第32話:兄、好感度を稼ぐ

 お城なう。

 正確には城の通用口的なところの近くに、俺は立っていた。

 手にはバスケット。中には試作を重ねてふわふわ感がアップしたシフォンケーキが入っている。日持ちしないものだから、今日中にはこのふわふわも減ってしまうのが悲しいところだ。得てして苦労した時間と持続時間は釣り合わない。

 俺がなんでこんなところにいるかって言ったら、そりゃあもうクリス王子好感度アップ大作戦(命名:妹)のためである。

 好感度アップはコツコツの積み重ね。千里の道も一歩から。

 よく考えなくても既に攻略したも同然みたいな相手に好感度アップもへったくれもない気がするんだが、細かいことを気にしてはいけない。

 それよりも今は考えなくてはいけないことがある。


「さーて、どうやってコンタクトとるかな……」


 あいつがうち(というかルクスリア家)に来る時がそうであるように、こっちだってアポイントなしでのお宅訪問である。クリスが来るならともかく、ルクスリア家の人間がアポありで城に行くとなるとややこしいことになりそうだから、俺の方はやむなしのアポなし訪問なわけだが。

 アポイントをとっていないということは、クリスは俺がここにいることを知らないということだ。あいつがエスパーじゃないことはわかっているので、いくら念を飛ばしても受信されるわけがない。

 前回はたまたまいー兄さんと会えたからすんなり事が運べたが、今回はさすがにそうもいかないよな。


 1、通用口から出てきた使用人に言伝を頼む

 2、こっそり城内に忍び込む

 3、通用口の中心で愛を叫ぶ


 3は論外。どこの映画だ。いやあれ原作は小説だっけ?

 2もまあなし。クリスやいー兄さんに見つかったらセーフだが、それ以外の奴に見つかってしこたま怒られる。っていうか怒られるだけですんだらラッキーで、普通に罪人としてブタ箱にぶち込まれかねない。

 そうなると消去法的に残るのは……。


「……お」


 そんなことを考えていると、城の下男っぽい奴が通用口に向かって歩いている姿が目に留まった。

 色んな意味でちょうどいい。どこかに行かれる前に、俺は慌ててそいつの方に向かって駆け寄った。


「あの、すみません」

「なんでしょう?」

「あの……」


 足を止めてくれた下男に用件をそのまま言いかけ、寸でのところで言葉を飲み込む。


「イーラ様に、言伝をお願いしたいのです。ルクスリア家のフレールが通用口で待っていると言えば、伝わると思うのですが……」


 そして、代わりにそんな言葉を口にした。

 ついでにルクスリア家の紋章が入ったブレスレッドを見せる。

 黄門様の紋所ほどではないが、貴族ルクスリア家の紋章は身分証としてはばっちり機能する。その証拠に、なんだこいつみたいな表情のマイルド版みたいだった下男の顔つきが変わった。うーん、権力わかりやすい。


「ルクスリア家!ええ、わかりました。お伝えしておきます」

「お願いします」


 ぺこりと、メイドモードで恭しく頭を下げる。

 そして下男が去っていったところで、ふうと溜息をついた。

 あ、間違ってないよ?

 ルクスリア家の紋章があるとは言っても、さすがに王子様を通用口まで連れてきてほしいみたいな伝言を引き受けてくれるわけがないしな。というか引き受けられると、通用口みたいに人目がつきづらいところで会おうとしている意味がない。人の口に戸は立てられない……。

 第一王子であるクリスに対する変な風聞をばらまくわけにはいかねえんだ。

 いー兄さんならいいってわけでもないけど、あの人はこう、因果応報というかなんというか……。色々やらかしているからあまり胸が痛まない。

 それにメイドとしっぽりしているって噂が一つ二つ立ったところで、あれくらいイケメンならまあなんとかなるだろ。ただしイケメンに限るとかいう、フツメンなら唾棄したくなるような格言もあるしな!





 そんなわけで、待つこと十数分。


「やあ、こんにちは可愛いフー。今日はこのイーラに何の用でしょう?」


 下男殿は見事伝令を果たしてくれたようで、にこやかなイケメンスマイルを浮かべた執事長イーラこといー兄さんが俺の目の前に立っている。

 サンキュー下男殿。

 でも下男殿。


「……」


 どうしてオリエンス王国の第一王子様もいらっしゃるんです???

 しかもめっちゃなんか言いたそうな顔でこっち睨んでいるし!イケメンのそういう顔は迫力が三割増しくらいになるからやっちゃ駄目だって学校で習わなかったのか!?

 そんな教育はない?はい!


「……え、えーっと。どうしてクリストフ王子がここに……?」


 いー兄さんの質問に答える前に、ひとまず自分の疑問をぶつけた。

 執事長とメイドの密会(第三者視点)に主が同席しているという、修羅場通り越していっそコントみたいな構図になぜなっているのか。そんな疑問に答えたのは、いー兄さんじゃなくクリスだった。


「下男がこいつに言伝をした時、近くにいてな」

「彼が去った後、クリストフ様が自分も同行すると仰られたので」


 下男てめえ!!

 思わず心の中で下男を責めてしまったが、ジャン=クリストフ・スペルビアはルートがルートなら暗殺者として活躍する男。攻略ルートなのに気配遮断EXっぷりをいかんなく発揮する天性のアサシンだから、これは下男悪くないわ。ごめん下男、てめえとか言っちゃって。

 強いて言うなら悪いのは間が悪いクリスである。お前、なんでそんなタイミングで盗み聞きしちゃったの?


「二人きりの時にしたい話ということであれば、後日こちらから伺いますが?」

「……」

「あ、だ、大丈夫だから……」


 顔が引きつりそうになるのを堪えながら、なんとかそう返した。

 煽るな煽るな!お前の背後にいるクリスのこめかみがぴくぴくしているから!

 ゲーム設定?公式?で腹黒ってことになっているからか、いい性格(良い意味ではない)しているんだよな、いー兄さん。いー兄さんだけに。

 審議されそうな寒いギャグはさておき。


 ……い、言い出しづれえ!

 クリスを呼んでもらうために緩衝剤になってもらいましたてへぺろって、さすがにこの状態だと言い出しづれえ!

 いー兄さんが変に煽ったせいで余計に言い出しづらいのがマジ困る。恥をかくのはいー兄さんの自業自得だけど、俺が事の発端と考えると二の足を踏んでしまう。


「えーっと……」


 人差し指同士を突きながら、視線をさまよわせる。

 そんな俺をいー兄さんは面白そうに、クリスは催促するように眺めていたが、やがていー兄さんがくすりと笑みを零した。


「すみません、冗談です」

「……はい?」

「クリストフ王子に取り次いでほしかったのでしょう?」

「あ、う、うん」


 ずばり言い当てられ、困惑しつつもこくりと頷く。

 頷いた俺を見てさらに笑みを深めた後、いー兄さんはクリスの方に振り返った。


「申し訳ありません、クリストフ様。少しからかってしまいました。私の戯れにお付き合いいただき、ありがとうございます」

「……」


 あ、クリスが苦虫噛み潰したみたいな顔している。

 からかったのは一体どっちなんだって言いたげだな……。

 しかし藪を突いて蛇を出すつもりはないらしい。大きく溜息をつきながら、クリスは城の方を顎でしゃくった。


「先に戻っていろ」

「お仕事がまだ残っていますゆえ、長居はなされぬよう」

「わかっている」


 クリスとそんなやりとりをしてから、いー兄さんは俺の方を向き直る。


「ではフー、また。次は是非、私に会いに来てくださいね」

「あ、うん。……あ、そうだ」


 ふと思いつき、俺はバスケットの中をがさごそと探る。

 紙ナプキンでくるんだシフォンケーキが四切れ。丸ごと包める大きさのがなかったのと、第二王子にでも一切れ分けてくれという気遣いの産物である。そしてそのうちの一切れを、いー兄さんに差し出した。


「いー兄さんも、これ。よかったらどうぞ」

「おや、これはこれは。ありがとうございます、フー。大事に食べさせてもらいますよ」

「日持ちしないから、なるべく今日中に食べてね」

「ええ」


 にっこりと、イケメン執事スマイルを浮かべながら受け取る。相変わらず顔面偏差値が高い。俺がまっとうな女の子なら立ちくらみを起こしそうな笑顔のまま、いー兄さんはクリスに一礼した後、城の中に戻って行った。


「……どうしてイーラに渡したんだ」


 ほどなくして、クリスがそんな言葉を口にした。

 めっちゃ拗ねている。大方、自分の取り分が減ったと思っているんだろう。

 こいつは長男のくせに、時々俺の兄心をくすぐるようなことを言う。可愛いらしい奴めと思わずにやにやしていたら、気持ち悪い顔をするなお前と眉をひそめられた。妹みたいなこと言うのやめてくんない?

 若干ピキりつつも、俺はお兄ちゃんなのでぐっと堪えた。

 いや、別にクリスの兄ではないんだけど。


「元々、ジャック王子に一切れ渡してもらうつもりだったんだよ。いー兄さんには仲介役してもらったし、多分また同じことしてもらうから、そのお礼したっていいだろ?」

「……」

「なんだよ」

「……いや。また来てくれるつもりなんだと思ってな」

「――」


 認識。思考。理解。

 三工程を経た後、俺は口を開いた。


「悪いか!?!?」


 我ながら、まごうことなく照れ隠しの叫びだった。

 呆れられるなり怒られるなりされても全く文句が言えないリアクションだったが、クリスはそんな様子を見せる素振りがない。それどころか、頬を掻きながら照れくさそうにはにかんだ。


「いや、悪くはない。……正直に言って、嬉しい」


 イケメン、しかも未だ認めたくはないが惚れた腫れたの相手にそんなことを言われて、素面で対抗できるほど俺の胆力は強くない。何度だって言うが前世では年齢イコール彼女いない歴である。


「そっか!!じゃあこれ、今日中に食えよな!!」


 もちろん直視なんかできようなく、バスケットを押しつけてそのまま脱兎のごとく逃げようとした。


「ぐえっ」


 逃げようとしたら、首根っこを掴まれた。

 おいこら!


「そこは手首とかだろ!?捕まえるにしても!」

「ロマンチックな引き留め方をしてほしかったら、ロマンチックに逃げろ」

「ぐう」


 ぐうの音しか出なかった。ド正論……。


「まったく」


 そんな俺に呆れた声を向けた後、首根っこを掴んだ手を肩に置いてくる。このまま後ろから抱き寄せられるかと、思わず身構える。しかしその予想に反し、クリスの手は肩から頭の上に移動した。

 そのまま、子供よろしくぽふぽふと撫でられる。

 ええ……。

 抱きしめられたいわけじゃ断じてなかったけど、これはこれで複雑っていうか……。


「むくれた顔をするな」

「してねえし!」

「……まったく」


 同じ言葉で呆れた後、頭から手が離れる。


「仕事が立て込んでいてな。しばらくジャックともどもルクスリア家には行けそうにないから、フレールが来てくれるのは嬉しいことだ」


「さいですか」

「これはティータイムに、ジャックと食べさせてもらうぞ」

「どうぞどうぞ」


 ちゃんと弟にもあげるんだな、さすが長男。

 素知らぬふりして一人で食べてもばれやしないだろうが、妹弟を差し置いてそういうこずるいことはできないのが俺達兄という生き物だからな。うんうん。

 満足げな気持ちで頷いていると、不意に耳たぶが風を感じた。


「うぎゃっ!?」

「さすが前世は男。色気がない声だな」


 くっくっくっと楽しそうな笑い声が耳たぶを揺らす。

 俺は耳を手でガードしながら、思いきりクリスから距離をとった。


「いきなり何してんだよ気持ち悪いな!」

「唇にするのは我慢してやったんだ。耳にキスくらい構わんだろう?」

「唇にされた方がマシだわ!!」

「それなら、お望み通りにしてやるが」

「いらん!!」


 叫びながら、俺は今度こそ脱兎のごとく逃げ出した。

 ちくしょう!見なくても腹抱えて笑っているのがわかるのが悔しい!

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