コーヒーのおいしい店

高田 朔実

第1話

夏至が過ぎた頃から徐々に陽は短くなっているのに、注意深くいないと、なかなかそのことに気づかない。 気配は感じながらも、まだ暑いから大丈夫と思っているうちに、あっという間に秋の真っただ中にいるのが常だ。僕は秋が好きではなかった。 

 秋特有の澄みわたった空は、寒さの恐ろしさをまじまじと思い出させる。間もなく冬になるこの時期。もし人間社会と離れた場所で生活しているのであれば、春からこれといって何の労働もしてこなかった僕には、家を建てる準備もできていなければ、食べ物の貯蓄だってないはずなのだ。現代に生きているのでなければ、僕みたいな人間が生き延びていくなんて、とてもできやしない。  何故僕は、こうしてのほほんとしているだけで、暖かい住居と十分な食糧を確保し、何事もないように日々の生活を送っているのだろう。突然疑問が湧いてくることがある。厚めの上着を羽織るようになると、ついちょっと前まで自分がどんなに無防備でいたかを知り、愕然とする。秋の中に放り込まれると、また一歩、死に近づいたことに気がつき、不愉快な気分になってくる。  

 秋は死んでいく季節だ。気がつくと、その辺に絡まっていた蔓はすっかり茶色くなっている。紅葉といえばきこえがいいが、木の葉も死にゆく真っ只中なのだ。うるさかった蚊やハエもどこにもいない。多くの生き物が、この世界から姿を消していく。 

 空は、見ているだけで吸い込まれていきそうで、何も失っていないのに、ぽっかりと穴があいたような思いにとらわれる……そんな言い訳をしつつ、学校を休んでしまおうかと思っていた。土曜日に学校へ行くだなんて、最初から気乗りしなかったのだ。その上今日は文化祭なので、普段よりもさらに気が重い。クラスにあまり親しい人がいないので、こういう行事の日は困る。クラスではお化け屋敷をやるようで、僕の席(みんなの席もだが)、机と椅子はどこかに移動されているはずだった。そうなると、いつも以上にどこにいればいいのかわからない。途方にくれることは目に見えている。 

 電車を降り、階段を上り下りし、俯きながら歩く。

「よろしくお願いします」 

 突然誰かに話しかけられたような気がして顔を上げると、大学生くらいのお姉さんが安っぽい冊子を配っていた。お姉さんは、縁にチロリアンテープが縫い付けてある、ベージュのワンピースを着ている。その異国を思わせる服装のせいか、作り物ではなく、ごく自然に見える微笑みに和まされたせいか、つい受け取ってしまった。 

 せっかくなのでぱらぱらと中身を見てみると、それは町の情報誌だった。いろんな店の紹介文が載っている。

 大して面白くもない広告を目で追っているうちに、このまま学校まで歩いて行くのが面倒になってきた。制服を着ているのが気になったが、今日は土曜日なので、予備校か部活にでも行くように見えるはずだ。さぼりだと思われて、通報されることはないだろう。なんとなく目に止まった、「おいしいコーヒーの店」と宣伝文句の書いてある、あまりやる気のなさそうな店へ行ってみることにした。

 コーヒーが好きなわけではないのだが、駅からバスで十五分というのがいい。どうせさぼるのなら、普段絶対にいかないようなところへ行ってみるのもまた一興だ。 

 通学路とは逆方向の、全く知らない通りをバスは進んでいく。十五分と言うのはうそで、二十分はかかった。普段学校へ行くには駅を出て真っ直ぐ歩いているのだが、このバスはさっさと左へ曲がってしまい、十秒もするとまるで見たこともない景色の中に迷い込んでいた。 

 何所へ連れて行かれるのか、さっぱりわからない。十五分が経過し、バスを間違えたのだろうかと心配になってきた頃、ようやく目的のバス停名がアナウンスされた。


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