嫁同伴の異世界帰り最強伝説

坂水雨木(さかみあまき)

地球、日本への帰還

1. 帰還

 例えば、当たり前の日常が突然なくなってしまうとして。そんなとき、人はどんな顔をするのだろう。何を思って、何を言うのだろう。


 誰かに聞いたことはない。けれど、きっと皆が似たようなことを言うと思う。"そんなのなってみないとわからない"。そうだ。色々と答えを出してくれはするだろう。けれど、最後には誰もが同じことを言う。


 少なくとも、俺はそうだった。

 なってみないとわからない。なってみたから、経験したから答えを出せた。日常がなくなってしまうなんて、思いもしなかった。

 平和であることへの安心、友人がいることへの安堵、家族に対する感謝。そして何より、生きていられることの幸福。


 それが"ない"ことを知らないから、当たり前に存在するから感謝できない。失ってから初めて気づくとはよく聞いていたが、自覚なんてまったくなかった。

 失って、取り戻して、また失って。

 繰り返し繰り返し、俺は生きてきた。懸命に生きてきた。


 そして、そう。帰ってきたのだ。俺は帰ってきた。



「……」


 見える景色は、当時と変わらない。

 歩く人、走る人。生活音と話し声と。探せばどこにでもある、ありふれた景色。それは"向こう"でも変わらない。けれど、違う。

 自転車に自動車、道路に建物。やはり違うのだ。既に朧気おぼろげとなってしまった記憶でも、十数年暮らした家のことは忘れていない。

 知らない家ができている。畑がなくなり、お店になっている。道路が舗装ほそうされ、信号が新しくなっている。新しいものは多いのに、懐かしさが消えることはない。俺の知っている、俺が生きてきた場所。


「………」


 少し、歩き回った。この世界に、"日本"という国に帰ってきたことを実感したかったから。そして、自分自身の整理をしたかったから。

 十年、十年だ。ようやく帰ってきたのだ。十年かけてようやく帰ってきた。十年だぞ。どれだけ、俺がどれだけ願っていたか。

 心が打ち震えるのも、歓喜に拳を振り上げたくなっても、感動で涙がこぼれそうになっても、仕方のないことだ。故に、心の整理をしたくて歩く回ったのも仕方のないことなのだ。

 緊張と恐怖と期待と。胸の内がまとまらなかった。

 あぁ、だが落ち着いた。俺の知っている場所、俺の住んでいた、生きていた場所だから。

 そうして歩くこと十分か、二十分か。家の前に来た。俺の家だ。俺が暮らしていた家。何も変わっていない。普通の一軒家で、住宅街にある家。近くには小学校。春になると桜が綺麗で、今がいつかは知らないけれど毎年春が楽しみだった。さっき小学校も通り過ぎた。偶然チャイムの音が聞こえて、つい目元を拭ってしまった。

 視界が滲む。


「………」


 なぜだろう。ほんの少し指を動かすだけだというのに、その少しが動かない。インターホンを押すだけだ。簡単なことなのに、指が震える。

 俺をわかってくれるだろうか。家族はいるだろうか。父は仕事だろう。母はいるかもしれない。姉と弟は…そうだ。もう二人とも二十歳を過ぎているはず。大人か。そうか、みんな大人か。


―――ピンポーン


「な…」


 インターホンを押す直前で止まっていた指が、誰かに掴まれ押されるように前へと動いた。

 ここには来ていないはずなのに、どこからか"いつまで躊躇っているんですか、あなたらしくもない。ほら、早く行ってきてくださいな"と声が聞こえた。


「…あぁ」


 答えを返すように頷いて、いつの間にか硬くなっていた表情を緩める。

 今のは気のせいなんかじゃない。"向こう"から届けてくれたのだろう。こちらと繋がっているから、ずっと俺のことを見ていてくれたのだと思う。届いた声から伝わる心配と優しさが緊張を解す。

 胸の内でお礼を述べ、インターホンからの反応を待つ。きっとすぐに――。


『はーい』

「―――」

『……?』

「…あ、え、お、俺。…山川やまかわ盛護せいご、です…」


 なんとか言えた。よかった。

 それにしても…母だった。母の声がした。変わらない、よく覚えている声に何も言えなくなってしまった。自分が情けない。家族と会うだけなのに、こんなにも動揺するなんて。

 ほんの少し考え事に意識をそらし、返事がないことに気づく。まさか家を間違えたか、一瞬思うもインターホンから聞こえてくるばたばたとした音に思い直す。

 そうだった。


「盛護なの!!?」


 俺の母さんは、そそっかしい人だった。

 勢いよく玄関のドアが開き、俺の名前を呼ぶ母の姿が目に入る。

 少し老けて見える、だけど変わらない。記憶の中にある柔らかい笑みが、今は必死さにあふれている。どれだけ心配をかけたのかという罪悪感と、ようやく会えたことによる喜びが心を満たす。


「…あぁ、俺だよ。母さん」

「っ」


 息をのんで、それから三段の階段を降りてくる。声は出さないのに、たくさんの言葉が聞こえてくるよう。

 今までどこで何をしていたの、心配だった、みんな心配した、ずっと、ずっと…。

 何も言わず俺の目の前に来て、ぐっと抱きしめてきた。そして、ただ一言。


「おかえりなさい」

「…ただいま」


 俺は、ようやく帰ってきた。

 星の降る世界"エストリアル"から、世界"アース"の、俺の故郷である日本に帰ってきたんだ。

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