7. 五月十日:信仰の自由
五月十日。
この数日の間に晴豊の面談や家康を迎えるための準備、滞っていた決裁の処理など政務に忙殺されていた信長は、気晴らしも兼ねて市中へ出掛けることにした。供は蘭丸一人だけ連れる身軽な散策であった。
まず始めに向かったのは吉利支丹が多く集まる南蛮寺。数年前に京で宣教師と謁見した折、余程楽しかったのか安土での布教を許可しただけでなく建物を建てる土地も提供した。日頃仏教勢力に辛く当たっていたのとは対照的な厚遇ぶりである。
聞いた話では日に日に入信者が増えており、今では門前に物見目当ての人垣が出来る程に盛況していた。街道に近い場所のためか、旅人と思しき人も遠目から眺めている。
「凄い人の数ですね」
「で、あるな」
感嘆の声を上げる蘭丸に対して、関心が薄いのか素っ気無く返す。
異国の地から伝来した宗教ということで目新しさや物珍しさから入信する者も多かったが、既存の仏教に嫌悪した人が本気で宗旨替えを望む人もある程度存在した。世の中でも、旧来の勢力が幅を利かす今の状況に辟易して新興勢力に乗り換える流れが生まれているらしい。
金色の鐘が打ち鳴らす澄んだ音色、信者達が声を揃えて唄う賛美歌、聖女を象った白い像。それら全てが仏教に慣れてきた人々の心を刺激した。
ただ、城下の寺院からは南蛮寺に関する苦情が日々訴えられたが、信長はこれを黙殺した。一度布教を認めた以上は庇護していく姿勢に変わりはなく、そもそも門徒が減るのは自分達が食い止める努力を怠っているからだと信長は考えていた。衰退していく者が淘汰されていくのは自然の真理であり、別に片方へ肩入れしている訳ではなかった。
その様子を確かめると信長は満足気に頷いて、それから馬を進ませて移動した。南蛮寺の周辺は大変混雑しており、いつまでも乗馬している者が立ち往生していると通行の邪魔になる。
ゆるゆると馬の好きなように進ませていくと、民衆が多く居住する宅地へ差し掛かった。往来では商店が軒を連ねて活況に沸いていたが、ここは一転して静かであった。母親と思しき女人が洗濯していたり、細い路地で子ども達が道の真ん中で遊んでいたり。ここで生きている人々の営みがそこかしこで見られる。
そんな家々に混じって頑丈な門扉を構えて土塀で囲われている邸宅が散見される。武家の屋敷は何箇所かに分けて固まっているため、このような場所にポツンと存在するのはまず無い。中からは読経の声や木魚を叩く音が漏れ伝わってくる。お寺であった。
近隣の村々から人々が移り住むのに合わせて周辺の寺院も安土へ移転してきたのだ。日蓮宗、一向宗(浄土真宗)、真言宗とその宗派も様々である。
すると信長は一軒の寺の前で馬を止めると、そのまま下馬して手綱を門前に繋いでしまった。蘭丸も慌ててそれに倣う。
ずかずかと敷地内へ入っていくと、足音を耳にしたのか一人の僧侶が姿を現した。
「暫し休息したい。済まぬが水を頂けぬか」
「……どうぞ」
突然の来訪にも関わらず、僧侶は落ち着いた対応で迎え入れてくれた。無論この訪問者が安土城の主とは思っていない。手水場で口と手を濯ぐと本堂の縁側に腰かけた。程なくして先程の僧侶が水の入った器を二つお盆に載せて運んできた。信長は僧侶の気遣いに頭を下げ、器を受け取る。
安土城の中では天下様として扱われているが、今は一人の参詣者。分を弁えて殊勝な態度で接する。巷では信長は気短で傲慢横柄な性格と噂されているが、織田家当主の立場以外の信長は文化人として相応の振る舞いをしていた。
わざわざ井戸から汲んできたのだろうか、水はひんやりと冷たい。その小さな心遣いがありがたく、心地いい。
「上様、一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
不意に蘭丸が尋ねてきた。信長は無言で先を促す。
「どうして一向宗の布教をお認めになられるのですか?」
現在安土では南蛮寺が突出して人気を集めているが、城下には仏教の寺院が数多く点在していた。名刹の多い京は例外としても、清洲や岐阜と比べてその数は圧倒的に上回っていた。
信長はこれまで、既存の宗教勢力と抗争を繰り広げてきた。敵対していた大名へ露骨に肩入れした延暦寺は見せしめに焼き討ちにしたし、伊勢長島で発生した一向一揆では老若男女を問わず虐殺したし、石山本願寺に至っては十年に渡り熾烈な攻防戦を繰り広げてきた。容赦ない仕打ちに仏教関係者は信長のことを“仏敵”と呼び心の底から憎まれていた。
過去の経緯から大量の怨みを買っている織田の城下町で一向宗の門徒が増えれば、将来的に禍根を残すのではないか。蘭丸はそれを危惧していた。
しかし、信長は蘭丸の懸念を一蹴した。
「民衆が何を信じようと勝手な話だ。好きにさせればいい」
手にしていた器を一口啜るとさらに続ける。
「人という生き物は、他人から自由を制約されるのを極度に嫌う。もし仮に、元々あった自由が脅かされたとすれば人々は身命を賭して戦うことを選ぶ。先々の危機を用心して下手に手を打つより、多少寛大な姿勢を示しておいた方が不平不満は蓄積されない」
統治していく中で非効率な方法には介入してでも改善させるが、信仰心や居住権といった人が生きていく上で大切な事項に関して信長は一切触れていなかった。
そもそも一揆が起きるのも過重な年貢や労役の負担が原因で、“生きるために仕方なく”起きるのが大半だ。石山本願寺との対立も、信長が求めた寺院の移転(代替地も用意した)に本願寺側が反発したのが発端であり、信長もここまで反発されるとは思っていなかった。誰かが意図的に唆して一揆が起きるのは極めて稀で、伊勢長島は本願寺の檄文を受けて蜂起したのがそれである。
事実、信長が石山本願寺と全面戦争に突入した後も、尾張や美濃など領内に点在する末寺に報復措置を行わず、以前と変わらず布教の自由を認めていた。全国各地で大名や地侍に反発した一向一揆は頻発していたが、尾張でも美濃でも一向一揆は起きていなかった。これこそ、信長の施策が一般庶民に広く受け入れられている証でもあった。
「蘭丸よ。何事も程々が肝要ぞ。民百姓に窮屈な思いをさせれば、必ず人心が離れて崩壊を招く」
若かりし頃から庶民と分け隔てなく接してきた信長が導き出した答えを、訓戒として授けた。この先、一国を預かる可能性のある若者へ向けてささやかな助言であった。
「坊主、馳走になった」
器を縁側に置くと、奥に向けて謝辞を伝えた。蘭丸も中身を一気に飲み干すと空になった器を隣に添える。
門前へ出ると信長は再び馬上の人となった。遠くに聳え立つ安土城の天守を仰ぐと、今日も日の光を浴びて絢爛に輝いていた。
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