応援コメント

3. 四月二十二日:遠乗り」への応援コメント


  • 編集済

    この度は当方の企画〝歴史好き集まれ〟にご参加下さり、誠にありがとうございます。ちょうど、当方も武田征伐を書こうとしているところであり、この小説は参考になる点も多そうなのですが…。それだけに織田信長の官位が気になります。上総守ですか?天正10年と言えば織田信長は右大臣を辞めた辺りではないかと存じます。この間の織田信長はなんと呼ばれていたかちょうど気になっていたのです。上総守は確かな呼び名なのでしょうか??
    →丁寧なご返答ありがとうございます。前右府で考えていたので、え?ってなりました。私称ならば上総守もありかもしれませんね。

    作者からの返信

     > アサシン 様

     初めまして。この度はコメントして頂き、ありがとうございます。それと、返信遅くなりまして、申し訳ありません。

     ご指摘頂きました、官位についてですが……。
     確かに、信長は天正5年11月に右大臣に任じられました。しかし、翌年の天正6年4月に全ての官位官職を辞しており、それ以降は無位無官の状態が続きます。
     従いまして、公家などの朝廷関係者は信長のことを“前右府”と呼びます。
     また、当時の武家は自分で勝手に官名(例:筑前守)を名乗る事が常態化しておりました。一応、信長の上総守・上総介については朝廷から正式に与えられたものですが、先述した通り作中の天正10年については無位無官の状態ですので、勝手に名乗っている……という解釈をしていただけると幸いです。
    (※以上、wikipedia『織田信長』『武家官位』を参考にしております)
     天正10年は2月に甲州征伐、4月21日安土帰還、6月2日本能寺の変という流れで、この作品は甲州征伐から帰ってきてから京に発つ約1ヶ月を題材にしております。もし、お時間がありましたら続きも読んで頂けると嬉しいです。

     長々と失礼致しました。アサシン様も是非頑張って下さい。応援しています。

     佐倉伸哉