第58話:兄弟、想う

「……ん、これで最後かな」


 ジャン=ジャック名義の押印が必要な書類、その最後の一枚を確認し終えた私は、王族にしか使うことを許されない金製の印を下の方に押す。さらにその近くに署名を書き込んでから、天井に向かって大きく伸びをした。


「んんー……っ」


 同じ体勢を続けていたことで凝り固まった体がほぐれていく。その心地よさに気の抜けた声をひとしきり上げた後、伸ばした腕をゆっくりと下ろした。

 視界の端に、手に持ったままの万年筆が映る。


「……ふふ」


 真新しいそれを見ていると、思わず口元が緩んだ。




『家族以外の男の人に誕生日の贈り物したことがないから、何あげればいいか迷っちゃって……。とりあえず、実用品なら困らないかなって』


 それは、ひと月半前のこと。

 いつものように務めやレッスンの合間を縫って、ルクスリア家の屋敷を訪れた時のこと。

 私が想いを寄せる、ルクスリア家のご令嬢。数ヶ月前の逢引を経たのち、砕けた口調が出るようになったその少女は、照れくさそうに贈り物の箱を差し出した。


 十八才の誕生日を迎えるまで、オリエンス王家の人間は誕生日を明かさない。それまでは誕生月だけを公にし、城でも祝いの席を設けず、代わりに貴族達や隣国の王家が催すパーティーに出るのが習わしとなっている。

 日を明かさないことで、誰が祝っても平等になるように、ということらしい。

 でも、一人の少女に想いを寄せる身としては、やはり当日にお祝いの言葉が欲しい。できれば大勢の中で与えられるものじゃなく、二人きりの時に。

 そこで私はかなり無理をして、当日、ルクスリア家にやってきた。

 そんな私の意図が読まれていたのか、出迎えてくれたルクスリア公は何も言わず、私とスール嬢を二人きりにさせてくれた。

 自分の娘を私達王子にあてがいたいという裏が透けて見えながらも、娘をないがしろにしてでも自分で好感度を上げようとする他の貴族に比べると、好感が持てる対応だった。もちろん、自分の望む状況になったというのが大きいけれど。


 一緒に来ていた親愛なる兄や執事のイーラは、いつもどおりメイドのフレールについていき、もう一人のメイドのサラも気を利かせたように席を外した。

 そんな状況で祝いの言葉を待っている時に贈られたのが、先の言葉と小さな箱だった。

 中身は、職人が作った質の良い万年筆。

 一見するだけで使い勝手が良さそうな品だったことも嬉しかったが、何よりも目の前の少女が、私に何を贈るかを懸命に考えてくれていたという事実に心が躍った。


 恋慕を半ば吐露したのが数ヶ月前。

 肯定の返事こそもらえなかったものの、スールは私の次の訪問を拒むことはしなかった。その次も、そのまた次も。彼女は変わらず私と会ってくれている。

 しかしそれは、今まで通りの(つまり、何事もなかったかのような)振る舞いではない。

 朗らかに笑っていたかと思えば、ふとした瞬間、気まずそうに目を逸らす。

 何気なく手が触れると、慌てて引っこめてしまう。

 友愛を向けるばかりだったスールは、今や私のことを異性として意識していた。

 そんな彼女が、異性への(それも家族以外は初めて!)贈り物に頭を悩ませていた。

 それに心弾まない男などいるだろうか。




「ジャック、入るぞ」


 こんこんというノックから間髪入れず、扉が開く。

 不意の訪問に、思いにふけっていた私の両肩が大きく跳ねた。


「は、はいっ!」


 返事をしながら、万年筆を握ったまま立ち上がる。

 そんな私を見て、この部屋に遠慮なく立ち入ることができる数少ない人間の一人、敬愛する我が義兄、ジャン=クリストフ・スペルビアは意地悪な笑みを浮かべられた。


「なんだジャック、ぼーっとして。何か楽しいことでも思い出していたのか?」

「ははは……。兄上にはすぐばれてしまいますね」


 照れくささをごまかすように、万年筆を持った方の手で頬を掻く。

 すると兄上は、途端に表情を曇らせた。

 一瞬意味が分からず首を傾げたものの、すぐに理由に思い至る。


「す、すみません。兄上の前で無神経な……」

「いや、謝るな。こっちこそ顔に出して悪かった。


 謝罪する私に片手をひらひらと振ったものの、兄上の表情は芳しくない。

 その理由を私は知っている。何せ、半年ほど前に相談を受けたからだ。


「言うに事欠いて「孤児院の院長に拾われた日がバースデーか?まあそれも覚えてないんだけどねHAHAHA」とかふざけてるのかあいつ……!感情の置き所に困るだろうが……!」


 相談の一端をなんとも複雑そうに零された後、大きく溜息を吐いた兄上が改めて私の方へと向き直る。


「任せていた書類を引き取りにきた。押印は済んだか?」

「ええ、もちろんです」


 そう言って歩み寄ってきた兄上に、先ほど検分を終えた書類を手渡した。

 それに目を通し始めた兄上の顔を見つめる。

 ご自分の生誕を祝うという名目にも関わらず、舞踏会開催にあたって多くの仕事を割り振られたそのお顔は普段より疲れているように思えた。肉体的な意味で、ではない(もちろんお体の疲労もたまっているだろうけれど)。精神的な意味でだ。


「兄上」

「なんだ」

「兄上の仕事は私がいくらかお引き受けできます。その間、フレール嬢の元に足を伸ばされては?」


 だから、思わずそんな言葉を口にしてしまった。


 フレール。

 スール専属のメイドであり、かつて血迷いかけた私を止めてくれた恩人でもある少女。そして、兄上が今最も関心を寄せ、思慕を向けている存在である。

 主と使用人という間柄ではあるものの、スールとはまるで本当の姉妹のように仲睦まじい。その仲の良さは、ルクスリア公が折に触れてそのことを口にしているので(フレールと一緒にいる時のスールは特に愛らしく見えるので気持ちはわかる)社交界では有名になっている。本人達はおそらく知りもしないだろうけれど。


 だからか(兄上の想いには長らく無頓着だったにも関わらず)私がスールに想いを寄せているのをスールより早く感づいていたようで、あまり私にいい顔はしてくれない。そういう点では、私の一番の好敵手はあのメイドである。

 王子という垣根を超えた態度は居心地がよいので私としてはもっと仲良くしたいのだが(不思議と彼女に対する好感度は最初から高い)、なかなか難しいところだ。


 最後に兄上がルクスリア家に赴いたのは私の誕生日、すなわちひと月半前だ。

 兄上が彼女に思慕を寄せてから最長ではないだろうか。私が兄上と同じ立場なら耐えられないだろう(今こうして我慢していられるのは、スールから贈り物を受け取ったからに他ならない)。

 あの少女と会うことを、兄上は心のよりどころとしておられる。激務の最中でここまで間が空けば、精神的疲労もたまるというものだろう。ならば少しでも顔を見て、癒された方がいいのではないだろうかと思ったのだ。

 しかし私の言葉に、兄上は小さく肩をすくめた。


「そうしたいのも山々だがな。スール嬢の手紙で、舞踏会の準備で忙しいから相手ができないと言われたんだろう?なら、傍仕えのあいつだって同じのはずだ。忙しいとわかっているところに出向くほど、がっつくつもりはない」


「男としての矜持もあるしな」と言いながら、もう一度肩をすくめられる。

 その横顔は決して強がったものではない。それがなぜかも、私は知っていた。


「……喜んでくれるといいですね、フレール嬢」

「ああ」


 私の言葉に、兄上は優しく微笑まれた。

 つられるように笑みを浮かべながら、少しだけ羨ましくも思う。フレール嬢にもだが、それ以上に兄上に対して。


(私も、もっと想いを伝えたいものだ)


 しかし、焦ってはいけない。

 こちらを異性として意識した上で、拒む素振りを見せない態度。何より、王族という絶対的な立ち位置。私にとって有利な条件が揃っているのだ。ここで急いて台無しにしてしまうのは愚か者の所業だ。


(……あと一年)


 一年後。私の生誕を祝う舞踏会の時。

 その時まで、じっくりと距離を詰めて行こう。


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