小説家の恋愛事情
半澤 溜吾郎
第1話 小説家の苦悩
「続いては巷で話題の小説、探偵クロウシリーズについて紹介いたします!」
テレビから高らかに発せられた声は、女性タレントの美声よりも内容に対して興味を惹かれた。
(俺の小説を適当に紹介しないでくれよな)
小説家である陽介は、自らのヒット作である探偵クロウシリーズを無知な人間が適当に紹介してしまうのではないかという不安にかられた。
探偵クロウシリーズは早川陽介の出世作で、第一作目【探偵クロウの憂鬱】は、異例のヒットを記録した。内容は、名探偵であるクロウが自らの特性(一作目だと事件現場に行くと憂鬱になる)と戦いながら、あらゆる事件を解決していくというものである。第一作目のヒットにより、連続して7作品を制作、探偵クロウシリーズはミリオンセラーを達成し、陽介はあっという間に売れっ子小説家の仲間入りを果たしたのだった。
「探偵クロウシリーズと言えばやはり犯人、悪役ですよねー かなり魅力的に描かれています」
(このタレントは分かっているな)陽介は少し安心した。
「しかし私は、色恋沙汰がもう少しあってもいいように思うんですがねー」
陽介はこのタレントの一言により、いらいらした様子ですぐにテレビを消した。
優秀な小説家ではあるのだが、恋愛物を書くことが苦手で、できれば一生書かずに小説家人生を歩みたいと思っている。そんなことを考えているうちに、所属している作家事務所へ向かう時間になり、陽介は少ない荷物をブランド物のカバンに入れ、足早に玄関を後にした。
陽介の自宅は千葉県にあり、事務所がある東京駅までは電車で1時間程である。その間に彼は、趣味であるショートショートの小説をスマホで書きあげ、適当なペンネームを使い小説投稿サイトへと投稿した。彼は、小説が自分自身の名前により売れてしまうことをひどく嫌っていた。そこで自分の実力を確認するために始めたことが、小説投稿サイトへの投稿だった。
(よし、今回もうまくできた! どんな反響が来るか今から楽しみだ)
陽介は上機嫌に東京駅を降り、事務所がある八重洲口へと向かった。ビルへ着くと、入り口前の鏡張りになっている柱で身だしなみを整え、エレベーターに乗り、事務所がある3階へと向かった。
この日は、事務所の編集長と次回作の制作について、話をする予定である。探偵クロウシリーズが完結してしまった今、全く新しいジャンルの物語を制作しなければならなかった。
(どんな作品を作ることになるのか… ちょっと不安だな)
陽介はいつになく不安な様子で事務所のドアを開けた。
「よぉ~ようちゃん、ちょっくらそこのソファーに掛けててくれ」
編集長の山上は、いつもの調子で言った。
山上は、陽介が小説家として駆け出しのころからの編集者で、周囲からの人望も厚い。また、陽介に対してフランクに接してくれるので、彼自身もやりやすさを感じていた。
「いや~待たせて悪かったね」
「いえいえ、大丈夫です。それより例の次回作の件ですが、具体的に私はどういった作品を作ればよろしいのでしょうか?」
陽介は、上目使い気味に少し急かすような口調で言った。
「まあまあそう焦らないで。ようちゃんにはとっておきのジャンルを用意してあるからさ」
山上は、純粋な笑みを浮かべながら、ほおを上気させて言った。
「とっておきのジャンルとは…?」
「恋愛小説だよ!」
「…」恋愛小説を書くことが苦手な陽介にとって、最悪の結果だった。
「冗談ですよね? SFかなにかの間違いでは?」
「冗談なんかじゃないよ~ 今のようちゃんは恋愛小説を書くべきなんだ。ようちゃんの年齢は26歳だろ、この時期に恋愛小説の一つや二つを書いておかないと、作家として広い視野を養えないんだよ。自分の経験からすると、この時期に恋愛小説を書いてヒットさせた作家のほとんどがその後大成しているよ。」
話しは妙に説得力を感じ、陽介はえもいえぬ気持ちになった。
「そうは言いましても… 私に書けますでしょうか?」
「大丈夫だって! きみは売れっ子小説家なんだから、きっとヒットする作品を作ってくれるよ。だからさ!」
山上の強引さに負けて、陽介はしぶしぶ承諾した。
事務所からの帰り道、普段頭の中を空にしていることが多い陽介にしては珍しく、恋愛小説のことで頭がいっぱいだった。
(恋愛小説かあ、一体どんなことを、どんな内容を書けばいいんだよ。全くアイディアがうかばないわ)
陽介は引き受けたことを後悔し始めていた。いくら山上の指示とはいえ、今の自分には到底書けそうもなく、この先どうなるのか不安で仕方なかった。
帰宅すると陽介はまず、恋愛小説のプロット作成や舞台・人物設定に取り掛かった。用意したコーヒーに口をつけ、まずは、恋愛小説の登場人物と舞台について考えることにした。
(恋愛小説の登場人物はどんなキャラクターが良いのだろうか? 自分は今26歳だから、同じ年代の社会人を登場人物にすべきか… それより舞台、どうするべきなのか?)
陽介は、舞台・人物設定の段階から頭を悩ませた。その様子は、一流小説家のそれとは、程遠く、小説を初めて書く中学生の様であった。
陽介と小説との出会いは、彼が小学校2年生の時まで遡る。初めて読んだ小説は【シャーロック・ホームズ 緋色の研究】で、彼はその小説の魅力的なキャラクターや設定などに魅了された。幼心ながら、将来コナン・ドイルのような小説家になりたいと強く願っていた。夢がかなった今、彼は順風満帆な小説家人生を歩むつもりでいた。しかし、今の彼はまさに窮地であり、小説家としての苦悩を存分に味わっていたのだった。
陽介はその日、夜が明けるまで、舞台・人物設定を考えていた。結局、進展は全くなく、次の日は、寝て過ごした。
*
「陽介… どうして…」
「どうして私の気持ちに…」
*
「うわっ」怖い夢でも見たかのようにベッドから飛び起きた。
(今の夢はなんだったんだろう… どっかで聞いた声なんだが)
陽介は不思議な気持ちになると同時に、懐かしい気持ちにもなっていた。
(それより、小説だ! 早くプロットとか完成させないと)
懐かしむ気持ちを抑え、現実に目をむけた。
「ピンポーン」玄関のチャイムが高らかに鳴った。
(こんな忙しい時に来客かよ。全く、はた迷惑な話だぜ)
「はーい」陽介は小説の制作を中断し、重い腰を上げ玄関先へと向かった。
「早川久しぶり。元気してたか?」
玄関のドアを開けると五十嵐が立っていた。陽介が新人だった頃、事務所でお世話になった先輩で、現在はどこにも所属しないフリーランスとして活躍している。小説家としての名前は津久井 靖男で、日本でその名を知らないものはいない。
「五十嵐さん! お久しぶりです」
「元気そうじゃん!」
「まあ、中に入ってください」
部屋の中へ招き、コーヒーを差出すと、五十嵐は部屋の中を見回した。しばらくの間、昔話に花を咲かせていると、五十嵐が唐突に言った。
「おまえ、小説書くのに苦労してるだろ」
「はい… てかどうしてわかったんですか?」陽介は目を丸くして言った。
「デスクだよ。デスクの乱れは、小説家の心の乱れ。お前のデスクを見るとぐちゃぐちゃだろ」
五十嵐は、シャーロック・ホームズ顔負けの洞察力で、陽介が悩んでいることを見抜いた。
「聞いてやるから、話してみろよ」
陽介は神妙な面持ちですべてを打ち明けた。
「そうか、恋愛小説を書くことになったのか…」
「俺もあったなあ、お前ぐらいの年齢の時」
「五十嵐さんは、どうやって恋愛小説を書いたのですか?」陽介は藁をもすがる思いで聞いた。
「俺は、天才だからさ。パッとひらめくのよ」
聞くだけ野暮だった。五十嵐は俗にいう天才肌の小説家で、プロット等を丁寧に作成する陽介とはまるでタイプが違うのだ。
陽介が大きなため息をつき、さも打ち明けたことを後悔した様子を見せていると、五十嵐が口を開いた。
「小説を書くヒントはキミ自身にある…」
五十嵐は真剣なまなざしで陽介を見つめながら言った。
「えっとそれは、どういうことですか?」突然の五十嵐の真剣な表情に戸惑いを隠せなかった。
「早川… あとは自分で考えろ。その小説はお前の作品だ! 自分の作品はもっと大事にしろ」
先輩らしく毅然とした表情で言う彼に、陽介は小説家としての生きざまを見せつけられた。
「それじゃ俺はそろそろ帰るよ。執筆中のお前を邪魔しちゃ悪いからな。」
そういうと五十嵐は足早に玄関先へと向かった。
「あの、ありがとうございます。俺ちょっと考えてみます!」
五十嵐は陽介を一瞥し、玄関を後にした。
(小説を書くヒントはキミ自身にあるか… どういう意味かさっぱりわからないや)
陽介は途方に暮れていた。
五十嵐のアドバイスの意味を明確にするために、陽介は自らの頭をフル回転させた。しかし1週間たっても答えは見つからないまま、彼は意気消沈していた。
(やっぱ俺に恋愛小説を書くことは無理なのかなあ)
考え続けていた彼は、疲弊しきっていたため、デスクの椅子に座ったまま、深い眠りについた。
*
「陽介! 今度こそ負けないんだからっ」
「へへ~ 私の勝ち! どんなバトルもひとり勝ちよ!」
「あんたよりいい男じゃなきゃ…」
*
「はっ!」(またあの声だ。そしてこの声は里美だ。里美の声だ!)
陽介は高校卒業時から全く会っていない里美の夢を見ていたのだ。
(どうして今になって、里美の夢を見るんだ)
陽介はハッとした。五十嵐の言葉を思い出したのだ。
(小説を書くヒントはキミ自身にあるって、まさか自分自身の過去の恋愛を参考にしろってことか?)
(そういえば俺、里美のこと…)
(だけど、俺のまともな恋愛と言えばあれぐらいで、はたして小説のネタになるのか)
自分の恋愛体験が本当に役に立つのか、半信半疑であったが、小説を書きあげるための唯一の突破口であることは疑う余地がなかった。
(里美懐かしいな…)
陽介は過去の自分がどんな恋愛をしてきたのか思い出すために、自らの意識を学生時代へとタイムスリップさせるのであった。
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