第10話

 時間になると、すぐさまライブが始まった。

「私達は、フォルクローレというジャンルの音楽を演奏しています。フォルクローレというのは中南米の民族音楽全般のことをいうんですが、日本ではアンデス地方、ペルー、ボリビア、エクアドル、アルゼンチンなどの音楽を指していることが多いですね。

 私達も、南米の音楽ばかりを演奏しています。以前は色んな国のを演奏してたんですけど、最近、エクアドルのサンファニートという形式の曲ばかりになってしまっています。何故かというと、グループのリーダーが、サンファニート好きだからです」

 今まで砕けた口調で話していたマスターが突然敬語で話し始めたので、笑いそうになる。

「リーダーを紹介します。成吉はじめです」

 そう言うと、マスターは、子供に手の平を向けた。ぱらぱらと拍手が起こり、子供はぺこりと頭を下げた。

「ま、ごちゃごちゃ言ってても飽きちゃうだろうから、とりあえず一曲演奏しますね。タバクンデーニャって曲をやります」

 演奏は五名で行われていた。マスターはギター、子供はさっき吹いていた、竹か何かでできた縦笛を吹いている。成吉先生は太鼓を叩いていて、あとは二人のおじさんが、それぞれバイオリン、マンドリンを演奏していた。

 前奏が終わると、突然マスターが歌い出した。日本語でも英語でもない。きっとスペイン語なのだろう。話しているときのぶっきらぼうな声の出し方とは違い、とてもきれいな発声だ。音程の取り方も上手い。バイオリン、マンドリン、縦笛と、音が大きい楽器が三つもあるのに、対等な音量で、聴きごたえがある。ぐっと引きこまれてしまう、みんなの注目を集めざるを得ない歌だ。数人しかいない客席だけど、「なんだ、これは?」と茫然としている様子が伺えた。

 曲が終わると、マスターは深々とお辞儀をした。

「はい、ありがとうございました。まさか、私が歌うなんて思ってなかったですか? けっこう上手いんですよ。自分で言うなって話ですね。

 では次の曲いきます、カラブエラ」

 テンポは多少違うものの、先ほどの曲とギターのリズムの刻み方は同じようだった。同じ形式、といっていたのはこういうことなのだろう。でも、こちらの曲の方が哀愁が漂っている。先ほどの曲が、山に囲まれた草原で明るい昼間に演奏されている曲だとすると、この曲は、月明かりの元で一人泣いているような情景が目に浮かんだ。

 それからも、同じ形式といったせいだろうか、似たようなリズムの曲が続いた。テンポは、速い曲も遅い曲もあるけれども極端にテンポが変わることはなく、どちらかというと淡々と進んでいく印象を受ける。曲調が似ているから、まだあまり演奏経験がないであろうはじめ君でも覚えやすいのだろうか。

 それにしても、彼の堂々としていることと言ったら。

 体の成長がちょっと止まっているだけで、実はもう大人なんですと言わんばかりの風格である。もちろん骨格は小さいし、顔立ちも幼い少年のものなのだが。これが歌声だったら、まだ子供の演奏だという雰囲気があるのかもしれない。しかし、笛の音になってしまうと、目を瞑ると子供が吹いているとはまさか思わない。竹の切れ端に穴が開いているだけのようにしか見えない笛から、こんなにのびやかで心地よい音色が響いてくるだなんて、目の前で起きているのに信じられない。

 その上、彼の表現力といったら。楽譜通りに演奏できていてすごいね、というのではない。曲に入り込んでいて、完全に何者かになりきっている。

 笛の音と、弦楽器、それも弦を弾くタイプと弓で弾くタイプの、全く違う音が溶け合い、異国の景色が目の前に浮かんできそうだ。聴いたこともない音楽、見たこともない風景、会ったこともない人達。過ぎ去って行く雲、通り過ぎていく人々。

 さっきのマスターの話の断片が思い出される。

 山の高いところの音楽、か。きっと、空を見ると猛禽類が悠々と旋回しているのだろう。もちろん人間は飛んだりできないけれども、自分もどこかまでも行けるような気がしてくる。そうだ、音楽だったら、音は風に乗って、どこまでも、遠くまで飛んで行けるんだ…。

 マンドリンの鈴がはじけるような音色、バイオリンの優雅な音色、そして笛の、歌っているような、泣いているような、笑っているような音。ギターと太鼓が、淡々とリズムを刻んで支えているから、彼らは存分に歌えているのだ。

 マスターの歌と、はじめ君の笛がきれいにハモる。はじめ君が本来どんな声の持ち主なのかはわからないが、歌であれば歌詞がついて、言葉の響きが重なり、また違った味わいが生まれることだろう。どんな歌が生まれるのか、僕も聴いてみたいと思った。

 珍しい音色のせいか、ぽつぽつとではあるけれども、徐々にお客さんは増えていった。どちらかというと、生徒よりも保護者や先生など、大人の方が多いようだった。

「あれ、成吉先生よね?」

 と先生達がひそひそ話している声も聞こえた。職員室でも特に宣伝をしていなかったものと思われた。

 成吉先生は、大きな太鼓(ボンボというらしい)を叩いていた。どことなくたよりない雰囲気は、大きな太鼓を持っているからといって堂々としたものに変わるわけではなかったが、それなりにリズムはとれているようだった。

「ええ、それでは、あっという間でしたが、次で最後の曲になります。セレステ、青い空という曲です。

 メンバーの中には、南米へ行った者もいるんですよね。これはエクアドルの曲ですが、やっぱり南米って空がすごく青く見えるらしいんですよ。空気が薄いからなのか、南半球だからなのか、よくわからないんですけどね。私も、南米へ行ってみたいと思ってるんですけど、なかなか遠いので、一般市民には難しいんですよね…。仕方ないので、新婚旅行で一度いっただけの北海道の景色を思い浮かべながらいつも演奏しています。

 北海道と南米って、なんだか、写真だけ見るとけっこう似てませんか? 山があって、青い空があって、写真だからか、人工的な建物はあまり写ってなくて。まあ、エクアドルには四季がないだろうから、厳密にいうと、厳密じゃなくても全然違うんでしょうけどね。でも、山があって広い平地があって、空が青くて、本州の山よりはそれっぽい気がするんですよね。

 誰か、行ったことがある人がいたら、演奏終了後にでも、実際はどうなのか教えて下さい」

 そこで話を終えようとすると、音楽の先生が「あの、グループ紹介がまだなんですけど」と声をかけた。

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