第14話 居待月

 慌ただしいばかりに月日が過ぎていた。

 京都の聚楽第に度々呼びつけられ辟易してはいたが、だが、多くの武将達に合うのは、嫌いでは無かった。

 当代の上杉の当主、上杉景勝と腹心の直江兼続---後の宿敵とも言えるふたりと初めて会ったのは、小田原城攻めの時だったが、秀吉はよく、この二組の主従を並べて見るのが好きだった。


―わしはのぅ---、此方らが羨ましいぞ。―


 秀吉は皺くちゃな顔をわざとしかめて、盃を大仰に干して言った。

―直江にも袖にされたが、片倉にも五万石でわしに仕えよ。---というたが、あっさり袖にされたわ。―


 小十郎は、平伏して頭を下げていたが、政宗が顔を伏せながら膓の煮えくりかえる思いで、秀吉の戯れ言を聞いていたのを察していた。

 秀吉の転封により、政宗の育った米沢の城は、今、この直江兼続の所領になっている。

 豊臣政権下では、明らかに勝者と敗者であった。しかしながら、

―今に、ひっくり返してやろうぞ。―

と密かに誓った主従は、顔色も変えず場に臨んでいた。


------


 それにしても---と、二組が立ち去る後ろ姿に、秀吉は呟いた。

 見事に対照的な主従だった。ひたすらにしかつめらしい景勝に寄り添う直江兼続は健気で清廉な気を放ち、景勝という大いなる磐(いわお)に咲いた、一輪の雛菊のようであり、一方の政宗主従は、華やかで艶やかな気を放つ薔薇のような政宗を小十郎が大地の如く支え、養っている感がある。


―我れの主は、只ひとり―


と天下人の面前で怖れもなく言い放ち、悪びれもせず、主への傾倒を現にしている双方の軍師を見比べながら、秀吉はしかし、決定的な違いを感じた。

 つまり---、

―直江は主(景勝)無くしては有り得ぬが、片倉無くして主(政宗)は有り得ぬのだな。―

 切り崩すには、どちらが容易いか---と思案してみたこともあるが、

―どちらも難しゅうございますな。―

と、黒田官兵衛にあっさりと言いきられた。

―あやつらは、利害や忠孝の概念ではなく、肌身で繋がっておりますゆえ。―

 上杉主従は兄弟の如く、幼い子供の頃から共に過ごしている。互いを肌で知っている。

 政宗と小十郎は---

―云わば、臍の緒で繋がっているようなもの、でございましょう。―

 幼少期から小十郎は一心不乱に政宗を育て上げることに専念してきた。それは、父子というより、むしろ母子に近い---と官兵衛は言う。

―御前に坐す時の、伊達殿を見る片倉殿の目は、誇らしげながら、何をしでかすか心配で堪らない---といったような、雛を見る母鳥のそれとそっくりでございます。―

 官兵衛は言う。 

―鳥なれば、巣立つのは子の方にて、親鳥は子が巣立つまでは、目を離しませぬゆえ---。―

 秀吉は苦笑せざるを得なかった。政宗という雛鳥は、やっと大人の羽が生え初めて、飛び方を覚えたばかり---充分にひとりで飛び回れるようになるまでは、小十郎という親鳥は身を挺してこれを守ろうとするだろう。

―して、官兵衛はあの政宗はどの鳥と見る。鷹か鷲か烏か---?―

―さぁ---大木菟かもしれませんな。―

―隻眼の大木菟か---―

 月夜に音もなく滑空し、獲物に襲いかかる---官兵衛は政宗の内にある飼い慣らすことの出来ない『野生』に、ことの他、危機感を抱いていた。

 秀吉の近習には、そのような男はいない。秀吉に「飼われて」育ったものばかりだ。敢えて言うなら、官兵衛その人が、いちばん似ているかもしれない。


 影で秀吉があれこれと憶測を巡らせている間も、この政宗という雛鳥は、至って活発だった。茶に親しみ、堺の新しい文物には誰よりも興味を示した。


 そんな折、政宗に意外な人物からの誘いが来た。

―長曽我部元親---?―

 政宗よりも、やや早く秀吉に恭順した土佐の大名だった。秀吉を手こずらさせたことにおいては、政宗に負けるとも劣らないが、今は完全に膝下に入っていた。

―貴殿に、お見せしたいものがござる。―


―はて?―と政宗は馴染みもないこの男の誘いに困惑したが、奥州と四国では利害は無い。海を渡った先の国---というものにも興味があった。

 政宗は、この男の誘いを受けることにした。


---------


―揺れますゆえ、お気をつけて---気分が悪くなられたら、遠慮なく仰せられよ。―

 堺の港から大型の帆船で、外海に出ると、波の強さは半端ではなかった。

―凪いでおりますよ。―と笑顔で舳先に仁王立ちする男の傍らで、政宗は必死に船酔いに耐えた。小十郎も成実も、甲板から身を乗り出して吐いている。

 だが、政宗は、どこまでも続く水平線の広大さのほうに惹かれていた。

 一昼夜を経て港に着く。

 翌日、船酔いから回復した政宗一行を元親は、浜へ誘った。白い波頭が絶え間なく岸へと押し寄せては散る---広い広い浜だった。

―これが、同じ海か---―

「左様、この浜から伊達殿のおわす奥州まで、この海は続いております。」

 元親は、政宗の内心を掬い上げるように、言った。

「海は限りなく広く大きい---。わしは、自らが、何故このような片田舎に生まれたのか---と恨んだこともありましたが---今は何処よりも、この地を愛しております。」

 彼は、平安時代から続く名家の総領である。ひなびた感のあるこの地には似つかわしくないくらい、物腰は優雅で、長身ですらりとした佇まいは、古えの貴種らしすぎるほどらしかった。

 政宗は、その整った面に深く翳る何かを横顔に見留めた。

 元親は、潮風に身を任せながら、如何にも世間話のように言った。

「太閤殿下が、なぜ貴殿を赦されたか、判りますか? 」

 政宗は、思わぬ問いに目を丸くした。

「貴殿は---憧れなのですよ。」

 はぁ?---と政宗は耳を疑った。

「貴殿には、華がある。生まれながらの煌らかな輝きがある。---それは、太閤殿下には、望んでも到底得られないもの。---そして、貴殿は若い---。」

 元親は、政宗の方を振り返った。

「我らには、その若さが何より眩しい。---自らにも、かつてそういう時代があった。---その血の滾りに任せて駆け抜けた時代があった。---それを思い起こさせてくれる。---だから、貴殿を失うことが出来ないのですよ。」

 政宗は苦笑した。それは、―若造―とタカを括っているということではないのか---。

「我れに『華』など---。この醜い隻眼の身にそのようなものがあるとは思えませぬ。」

 政宗は自嘲しながら言った。その投げ出すような口振りに、元親は、くすり---と笑って言った。

「貴殿は本当に若い。目を失ったはお気の毒であったが、その『不完全さ』がより人を惹き付ける魅力となっておるのですよ。」

 人は、完全な美に憧れるが、それは同時に美しからざるものにとっては憎悪の対象にもなる。政宗の隻眼という不完全さは、その憎悪を和らげ、憐憫の情を起こさせる。―同じ人間である。―という安堵感を起こさせる。

 「ご不快な面もありましょうが---」

 人の情は、身の助けになりますから---と元親は言い添えた。

 そして、ふと顔をあげ、波の彼方を指さした。

 「おぉ、あれです。貴殿に見せたかったものが、やってきた。---貴殿はやはり天に愛されておる。」


 政宗が、元親の指差す方に目をやると、海の中にこんもりと、黒い小山のようなものが、浮き上がってきた。そして、その高いあたりから、水柱が吹き上がった。

「あ、あれは?」

 政宗は思わず身を乗り出し、目を見張った。

 「鯨じゃ。あの水柱は、鯨が潮を吹いておるのだ。」

 「で、デカい---。初めて見た。」

 政宗は息を飲んだ。ここから見て、あのでかさだ。ゆうに城の広間くらいの大きさはある。

 「毎年、春の頃には、あれらが群れを成して来るのです。」

―ここでしか見られない。---どんな豊かな華やかな場所でも、この雄大な眺めには敵わない。―

 「わしには、この眺めが、何より尊い。この地を守る為なら、どんな屈辱も辛抱も苦ではない。ただ---」

 元親は目を細めて言った。が、その面が、瞬時に曇った。

 「わしは、わしの今一つの、唯一の宝を、わしの不徳のために失ってしまった。」

 戸次川で---、と小十郎がひそと政宗に耳打ちした。

元親は、嫡子の信親を戸次川の戦いで失ってしまった。その心の痛手はあまりに大きかった。

 「わしは、弥三郎を失って、自分の夢が潰えたことを悟った。だが---」

 貴殿に会って、慰められた---という。

 「弥三郎と同じ年頃の貴殿を見ると、色々と思い出されて哀しゅうもなるが---ひとりで突き進む貴殿に、思いを掛けずにはおれぬ。」

 元親は、ひし---と政宗の手を取った。

 「どうか、たゆまずに走られよ。そして---わしが失うた、夢の続きを見せたまえ。---」

 元親の眼にきらり---と光るものがあった。政宗は、言葉を失って、ただ立ち尽くしていた。


----


 後日、政宗はちらり--と検地に訪れた徳川家康に洩らしたことがあった。

 家康は、ふと、遠くを見、そして、続けた。

 「わしも、信康を失うた。いや、わしの不徳が信康を殺した。---わしが太平の世を築かんとするのは、そういう理不尽を無くすためだ。」


 政宗が、家康の嫡子、信康が妻の讒言により、織田信長によって自刃に追い込まれたことを、知ったのは、その後のことだった。


 ―皆、傷を負っている---―


 

 喪うことの痛みを、傷を知らない豊臣の崩壊は、目の前に迫っていた。

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