第6話 桃園の誓い

 今日も劉備はムシロと草鞋を荷車に積み、市場へ向かう。春の陽気は彼女をいつもより遠くの市場へと運んだ。

 騒めきと砂埃が舞い散る雑踏を荷車を引きながら、商いに良さそうな場所を探し求めていると人だかりが見えたので行ってみた。立て看板に朝廷からのお達しがある。今世間を騒がしている黄巾党を討伐するための義勇軍を募っているようだ。


「義勇軍……」


 はあっと大きなため息をつき劉備は通り過ぎると大柄でどんぐり眼のひげもじゃの男が因縁をつけてきた。


「おう、おうっ、なんでえ。このなまっちろい優男は、おめえにもついてるものが付いてるんだろうよ?」


 雑多な民草の中で彼はなぜか劉備だけに吸引されるように因縁をつけ絡む。目が合った瞬間に劉備にも胸に火花のようなものがパチッと燃えた気がして、普段はこのような輩を静かに無視をするところ、それができなかった。

向き合ってむさくるしい男のまん丸い目を見る。大の男なのに子供のような純粋さと熱気を感じ思わずじいっと見入った。


「な、なんでいっ」


 男はなぜか顔を赤らめ下を向く。その様子に劉備は心が温かくなる気がしていた。


「私がため息をついたのは自分の非力さを悔やんでの事です。あなたのように力があるわけでもない。武器もない。老いた母を置いて一人討伐に加わって何の手柄もたてられないことが辛いのです」

「そうであったか。そんな理由でため息をついているとは想像もしなかった。孝なしでは何をしても仕方ないであろうからなあ」


 納得し、頷く大男に親しみを感じ劉備は笑んだ。


「どうだろう。一緒に連れ立って討伐に加われば手柄が立てられるのではないだろうか。今うちに俺と同じくこの世の中をどうにかしたいと思っている義兄弟がいるのだ。これからの事を一緒に話し合わないか?」

「へえ。この世の中を憂いているだけでなくどうにかしたいとお考えなのか。是非!」

「俺は張翼徳と申す」

「私は劉玄徳です」


 劉備は荷車を引いて男の屋敷へとついて行った。


「さあ、こちらへ」


 少し奥まった場所に通され、張飛は大きな声で「雲長の兄貴! 良い御仁を連れてきましたぜ」と叫ぶ。


「さあさ、玄徳殿」


 促され入った部屋には張飛よりもさらに大柄で鋭い目に艶やかな長いひげを蓄えた男が座っている。


「劉玄徳です」

「わしは関雲長と申す」


するりと髭を撫でじいっと見つめてくる関羽の瞳はまるで深い海のようである。


「まずはいい出会いに乾杯しましょう!」


張飛は酒が飲みたいのか乾杯がしたいのかわからぬ風情で盃になみなみと酒を注ぎ、二人に促す。

劉備は女であるが男として生きてきたので酒にたしなみもあり、良い飲みっぷりを見せるが品位を崩さなかった。

関羽は張飛が気に入った男とは珍しいと劉備を良く見つめたがなぜか目を見ていると居心地の悪さと同時に心地よさを感じ、酒に酔ってしまったのかと張飛に茶を所望する。


「おかしいなあ。これは上等な酒ですぜ。いつもはざるなのに」

「うーむ。わしにもわからんがなんだか不思議な心持なのだ」

「まあ、俺もそうなんですけどねえ。劉備殿は平気ですか?」

「ええ。私はあなたたちに会えてとても嬉しく思っています。ただ……」

「ただ?」

「これだけもてなしていただいて、天下への志を聞かせていただいたというのに、私には志しかない……」

「どういうことですかな」


 劉備はまず自分が漢王朝の末裔であることをのべた。その話だけで関羽と張飛は十分にこの劉備に対する敬愛の念を納得する。

押し黙る劉備に張飛はしびれを切らす。


「ええぃ! 玄徳殿、はっきり言ってください! 俺たちがふがいないとか? こんなに心を砕いて話し合っているというのに!」


 張飛の真剣な眼差しに劉備は決心をし、酒を飲み干し一言発する。


「私は女なのです」


 目を見張る二人に挟まれ時間が止まったようだった。


「なんと……それで……」

「うーむ。そのせいであったか」


関羽と張飛は顔を見合わせて納得した表情で頷き合っている。


「だますつもりはありませんでした。勿論私も天下が平定され皆が安心して暮らせることを願っているのです」


まっすぐな劉備の表情を関羽と張飛はまぶしく感じこの人こそ我々が仕えるべき人であろうと思い始めていた。大の男でさえその日の食い扶持と目の前の欲望のために生きている。

劉備は女人でありながら高い志と気品に満ちた稀有な人物なのだ。


「玄徳殿、いや我が君、あなたを主君として仰ぎ終生お守りし、天下泰平を成し遂げましょうぞ」

「ああ、雲長兄貴もそう思うか! 俺もそう思う!」

「ああ、頭をあげてください。私には武力も権力も経済力もありません。ただ漢室の末裔というだけであなたたちを配下になどとてもとても」

「いいえ! もうあなたについて行くことに決めました。理由など、漢室の末裔というだけでも十分ではありませんか」

「わしは命に代えてあなたをお守りします。あなたほどの徳のある人を見たのは初めてです」

「なんと頼もしい。あなた方がいれば1万の大軍にも匹敵するでしょう。しかし主従というよりも義兄弟として契りを結びたいがいかがでしょう」

「おお! 義兄弟の契りを結びましょう」

「それはいい考えだ。場所を変えて改めて契りを結びましょう。良いところがあるのだ」


張飛はどんぐり眼を嬉しそうに輝かせ、屋敷の裏へと誘う。そこは桃の花が満開で甘く芳しい香りが漂っている。


「なんと。ここは桃源郷のようですね」

「玄徳の兄者、張飛はこう見えて可愛らしいものが好きなのですよ」

「いやあ、お恥ずかしい。お、ここの枝ぶりが玄徳兄者にとても良く似合いそうだ」


張飛は鋭い刃物でスルっと一輪の桃の花を切り落とし、劉備に差し出す。


「美しい……」


2人の豪傑は美しいのは兄者の方だと心の中で何度もつぶやいた。

男装をして化粧っ気がまるでない劉備は男とも女ともわからぬ無性でありながら、意志の強さとたおやかさを両方持つなんとも言えない魅力を醸し出していた。男だと言われれば納得するが女だといわれるとまた納得するだろう。


 関羽は故郷の一面真っ白い塩池を思い出す。そして劉備、この人こそ汚れない煌めく清らかな塩池そのものなのだと感じる。彼女の側に居ると故郷の塩池に帰り、自分の心の中まで純白になっている気がする。

 張飛はまるで全てを委ねられる心持であった。その日その日を気軽に浅薄に生きてきたが、今、深遠なものに触れる気がした。獣の肉引き裂き、その血で汚れた手が清らかな水で洗われるようなそんな心持である。


「私たちは異なる年月日に生まれましたが死ぬときは同じ年月日でありたいものです」


 関羽と張飛は二人でこの人を命がけで守り抜くのだと誓い合う。

 桃園で契った三人はこれから誰も仲を裂くことが出来ない義兄弟としてこの乱世を駆け抜けるのだった。

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