第49話:兄妹、世界のことを識る

「世界……そのもの?」


 話が急に壮大になったな?

 いや、それを言うならさっきからだいぶスケールはでかいけども。

 そんな気持ちが顔に出ていたんだろう。司教はまた溜息をついてみせてから、出来の悪い生徒に勉強を教える先生よろしく話を続けていく。


「正確に言うなら、世界の端末、らしい」

「たんまつ」

「負の想念の集合体の中に残った、『フレール』という人間の善性と言う方が適切だろうな。それがフレールという人間の精神が大きく乱れたのに呼応し、一つの人格として確立されたのではないかというのが女神の見解だ」

「えっと……えーっと……?」

「『フレール』の善性が、第一王子とのごたごたで弱ったお前を放っておくことをよしとしなかったんだろう。歪んだ性癖はともかく、お前が後悔しないよう後押しに尽力していたと聞くからな」

「あー、なるほど……」


 噛み砕かれた説明で、言いたいことがようやく頭に入ってくる。

 要するに、悪いフレールの中に良いフレールが生まれて、それが素フレールとして俺の前に現れたり、階段から落ちたりしたってことだろう。なるほどなと思う一方で、同時に疑問が頭をもたげる。


「でも、なんで俺だけそんな特別扱いになるんだ?」

「お前がこの世界にとって特別だからに決まっているだろう、そんなもの。この世界の土台になっているのがなんだと思っているんだ」

「……あー?」

「まあ、そうよね。フレールの恨みつらみでできた世界なら、その世界でフレールとして生きているお兄ちゃんに何もないって方が不自然だし」


 いまいち実感が湧かない俺、うんうんと何やら納得している妹。

 なんで飲みこみが早いんだお前と、思わず視線を向ける。


「だって、設定だけなら漫画とかゲームでよく見るし」

「オタク力がこんなところで役に立つのか……」

「オタク力っていうか、考察力?まあ、私は考察厨ってほどディープな方じゃないけど」


 お前がディープじゃなかったら一体どんな変態がディープに分類されるんだ。

 いや、これを考えるのは話が脱線するな。脇に置いておこう。


「でも、元々フレールという人間が特別なら……というか、フレールの集合体と密接な存在なら、集合体に人格が生えたところで劇的な変化は起こらない気もするけど。もしかして、善の部分が独立したことで悪い部分が凶暴化しちゃったとかそういう感じなのかしら」


 そんなことを考える俺を後目に、妹は司教に疑問を投げかけた。

 おお、なんかそれっぽい質問だな……。これが考察力とやらか。

 司教的にもこの質問は良いラインを攻めていたようで、満足げな笑みがイケメンフェイスを彩った。


「ああ、それが最大の要因だろうと女神も言っておられたし、僕もそうだろうなと思う。元々ひとつだったものが善悪という指向性を持って分かたれたことで、結果として悪性が強調されてしまったんだろう」

「最大ってことは……他にもあるの?」


 えっ、どうした妹。

 なんかさっきからIQ高くない?お兄ちゃんを置いて作風の鞍替えしている?

 思わず不安を感じる俺。

 そんな俺に構うことなく、話を進める美男美女。


「今まで集合体は、強制力・補正といった呪いを適用するだけの機構に過ぎなかった。おそらくそこには、何かを成そうという意志はなかっただろう。しかし、善の人格が我を持ち、フレールに干渉を行ったことで、『干渉ができる』ということを総体が認識してしまったのも要因の一つだろうな」

「あー、いじめられっ子が、自分が報復手段を持ってることに気づいちゃった的な?」

「端的に言うなら、そういうことになるな。もっとも、一番この微小世界の原型に引っ張られるのも集合体であり、故意に悪意を成すにしても原型から逸脱したことはできないというのが女神の認識だ。実際セザール・ルクスリアの一件でも、死の結末に向けての整地は行われたが、セザール・ルクスリアが凶行に走ろうとしたのは状況が整ってからだったからだったと聞く。つまり、ある程度原型に即していなければ凶行は起こらないということだ」

「えっ、あれって悪のフレールのせいなのか!?」


 話に混じれなかった寂しさも手伝い、つい食い気味に口を開く。

 驚くと同時に腑に落ちる。

 急に体調を崩したセザール様の師匠に、突然上から落ちてきた植木鉢。何より、セザール様が自室で見たというフレールの姿。

 偶然だとか不運だとかただの夢だったとか。一つだけ見ればそういう言葉で片付けられるが、連続するとなるとそれだけで済まない何かを感じてしまうそれらが、誰かがそうなるように仕向けたものだというのは、このふざけた世界では説得力があった。


「セザールお兄様の凶行……?」


 あ、やべ。


「お兄ちゃん、お城では何も起きなかったって言わなかったっけ……?」

「えーっと、その、あの、はい」

「……お兄ちゃん、あとでゆっくりお話聞かせてね?」

「は、はい」


 有無を言わせないプレッシャーに負け、大人しく頷く俺。

 だ、だって既に終わったことを報告して、妹が胸を痛めたりセザール様への心証が悪くなったりするの嫌じゃん……?お兄ちゃんとして妹を気遣ったっていうか……な?


 心の中で言い訳をする俺。

 そんな俺を「話してなかったのかよお前」とでも言いたげに呆れた顔をする司教。


「妹の方も僕のところへやってくるよう、ルクスリア公からお前を借り受ける期間を長めに設定しておいて正解だったな。妹の方が想定より理解も早かったし」


 やれやれと、そんなことを言いながら肩をすくめる。


「最初から俺と妹をまとめて呼び出す方が賢いんじゃないですかねーっ」

「供につけるメイドを指名するのは不自然だし、仮にそうしたとして、素直に二人揃ってやってくるとは思えんがな」

「ぐう」

「お菓子のレシピを請うという隠れ蓑を使った方が、事前に司教が誰なのか詳しく調べられる可能性も低い。実際、お前達は俺が司教になっている可能性までは思い至らなかったようだしな」

「ぐぐう」


 苦し紛れの当てこすりは一瞬で論破された。

 よそう、変な対抗心を出すのは。妹にもすげー呆れた顔されているし。


「それなんだけど」


 兄に対して遠慮なく冷たい眼差しを浴びせた後、妹は本題に入れるとばかりに口を開く。


「私とお兄ちゃんをわざわざ呼び出してまで伝えたいことって、結局何なの?」

「最初に言っただろう、女神はそいつに世界の救済をお望みだと」


 それに対し、司教は軽く肩をすくめてみせる。


「集合体……お前達が言うところの悪のフレールは、人間のフレールを狙い始めている。原型の中心たる『主人公』の死と同時に微小世界が即時崩壊するということはないが、一度誰かを殺めればもう止まらないだろう。『フレール』が恨んでいてもおかしくない人間達も同じように葬り、やがて世界を滅ぼす災厄になりかねない」

「マジかよ……」


 最悪俺が人身御供になればいいのではという考えが、一瞬で潰される。

 それ、俺の次に真っ先に狙われるのはスール、つまり俺の妹じゃん。

 あるいは、フレール達が怨念を抱くきっかけになった隠しルートの攻略対象、ジャン=クリストフ・ジャック。

 どちらにしても、俺が大事にしている人間だ。

 二人の命が危ないというのは看過できない。

 ……でもなあ。


「そうは言っても話を聞く限り、チート能力なんて持たないただの女の子になんとかできるようなことには思えないんだけど……」

「そ、そうだそうだ」


 妹の言葉に、脳裏に浮かんだ考えを振り払いながら力強く同意する俺。

 今でも城までウォーキングしているから健脚には自信あるが、水仕事が激減したから全体的な筋力は落ちている。認めたくはないがどこに出しても恥ずかしくないか弱き乙女に堕ちてしまった俺に、世界そのものと戦えなんて無理ゲーもいいところだ。

 だが、これに関しては司教も真面目な顔を崩さなかった。


「いや、あながちそうでもない。原型の中心たるフレールだからこそ、成せることはある。方法はやはり女神からの受け売りだが、理に適ったものであると僕も感じている」

「ほぉん…?」

「で、その方法ってのは?」

「簡単なことだ。終わらせればいい」

「……終わらせるだぁ?」

「そうだ。原型になっているのは一つの物語なんだろう?集合体が物語から逸脱しない範囲でしか手が出せない以上、結末を迎えてしまえばもはや干渉のしようがない」

「えーっと……、つまり?」


 自分で考えるのをやめ、この件に関しては俺より呑み込みが早い妹の方を見る。

 妹はしばらく唸るように考え込んだ後、ハッと弾かれたように顔を上げた。


「あーっ。つまり、完結した物語には展開も何もないからいじりようがないってこと?」

「そういうことだ」

「つまり?」

「放送中のドラマならプロデューサー権限で展開も変えられるかもしれないけど、放送が終わったドラマにはそれが無理ってこと。要するにこの世界、まだ未完結なのよ」

「……あー!なるほど!」


 妹の現代日本風翻訳に、思わずぽんと手を打った。

 つまり、この世界は言うなれば連続ドラマの真っ最中なわけか。

 プロデューサー権限やら役者のアドリブやらで台本にない展開も起きるけど、台本がある以上、そこから外れすぎることは誰にもできない。現代ドラマをいきなりホラーSFにはできないように。そして、どんな横暴プロデューサーでも、ドラマが終わってしまえば何もできない、と。

 なるほどな~!

 感心して二回なるほどと言ってしまった。


「それなら確かに俺でもなんとかできるな」


 この世界の原型である乙女ゲーム『サンドリヨンに花束を』は、フレールが主人公だ。つまり俺がハッピーエンドになるなりバッドエンドになるなりすれば、絶対にこのゲームはエンディングになる。いや、バッドもデッドもごめんだけど。

 にわかにテンションが上がってきた俺とは対照的に、妹は渋い顔を浮かべた。

 渋面もとんでもなく可愛い、さすがスーパー美少女。


「……でも私、今のルートやったことないから何がエンディングになるかわからないんだけど」

「あっ」

「そこは女神が夢見に干渉すると言っていた。断片的にはなるだろうがな」


 そんな妹の一言に我に返る俺。

 すかさずフォローを入れる司教。


「この前も思ったけど、なんで断片的なんだ。俺は対面して会話できたし、お前にめちゃくちゃ知識授けてるんだから、今回もそうしたってよくない?」

「それができるなら女神とて出し惜しみはしていない。特定の状況下を除いては断片的な干渉しかできないんだ」

「そっかあ……」


 でもあいつ、面白半分で断片的にしか情報流さないとかしそうなんだよなあ……。

 怒られたくないから口にはしないけど。


「今不敬なことを考えたか?」

「カンガエテマセン」


 速攻で察知された。やめろよ、エスパーかよ。


「……で、どうするよ妹」

「うーん」


 話を逸らすべく、俺は妹に会話の矛先を向ける。

 妹は相変わらず渋い顔をしていたが、やがて小さく溜息をつきながら肩から力を抜いた。


「女神様からのメッセージって、他にある?」

「いや、これだけだ」

「そっかあ。……うーん、なんかもやもやはするけど、それしかないか」


 その返事を持って、自分の役割を終えたと判断したのだろう。

 司教は手つかずだったお茶を一気に飲み干すと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「さて。それじゃあ台所を仕切っているシスターを呼んで来よう。建前の目的を果たさないまま帰すわけにもいかないからな」

「うっす」

「今お前達に教えた以上のことは僕も知らないが、何か相談があれば次に来る日にでも持ちこむといい。迷える子羊の話を聞くのもまた、僕の仕事だからな」


 そう言う司教は、まさに慈愛に満ちた聖職者のお手本みたいな顔をしていた。

 い、イケメン……!

 不意打ちのイケメン顔に妹ともども見惚れる。そうしているうちに、司教はさっさと部屋を出て行ってしまった。

 扉がばたんと閉まったところで、俺達は仲良く我に返る。


「帰ったら久々に作戦会議ね……」

「だなあ」

「あ、もちろんセザールお兄様のことも話してもらうからね?」

「ハイ」


 忘れてなかったか、ちくしょう!




 俺達はこの時――いや、事が起こるその瞬間まで、すっかり失念していた。

 終わったドラマには誰も手は出せない。

 しかし、特別編スペシャルという形でいくらでも蛇の足を足せるということを。


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