第15話 臥待月

 その夜、珍しく愛姫が、政宗の寝所に来た。


 政宗が毒殺されかかったあの日、義姫の走り書きの紙片から、小十郎が探り出した事実は驚愕のものだった。

 義姫が使った毒は、愛姫の侍女が秘かに隠し持っていたものであり、それを知った義姫が、

―政宗を殺したければ、私が殺してしんぜましょう。―

と言葉巧みに取り上げたものだった。

 計画が失敗に終わったことが露見した侍女は逃亡を企てたが、政宗に手討ちにされ、また他の侍女達も嫌疑を免れず、皆、政宗に討たれた。

 自分の侍女達がことごとく誅され、それ以来、ほとんど政宗が愛姫の寝所に来ることは無かった。


 政宗は愛姫が輿入れして数年後に、側室を迎えていた。

 城での正式な名は―新造の方―

 政宗の信頼の厚い飯坂氏の娘で、政宗より一つ二つ年上だった。

―何やら、猫に似ているのぅ。猫と呼ぶとしよう。―

 対面の時の政宗の言葉と

ややつり目がちの大きめの眼と奔放な性格から、

―猫御前―の異名で呼ばれることがもっぱらだった。

 実のところ---性格自体は、政宗と姉弟のように良く似ていた。

 そして、政宗は、寝所で秘かに―猫なれば、鼠を取るのも上手かろう―と囁いていた。

 つまりは、奥の、女性達の見張りを兼ねて政宗の手足となれる女性を側に付けていた。

 毒殺未遂の一件で、愛姫から足が遠のいた間に、猫御前には、政宗の長子となる男の子―後に伊予宇和島藩主となる秀宗が生まれていた。

 愛姫は、ますます頑なになり、ほとんど顔を合わせることすら無くなっていた。

 

 その愛姫の訪問に、政宗は少なからず驚いた。

「如何した?」

 政宗は、怪訝そうに愛姫の顔を見た。

「義母様に、言われました。」

「何を?」

「この城の女主に相応しい者となれ---と。」


 母の義姫は、政宗が朝鮮出兵で城を留守にしている間に、山形の最上氏の元に去っていた。

 義姫は、立ち去る前に、愛姫を自室に呼び、一言、言った---という。

―この城は、あなた方の城です。自立なさい。―


 いきなり、政宗の留守中に城を任された愛姫は動転した。愛姫の側に仕えるようになっていた喜多に、不承不承ながら、指示を仰ぎ、城を切り盛りし、なんとか政宗の帰還まで乗り切った。


 「それは大義であったな。」

 政宗は苦笑した。

―相変わらず、母上の手法はてきびしい---。―

 「ですので、私にも恩賞を下さいませ。」

 「恩賞?」

 「私にも殿のお子をお授け下さいませ。」

 「三春には帰れなくなるぞ。」

 「覚悟を決めました。」

 城を任された---となれば、おいそれと実家に逃げ帰るわけにはいかない。しかも、政宗に万一があった時に、擁立する子供も、まだいない。

 政宗の妻として、政宗の子の母として、この地に根を降ろす---嫁して十五年余り、愛姫はやっと大人になろうとしていた。

 それは著しい成長を遂げた政宗に対する対抗心であったかもしれない。


-----------


 「よろしゅうございましたな。」

 やはり、今で通り、洗顔を済ませた政宗の眼帯を結び直しながら小十郎は言った。

 「しかして、まだ右目はお見せにならぬので?」

 「まだ、な--------。」


 政宗は、延びをしながら、煙管を取り、膝を立てたまま、一服、ふぅ---と吸い込んだ。


 「ところで---」

 カン---と煙草盆に火種を落として、政宗は小十郎に向き直った。

 「関白殿の御沙汰はどうじゃ?」

 「極めて、不味ぅございますな。」

 政宗も小十郎も眉をひそめて、事態の深刻さを憂えた。関白とは、秀吉の甥、豊臣秀次のこと、先頃、唐突に謀反の疑いあり---との嫌疑で、太閤秀吉によって、捕縛-幽閉された---という。

 秀次と懇意であった政宗にも嫌疑がかかったが、日頃のマメな周囲への働きかけもあって、どうにか政宗の嫌疑は晴れた。

 が、秀吉がかつては後継者として擁立した彼を抹殺しようとしていることは確かだった。

 「切腹は、免れますまい。」

 「無様よのぉ---。己のが子が出来たとなれば、盲愛もしようが---」

 度が過ぎている---と政宗は思った。だが、それが、まだまだ甘かったことを後日、知ることになった。


「関白様、御切腹のよし。

なお、妻妾方々とお子達も全て、磔刑-斬首とのことにございます。---駒姫さまも---」

 駆け込んできた近習の顔はまさに蒼白だった。

 

「駒姫さまも---か。まだ、お目見えもしていないのに。」

 小十郎がたまらず、叫んだ。駒姫は、最上義光の二女、政宗の従姉である。先頃、関白秀次に召し出されたが、まだ支度中で、秀次とは一度も会ってもいない。


「狂ったな、秀吉---。」

 政宗は吐き出すように言った。仮にも、秀次は自身の甥であり、自分の子が出来るまでは、ありとあらゆる権力を与えていた。

 しかも秀吉にとっては、後に続く唯一の係累だった。それを根絶やしにしようというのだ。

 親類縁者ばかりで、危ういバランスを保ちながら、時に叛き時に和しながら、乱世を共に乗りきってきた奥州の流儀から見れば、気狂い沙汰としか思えなかった。か細い若芽ひとつで、どうやって家を保つことができようか。

「治部小輸らの進言があったようにござりますな。」

 小十郎は、近習を下がらせ、政宗に羽織を着せかけながら囁いた。

「三成か---。」


 やはり、あの小賢しい、したり顔の小役人どもの仕業か---と政宗は呟いた。

 三成は秀吉がどこぞの寺から拾ってきた近習だったと聞いている。

―秀吉さまの御為―などと躍起になって、周囲を削ぎ、自らのみが支えになれる---と思い込んでいる。


―秀吉の配下なんぞ、皆そんなもんだ。―


 状況を俯瞰する能力に欠けている。己のが技量だけで、秀吉に取り立てられてきた子飼いの家臣達にとっては、政宗のように代々、苦心して家を繋いできた者達は、憎むべき障壁でしかない。


 ―愚かな---。―


 蓄積された経験の無い者達に「次代」は作れない。


―醜悪、ここに極まれり---か。―


 政宗は、控える小十郎に声音を押さえて告げた。


―戦の準備をしておけ---と綱元に伝えよ。―


―御意。―


 小十郎は、決意の目で政宗を見上げた。青白い焔が立ち上っているように見えた。


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-----1598年、豊臣秀吉、大阪城にて没す。


またひとつ、時代が変わろうとしていた。

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