あ、ジュースの空き缶はどうしたらいいんだろう。一応、室内にはゴミ箱らしきモノも転がってるし、その中にでも入れておけばいいのかな……などと考えていると。


「! ……誰か来る」

 リリスが険しい表情をした直後。バタバタと大量の足音がしたかと思うと、兵士と警備ロボが室内になだれ込んできて、あっという間に包囲されてしまった。さっきまでの安らぎのひと時から一転、絶体絶命のピンチだ。


「ッヒャァ~! もしかしてコレって戦わないといけないヤツ?」

 レキが周囲をキョロキョロ見渡して言う。危機的状況とは裏腹に、その声はしゃいでいるように聞こえた。

「頼めるかしら? ある程度無力化できれば、隙を突いて逃げ切れるとは思うのだけど……」

「僕らにお任せあれ! こういう荒事はやってみたかっ……じゃないな、えーと。それなりに慣れてるんでね!」

 リリスの言葉に応え、暁とレキは手近に落ちていた鉄パイプや拾い上げて敵前に構えた。

 すでに剣を振るう姿を見たことのあるレキはとにかく、暁もだいぶ様になる構えで得物をかざし、私たちをかばうように立ちはだかってくれている。なんとも心強い姿だ。


「かかれっ!」

 兵士の一人が声を上げ、戦闘が始まった。

 無論、今までの例に漏れず本格的な戦闘行為では無い。総攻撃という割には弾幕や包囲の密度は甘く、何をすべきか分からないまま、ただわたわたしているだけの私に襲い掛かってくる兵士の数はまばらで、私が完全に戦力外と察するやいなや、うまい具合に自滅か標的変えをしてくれているようだった。

(な、なんて親切なプロ集団……!)

 一方で他のメンツの獅子奮迅ぷりたるやすさまじく、レキの剣技は言わずもがな、

暁もそれに劣らぬ動きで手ごろな角材をぶん回して殺陣を繰り広げているし、月夜も丸腰ながら私やリリスを敵兵から遠ざけようと、上手く位置取りしながらこちらへ指示を飛ばしてくれる。

 そして私と同じく非戦闘員であろうリリスですら、敵の猛攻を回避し安全地帯へ逃げる動作すら非常に自然かつ綺麗なものだった。


(私も、カタチだけでも戦う素振りをしてみたほうが良いんだろうか……)

 だがこれはあくまでアトラクションだ。こんなに派手にスタッフや備品ロボにあそこまで無体を働いていいものなのか……と、ビクついていいると。

「心配しなさんなってェ、こういうバトルもここの想定のうちなんだからサ。派手に! 気持ちよく! ぶちのめしてイイ!!」

 と、鉄パイプを振りまわし周囲のロボットをなぎ倒しながらレキが叫ぶ。

(お前の言葉だとイマイチ信用できないんだよ……)

 とはいえ、常識人枠であろう月夜も、気付けば豪快に敵兵士を蹴り倒し拾った銃で全力応戦を始めたみたいだし、多分レキの言葉は事実なのだろう。


 ……郷に入っては郷に従うべき、なのか。


 いつぞやのピンチの時のように超能力だか魔法めいた力を発動できれば良いのだが、あの時のヘボい効果を思い返すと、どうにも試してみる気にはなれなかった。というか、あの時の火球はまぐれで出たようなモノだ。そもそも今の私はあの力の正しい発動方法なんてサッパリ分からないのだ。


 結局私は、手に持っていた空き缶を敵兵に向けて投げつけていた。ヘルメットで完全防護した頭部に、カコーンと悲しいくらい軽い音を立てて命中しただけなのに律儀にぶっ倒れてくれる兵士さんの姿が涙ぐましい。うう、こんな無様な戦闘スタイルに応えてくれてありがとう……。


「みんな、こっちよ!」

 戦闘開始からしばらく経ち、向こうの戦力が半分程度になった頃だろうか。リリスが声を上げた。

 リリスの誘導に従い、私たちは廃墟を脱出した。追っ手はやってこないようだったが、獲物を持ったままの面々は殿しんがりとして背後に気を配りながら私とリリスの後に続いてくれている。

 本当に私、何の役にも立ってないな……と苦笑が漏れたが、この場のヒロインであろうリリスといかにも場慣れしている風情の3人に挟まれている気分は、実のところそう悪くはない。そうそう、物語の中心に立っているよりは、こうしてキャラを細かに眺められる立場で推したい身なんだ私は。


 そんなこんなで走っていくと、やがて私たちは開けた場所――十字路が交差する噴水広場に出た。

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