8. 五月十五日:家康来訪、饗応
五月十五日。遂に徳川家康一行が安土に到着した。
「よう参られた、三河殿」
安土城の正門に出て信長は家康を出迎えた。その後ろには小姓の森蘭丸や接待役を務める光秀の姿もある。
徳川“三河守”家康。この時、齢三十九。丸顔でやや小柄な体躯ながら、筋肉質で引き締まった体格をしていた。
家康は長旅の疲れを見せることなく、ニコニコと微笑みを浮かべながら身分が低い者に対しても丁寧に挨拶していた。
「右府殿御自らの出迎えとは、恐れ入ります」
「何を申されるか、三河殿。織田と徳川は長きに渡り盟約を結んできた間柄。賓客を迎えるなら亭主が出迎えるのは当然のこと」
恐縮する家康に対して、鷹揚に振舞う信長。この二人の付き合いは長い。
家康は幼少期に今川の元へ人質に送られる途中、家臣の翻意により織田へ引き渡された。およそ二年間、人質として織田の本拠である那古屋に留め置かれたが、その頃に信長は家康の下を訪ねて親交を重ねていた過去がある。
その後家康は人質交換という形で駿河に送られ一時は敵味方の関係となるが、桶狭間の戦いによって今川義元が討たれると互いに一国の大名という立場で再会。同盟を結び、以来二十年に渡ってその関係は堅持されてきた。その証として家康の嫡男と信長の長女が結婚して、縁戚関係にまで発展した。
戦国時代における同盟関係というのは実に脆く、情勢が変化すればすぐに破棄してしまうことも頻繁であった。織田・徳川のように二十年にも渡って継続するのは極めて稀有な例だ。
しかしながら、現在はその関係性に変化が見られた。織田が勢力を拡大していくと、徳川に対する扱いが徐々に変化していった。織田家は表向き徳川家を対等な立場のように扱っているが、実状は織田と提携する下請けのような状態であった。それを象徴するように、三年前には家康の嫡男と正妻が武田と内通した容疑で二人を殺害するよう信長に命じられ、家康は苦渋の決断の末に信長の要求に従った。
それでも、信長は安土を訪れた家康一行を丁重に迎え入れる姿勢を崩さなかった。逆に家康は主客でありながら隅々に至るまで配慮を重ね、失礼が無いように振る舞っていた。
何とも奇妙な関係ではあったが、その場に居る誰もが違和感を覚えることはなかった。それから信長が先導する形で城の中へと入っていった。
(……つまらん)
能舞台を観賞する信長は欠伸を噛み殺しながら心中で毒づいた。
家康一行の来訪を歓迎する目的で催された能楽であったが、演目が当たり障りのない退屈なものだった。演者も京から招いたのだが、新鮮味に欠ける。
そしてまた、主役であるはずの家康も楽しんでいる風には見受けられなかった。元来家康は能楽には関心が薄い人であることを信長は知っていたので『ただ演舞を見ているだけ』なのだろう。
だが、信長は自らも幸若舞を演じるほど、能楽に対して知識も経験もあった。光秀の選択は決してハズレではないが、斬新さや奇抜さが感じられなかった。それが信長には退屈で仕方なかった。
恐らく光秀は伝統と知識に則ったやり方で家康を饗応していく腹積もりなのだろう。畿内各地から食材を集め、京から選りすぐりの料理人を招いて豪華な膳で相手を喜ばせる。確かに、貴賓を応対するならば正しい選択だ。
ただ、家康は言い方が悪いかもしれないが田舎の大名だ。流行の先端を行く畿内の文化を目の当たりにさせることで、家康を驚かせ楽しませる方が良いのではないか。俺ならばそうした面から趣向を凝らして準備をしていただろう。
光秀は奇を衒うことを何よりも恐れている。相手に粗相のないよう、失礼のないように細心の注意を払う。分かりやすく言うならば、常識の枠内からはみ出さないようにしている。
しかし、常識とは何世代にも渡って受け継がれた慣習や仕来りの積み重ねであって、それは時代の変遷によって形が変わっていくものでもあると俺は考える。鉄砲が南蛮より渡来したことにより戦の形式は大きく変わった。無敵の騎馬軍団を擁して周辺諸国を震え上がらせた武田家も、大量の鉄砲を前に成す術なく敗れ去っている。昔からのやり方が今も正しいとは限らないのだ。
だから、俺は若い頃から常識を疑い、時代に即した方法か検証を重ねた。古い価値観を尊ぶ連中は俺のことを“うつけ”だと嘆き、影で嘲った。それでも、誰が何と言おうと俺の考えを貫いた結果、天下人に最も近い存在にまで成り上がった。
思えば、俺の半生は旧来の価値観を持つ者達との戦いの連続だった。朝倉や武田といった地方の名門大名、延暦寺や本願寺といった宗教勢力、形骸化していることを頑として認めようとしない幕府と将軍。それ等が手を携えて抵抗してきたのは流石に骨が折れた。何度「これまでか」と追い詰められたことか。それでも切り抜けられたのは運の援けもあるだろうが、俺の価値観が時代に受け容れられたことが大きい。
……光秀もあれで昔は時代の流れを機敏に読める人間だったが、今は見る影もない。目の前で行われている能楽を眺めている信長が光秀に対して抱いた感情は、苛立ちではなく悲しみであった。その心境を表に出すことなく、仏頂面で舞台を見つめていた。
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