ある令嬢と老紳士の日常
@reznov1945
第1話
ありふれたカフェの、オープンテラス。
穏やかな陽光を遮る、大きな帆布のパラソルの下。テーブルには、1組の男女が向かい合っている。同じカプチーノが2つ。男のカップはすぐに空になり、今し方おかわりを注文したところだ。
「まぁおじさまったら。そんな風になさっては、お行儀が悪いですわ?」
丸い目を吊り上げ、口を尖らせ抗議する少女には、見覚えがあった。
白いブラウスに、蒼いスカート。淡い金色の髪を遊ばせ、細く長い指はカップを摘む。ふっと目を伏せ、すぅっと息を吸う。
「おやぁ、飲まないのなら私が頂こうか。いや待ちきれなくてねぇ」
ぬぅと伸びる骨ばった手を無言で叩き、少女はカップに唇を寄せた。
「これは舶来かしら。香りも良くて、美味しいですわ」
式学派の大家、メディラ家の末娘、マルテナ嬢だ。しかし向かいの翁は何者だ……?
「ははぁ、なぁにお嬢さん、この位ならこの国にも幾らでもあるだろう?そうもったいぶらなくてもええじゃないか」
嗄れた声は不思議とよく通った。油で撫でつけられた白髪。片眼鏡。黒い縦縞のスーツは仕立ても良く、着崩しているのに気品を失わない。所作こそ不躾だが、この翁、そこらの商家の主ではない。かなり名のある貴族か?
「もう、これだからおじさまったら……もう少し雰囲気を味あわせてくださいまし」
マルテナ嬢はまたカップを傾け、恍惚の溜息を吐く。ふと思い直すと、彼女の格こそ般民ではあるが、こんなところでカップ一杯を楽しむような人ではないだろう。それこそ、舶来の豆なら、大商船から直接買い付けていてもおかしくはない。とすると、この翁はもしや商人か?そうだとすれば、この風態も合点が行くが……
そこへ、給仕が2人。1人はカップを。もう1人は、大きなパフェのグラスを運んでいる。
給仕達はは一瞬2人を見比べて、マルテナ嬢の方にパフェのグラスを置いた。
「ありがとう。あなた」
彼女は給仕にチップを与え、彼らが下がるのを見ていた。それから……
「ほっほほ、あの童どもめ、私を見くびりおったな?」
そーっと、向かいの翁の方へ、そのグラスを押し出した。翁はそれを待ちきれないとばかりに引き寄せると、匙を掴んで一口二口と、勢いよく運び始めた。
「おじさまの見た目で、甘い物を好まれるとは思いませんわよ。無闇に人を責めるのはおやめになって」
「はははぁ……んぐ、何も責めてはおらん。んあ……んぐ、私はただ、んあ、わふぁひふぁたのんぶぁものうぉ」
「食べてからにしてくださいまし!もう、みっともないったら……」
彼女が叱る間に、翁はすごい勢いでグラスを空にしてしまった。チーフで口を拭いながら、グラスをマルテナ嬢の前に返す。
「私はただ、なぜ私が頼んだものを私の前に出さないのかと疑問に思っておるだけですぞ。決して責めてなどおらんのです。のぅお嬢さん、この私が誰かを苛烈に責めるようなことがあったかね?誰かと違って」
翁は両の肘をつき、組んだ手で顔を隠すようにした。それでも、随分と歪められた口元や、見すかすように開かれた右目など、悪意を湛えた表情は全く隠せていなかった。寧ろ最初から隠す気などなかったのだろう。マルテナ嬢はカップを持ったまま、ふいっと視線を逸らしてしまう。
「おじさまったら、本当に意地悪なんですのね。そんな言い方をしたら、私が誰か様を苛烈に虐めて愉しんでいるみたいじゃありませんか」
「何を言うか。私は其処までは言わなかったぞ?」
「あら、そうでしたの?恥ずかしいったらありませんわ」
そう言って、カップで顔を隠すのだが、彼女も翁と同じように、顔を歪めたのだ。
互いにそれを見合わせて、漸く普通に笑ったのだった。
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