これが彼との初デートのようです。

 次の瞬間、私は背面に柔らかな感触を感じていた。

 ――座っている。私は、天鵞絨ビロード張りの柔らかな椅子の上にいるのだ。


(着地した、のか?)

 しかしその衝撃は微塵も感じなかったし、椅子も軋み一つ上げていない。今までずっとここに座っていたかのような静けさだ。

 薄暗くてよくは見えないが、セーラー服も肩にかかる髪も、今さっきまで風圧や重力と激しく戯れていたとは思えないほどに整っているようだった。


「なーにボヤっとしてるんだい? もしかしてェ、緊張してるとか?」

「!!」


 真隣から聞こえてきた声に横を向くと、隣席にもはや見慣れつつある『彼』の姿があった。


「アル・レキーノ……!」

「もっとフレンドリィに呼べって言ってるのに、もー」

「ここ、どこ」


 彼は私の問いを無視して、拗ねるようにそっぽを向いた。

「名前を呼んでくれなきゃ教えなーい」

「アル・レキーノ」

 完全に無視だ。

「……キーノ、さん」

 ちら、とこちらを見やるがすぐに視線を元に戻す。

「呼び捨てのほうが好みかナ。なんならもっと『二人だけで通じる呼び方』っぽいのがいいなァ?」

 と、こちらを向くことなく独りごちるように口にする。

 こ、こいつ……私に最上級の羞恥プレイをさせる自作のニックネームで呼ばせる気か……!


「……レキ」

 くん付けするかは少し悩んだが結局止めた。自ら不必要なまでに傷口を拡げるような真似はするまい。もっともこの呼び名を口にした時点でもう傷口はガバガバだが。

「なーにィ? 何でも聞いて❤」

 と、アル・レキーノ改めレキはわざとらしいくらい甘ったるい声音で返事をしてきた。

(バカップルかよ!)

 周囲に人の気配が無いのが唯一の救いだ。こんなやりとり他人に見られていたら恥ずか死確定だぞこんなの。


「それで、ここはどこなの」

「見れば分かるんじゃないかナ?」


 言われた通りにざっと見渡すと薄暗く広いホールの中前後左右にずらっと同じようなシート席が並んでいる。正面には大きなステージとスクリーン。どうやらここは劇場のようらしい。しかも自分たちがいるのは、全座席のほぼ中央かそのやや後列、舞台上が程よく見渡せる特等席だ。――これだけ広いのに私たち二人の貸し切り状態なのがちょっと気になるが。


「舞台? いやでも大きなスクリーンがある……映画館なのか」

「ま、観てりゃ分かるさ」


 ほどなくして開演ブザーが鳴り、薄暗い周囲がより一層暗くなった。


♪ これは遠い楽園のおはなし それはありふれた童話 

  かつて誰もが知っていた あの王国のものがたり


 そして可愛らしい子供のような歌声と共に、スクリーン上でメルヘンな物語が始まった。

 内容はこうだ。

 獣人たちの暮らすおとぎの王国に、ある日サーカスがやってくる。少し不気味な様子を覗かせつつも、サーカスは王国に受け入れられる――


 内容こそ子供向けめいたモノだが、面白いのはその演出だ。基本的にはスクリーンに流れる映像がメインなのだが、時折映画内容にシンクロするかたちで役者や人形などが出てきてステージ上で演技をする。

 ミュージカルめいてはいるものの、主役はあくまで映像。まるで映画の中から登場人物が飛び出してくるかのような演出の独特の舞台だった。

 昔の無声映画は、生伴奏や活動弁士の台詞や解説を加えることで演出を補っていたそうだが、いわばその現代アレンジといった趣か。


「で、これが約束のデートなの?」

「まー、そんなトコ」

 隣のレキに小声で訪ねると、薄く笑ってそう返事をしてきた。

 演目の対象年齢のズレを感じなくもないが、こいつにしては不気味なくらいに真っ当なデート内容だ。しかしこれは遊園地というより劇場デートでは? そりゃあ顔を突き合わせて歩き回るような屋外デートよりは遥かに快適ではあるが。


 それにしても……二次元の存在だった推しと、同じ次元でデートをしている。幾人のオタクが夢見た境地だろう。なのに微塵も嬉しくないのは何故だ。推しの性格のせいか、自分の中のリアリストの性分のせいなのか。


 ――などと考えていると、ここで舞台の内容が急展開を迎えた。


 劇中のサーカス公演中に、突如として一組の――騎士とおてんば姫君といった風情の少年少女が乱入し、舞台の上で声高に叫んだ。


『王国に楽しみを振りまくサーカスは実はそれは巧妙なカモフラージュ。

 ショーを催している彼らは、その実王国中の美しいモノ、楽しいモノを奪い去っていく悪しき存在なのだ』と。

 そんな二人を取り押さえようと殺到するサーカス団員を見事な殺陣たてで撃退し、サーカスの奥へと突き進んでいくのだ。


(凄い……)


 雑然とモノとヒトがひしめき合い、迷路のように入り組んだサーカステント群を、襲撃者の二人は縦横無尽に駆け抜け抜けていく。

 本性を現し襲ってくるサーカス団員たちを、舞踏にも似た流麗な殺陣で退けつつ、飛来するナイフ避け、空中ブランコの乗り継ぎに綱渡りといったアスレチックめいたサーカス内の地形やトラップを軽快に突破する――こうなってくるともはや当初の子供向けなどという印象はどこへやら、観る者を選ばない良質な活劇アクションエンタメだ。


「……?」


 気付けば私も食い入るようにこのステージを鑑賞していたが……少し、様子おかしい。

 時々、ほんの一瞬。視界がガラリと様相を変えるのだ。あの舞台の上、映像の中に映し出されている向こう――極彩色満ち溢れる騒々しいサーカスのただ中にいるような。


 次第に視界だけでなく身体のほうもショーの内容とシンクロし始めてきた。今まさに駆けているような感覚すらあり、わずかな脚の疲労感と共に、身体が熱を帯び息が弾む。

 ――感情移入、自己投影にしたってこの臨場感は異常だろう。


『おかしくなどありませんとも』


 知らない誰かの声がする。


『これが我々の舞台の本質、真骨頂と言っても過言ではない』


「――!!?」


 気付けば、もはや私は劇場のシート席にいなかった。

 走っている。私は、あの演目の中心、サーカスを荒らす少女としてサーカステントのただ中に突っ立っていた。少し前を進む供の少年は、レキにすり替わっている。


「っと、急に立ち止まってどうしましたお姫様? じっとしてたら追いつかれちまうゼ!」


 まるで元々作中の登場人物であったかのように、レキは手に持つ細剣で迫り来る団員を切り払うと、私のほうを振り返りセリフめいた言葉を私にかけてくる。


「ちょっ、待っ――」


 しかし急かされたところで、元々運動が苦手なうえに状況が呑み込めていない私に、演目上のヒロインと同じような俊敏な動きができるはずもなく。


「おわっ!」


 倒れているサーカス団員に見事につまずいて派手に転倒してしまった。そんな大きな隙を敵が見逃すはずもなく、ピエロ姿のサーカス団員が私に殺到し、のしかかってくる。


「とわ!」


 私に駆け寄ろうとしたレキもまた、どこからかひとりでに伸びてきたロープやリボンであっという間に絡めとられてしまう。

 どう見ても絶体絶命のピンチじゃないか、これは。


「ちょっ……ねえ、どうすればいいの、これ!」

 これがショーであるならば、私はこの先の話の進め方などサッパリ分からないし、もしこれが本当の殴り込み行為だったならば最悪命の危機であるわけで。


「ご自由に。アンタはどんな展開がお望みだい? ソイツをしてみればいいサ!」


 全身を色とりどりのリボンにぐるぐる巻かれ、やたらカラフルなミイラ姿になりつつあるレキが余裕しゃくしゃく――むしろこのピンチが一番楽しい瞬間とでも言わんばかりに弾んだ声で言う。


(この先の展開……?)


 王道展開でいくなら目の前の少年剣士レキが本気をだして形勢逆転、がベタなんだろうが。あの外道剣士アル・レキーノに借りを作るというのはなんだかとても嫌な予感しかしない。

 だが、私の元々のスペックで切り抜けるなんてのはさらに絶望的だ。せめて私……がげ替わってしまったこのキャラクターに特殊能力が備わっていたのなら、機転次第でどうにかなったかもしれないけれど。

 そんなことを思いながら、かろうじてまだ自由な右腕をレキの方向へ伸ばす。

 そう。ファンタジーじゃ初歩の初歩、ありふれすぎて古典的ですらある火球ファイアボールみたいな魔法が一発あるだけでも、せめて彼を解放するくらいには――

 と、最近アニメで見た火炎の魔法の発動シーンをイメージした刹那。肘から指先にかけて光の筋、いや細かな文字列めいた模様が走り、そのまま宙に射出される。


 直後。ごうっ、という音と共に想像した通りの火球がレキに向かって飛んでいく。


 出た。魔法が。いやちょっと待ってあれはさすがにマズいのでは!?

 このままだとレキまで丸焦げにしてしまうのではと血の気が引いたが、非常に残念なことにレキを傷つけるどころか、その身を戒める紐たちをわずかに焦がすだけに留まった。


 だが、その火球の発現によって場は一気に凍りつき、誰一人動かぬまましん、と静まり返ってしまった。私の行為のショボさが際立つようで死ぬほど居心地が悪い。というか、もうこれ死ぬより辛い事態なのでは?


「くひ、くひひひひひ!」


 沈黙を破ったのはレキの特徴的な笑い声だった。私への侮蔑の笑いかと思ったが、違う。状況は少しも好転していないというのに、彼の顔は、無邪気な子供のようなひどく純粋で分かりやすい歓喜に満ちていた。


「やっぱりアンタ才能あるぜ!!」


 これのどこが! 未知の能力の開花と言えば聞こえはいいが、その半端極まりない成果はあまりにも無様で歯がゆくて、どうしようもない代物だったじゃないか。

 ……と、声に出して反論する暇もなく、レキの笑い声を皮切りに場の時間は再び動き出し、サーカス団員の猛攻が再開していた。私に殺到し折り重なる団員たちによって、身動きは取れないまま、視界はどんどん狭まっていく。


「とわ、最後に一つ質問していいか」

 縁起でもないレキの言葉が私に届く。この喧噪の中にあって、はっきりと。

「主役に、ヒロインなりたいと思ったことは?」

「無い!!」

 断言できる。劇的な人生も、頭が痛くなるような台詞の洪水も、眼が痛くなるようなスポットライトも微塵も欲しくなんかない。欲しくなかったんだよ。先の魔法発動の体験だって、失敗の落胆よりも身の丈に合うような納得があった。……それ以上に羞恥トラウマもデカかったけど。

 この劇的で危機的な状況だって、主人公補正で覚醒・一発逆転・大勝利! なんて展開は御免被る。もう夢オチでもなんでもいいから、次の瞬間には危険も波乱も何事も無い元の居場所に戻っていてほしいくらいだ。


「ソイツは残念」

 狭まる視界の向こうに、道化た少年剣士がニッと快活に笑うのが見えた。彼らしくもない、凶悪さがナリを潜めた年相応のあどけなさ残る会心の笑みで。


「あんたはもう、この舞台の主役スタァなんだよ」


 レキの笑顔と、その言葉を最後に私の視界は、意識は闇に閉ざされた。

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