第5話
国語の勉強なんてしても、人が死ぬ直前に何を考えているのかなんて、所詮他人にはわからない。そう思うとそれ以上思考が進まなくなる。
数学ならまだましかと思っていると、その理詰めで割り切れる殺伐とした在り様が、また恐ろしく思えてくる。
やがて、どこからともなく声がきこえてくる。他のことに集中しようとしても、きちんと整列して並んでいるところに、突然怖い恰好をした人が割り込んで来るかのごとく、いつもの言葉が聞こえてくる。
”こんなことしてて何になるの? あなたが考えないといけないのは、カルビンベンソン回路のことでもなければ、関係代名詞のことでもないでしょう。いつまで逃げてるつもりなの? 出口なんてないのよ”
嘲笑うかのような声がかすかに響き、いつの間にかどこかへ消えている。途端に何も手につかなくなる。黒板に向かって、当たり前のように机の前に座っていることに耐えられなくなる。
とはいっても、すっかり学校から距離を置いてしまうことも勇気が必要で、仕方なく保健室や図書室でただ時間が過ぎていくのを待っているのだ。何かいい手がかりはないかと、図書室でめぼしい本など手にしてみても、学校を出る頃には何を読んだのかまるで覚えていない。ただ目が文字の上を通過するだけで、ただそれらの文章が目の前を過ぎ去って行くだけだった。
「天国ってどんなところだと思いますか?」
とっさに、かなり唐突な質問が口からこぼれた。もうどう思われてもいいや、という気になってきていることは確かだ。
「さあな、想像はできないけど、こんなところだったらいいなあという願望はあるかな」
マスターは、案外面白そうにうっすらと笑みを浮かべている。
「けっこう前だけど、新婚旅行で北海道へ行ったんだ。その時、紅葉がきれいでな」
どうせ鼻で笑われるだろうと思っていたら、まともな答えが返ってくる。しかし、この人の口から「紅葉がきれい」だなんて月並みな言葉が漏れたせいで、一瞬僕までにやけてしまう。
「笑うなよ。俺だって一応、紅葉見たらきれいだって思うんだよ。まあ、行くまではちゃんちゃらおかしいと思ってたけどよ。かみさんがうるさくてな…。
で、車で移動したんだけどよ、走っても走ってもずっと紅葉が終わらなくて、あれはには驚いたよな。天国って、よく、お花畑があるとかいうけどよ、なんだか恥ずかしくならねえか? そんなところに連れて行かれたってよ。まあ、行けるかどうかは別としてな。
でも、まあ、あの果てのない紅葉が続いてるんなら、行ってみても悪くないかな」
行かれるかどうかは別として、か。彼女は天国へ行くことができたのだろうか。
「俺も学校は苦手だったな。でも兄貴がうるさくてよ、結局あんまり休ませてもらえなかったんだよなあ」
マスターも唐突に話題を変える。しかし、このマスターが言うことを聞かざるを得ないお兄さんとは、どんな人なんだろう。
「だから、日曜日が本当に好きだったんだ。俺が学校に行ってた頃は、まだ土曜日は半日授業があったから、本当に一日休めるのは日曜日だけだった。
今、俺はすごく自由だ、でもあと十何時間かすればまたこの自由がなくなるんだって。そういったぎりぎりな中にいる感じが、どこか不安で、なのにすごく落ち着いた。何かしたいけど、でもしているうちにこの時間が終わっちまうのが怖くて、結局何もできずにぼーっとしているだけだった。
晴れていると、どこかに行かないともったいない気がして、でもだから逆に家の中から、ただぼーっと空を眺めているのがすごく有意義な時間の使い方に思えたもんだ。そんなんだから、特にこれといった思い出もない高校生活だったな」
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