第7話
寝苦しい夜。そう言う日はきっと誰にでもある。
暑かったり、お腹が空いてたり。……ただなんとなく落ち着かなかったり。理由はなんでもいいけれど、眠れないまま朝になってしまうような。そんな夜が時々はある。
──そんな夜に、ふと見たくなる顔ができた。
「……なるほど。それでなんとか出来ないか、と」
逆に不意に寝落ちたときに、その顔はやってくる。
「うん。夢を見てるってことは寝ちゃってるってことだから……矛盾してるといえばそうなんだけどね」
それで私は、彼に一度聞いてみようと思ったの。夢を見る以外に、話す方法がないのかって。
「そもそもですが」
そう言ってから、彼は珍しく身振り手振りを交えて話し始めた。饒舌なのは見たことがあるけれど、こんなに……動いているのは見たことがないかもしれない。いつもただ座ってて、時々カップを傾けたりケーキを頬張ったりするだけで、喋り方もそんなに抑揚のある方じゃ無かったから。
「えっと、じゃあ……?」
「……貴女が夢を見ているのは副次的なものにすぎないのですから、夢でしか話せない、と言うのも副次的な結果に過ぎません。いつも夜、と言うのもあくまで観測によるものに過ぎません」
「ん、だから……?」
「場合によっては日中に境界面が触れることもあるでしょう。その際に心理的障壁の点穴が広がるような条件が重なれば、こうして機会を持つことは不可能ではないでしょう」
彼はそこでカップを取り、初めて空になっていることに気がついた。尽きせぬ泉のように湧いていたのに、今日はすっかり空っぽだ。彼も話すのに夢中だったらしい。
「……じゃあ、できるの?」
カップはまた満たされる代わりに、机に沈んでいった。入れ替わるように、綺麗なグラスが生える。暑くなってきたからだろうか、氷を浮かべた薄い琥珀色のお茶をほとんど一気に飲み干して、はい。とだけ答えた。
「そっか。そうなんだ……」
なんとなく嬉しいような、自分で言い出したことだけどなんとなく煩わしいような、そんな感情が起こって、少し困惑している自分がいたりして。
「まぁ、どちらも私が制御できるものではありませんので……特にそちらの事情ですから」
「へ」
私の?
「心理的障壁の点穴というのは、往々にして意識の喪失によって発生しますので」
「……だから、夢なのか」
意識の喪失。
「そういうことになるんでしょうな。私としては何も夢をのぞいているわけではないのですが」
彼は2杯目のグラスを空にして、ようやく一息ついた、という感じだ。ふーっと息を吐いて、椅子に少し斜めに座り直した。いつもどこか無機質だった彼が、今日は妙に人間臭く感じられてなんだかおかしい。夢の中の人物に人間臭さを問うなんてナンセンスなのかもしれないけど。
「……そうなの?」
「えぇ」
彼が机に肘をつく。そのままずぶずぶと、左腕から沈んでいく彼の体。あぁ、と特に何の感慨もないままずぼっと腕を引き抜いて、右手で机を撫でた。今度は沈んだりはしないで、撫でたところにクッキーを並べたお皿が生えてきた。
「どうも今夜は安定しないようですね。月も陰っていますし」
見上げてみると、半分重なった二つの月は薄い雲に隠れて、輪郭がぼんやりしていた。何か関係があるのだろう、彼もそれを見上げながら何となく困ったような表情を浮かべていた。
「貴女がそうおっしゃるのなら、出来ることは試してみましょう」
今度は彼の右手が沈みかける。
「えっと、じゃあ、私はなにをしたらいい?」
「そうですねぇ……」
引き抜いた右手で眼鏡を直しながら、ため息をつくようにこう言った。
「できるだけぼんやりしていてください。点穴を探してみますよ」
私は、その言葉の半分を闇の中で聞いた。目を開くと、もう朝になっていた。まぶたの裏に、彼の言葉が薄らと残っているような気がする。
ぼんやり……する?彼がいうおぼろげな言葉と、重なった月の輪郭。目が覚めてから思い出せるのは、それだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます