好きの言葉は無くなって

@himagari

好きの言葉は無くなって

「君は決して誰かに『好き』を伝えてはいけないよ」


生まれたときに聴いた言葉。

それはきっと、神様との約束。

不思議な感覚だ。

私は決して「好き」を言葉にしてはならない事を知っていた。

「愛している」もダメだ。

とにかく相手に好意を伝えてはならない。

その確信だけが心の中に張り付くように存在していた。


「理沙はママの事が嫌いなの?」


悲しそうなお母さんの顔を見て私は胸が苦しくなった。

産まれてから一度も「好き」を口にしない私をお母さんはとても心配していた。

お母さんは私の事を心から愛してくれていたし、私もそんなお母さんの事が大好きだった。

だからお母さんに悲しい顔をしてほしくなくて、四歳の誕生日、私は神様との約束を破った。


その翌日、お母さんは急病で病院に運ばれて、二度と意識が戻ることはないかもしれないと言われた。


「理沙、お前の事はパパが母さんの分まで愛してみせるからな」


結果的に一月ほどでお母さんは目を覚ましたけれど、泣きながらそう言うお父さんを見て私は神様との約束を二度と破らないと誓った。


そんな自分との約束を破ったのは小学四年生の秋だった。

当時好きだった男の子がいた。

その男の子も私の事を好きだった。

彼は私に何度も好きだと伝えてくれていたけれど、私は相変わらず好きを伝えることができなかった。


ある日、その子が親の都合で転校しなければならなくなったとき、泣きわめく彼を見て私は我慢ができなくなった。

言い訳をするなら子供だった。

私は子供であることが絶対に許されなかったのに、私はそれでもまだ甘えていた。

私はお母さんを不幸しにしたあの日のままの子供だった。

何も言えない別れに耐えられず、口から飛び出した好きの言葉。

翌日彼は事故で生死の境をさ迷う重症を負った。


その日から私は子供を辞めた。



「なぁ、お前何で喋んないの?」


今日も彼が話し掛けてくる。

本当に止めて欲しい。


もう二度と人を好きにならないように、誰かに好きを伝えないように、私は他人と距離をとるようにしていた。

なのに――


「二人組作れってさ。お前も余りだよな。俺と組んでくれよ」


高校生になった私に同じクラスの彼は最近しつこく絡んでくる。

――止めて欲しい。


「なんだ、委員長から聞いてないのか?仕方ないから俺のノート貸してやるよ」


止めて。


「これで良いのか?この図書館踏み台とかないからな。取って欲しい本があったら言ってくれよ」


止めて。


「財布忘れたのか?じゃあ千円貸しとく。波野って冷静に見えるのに案外抜けてるとこあるんだな」


止めて。


「今度は傘忘れたのか?いや、待て待て。夏服でこの雨の中傘無しはリスキーだろ。俺の傘デカいから駅まで一緒に行くぞ」


お願いだから。


「なぁ、波野―――」


お願いだから。


「今日は――――」


もう、これ以上私を―――


「波野って下の名前理沙だな。俺も―――」


私を、好きに、させないで


「迷惑なの!!」


突然叫んだ私に彼は目を見開いた。


「あなたの言動は全部迷惑!!ずっと私が止めて欲しいと思ってたのが分からないの!?初めて会ったときもそう!話しかけて欲しくないのに図々しく話しかけないでよ!私が困ってる時に助けようとしないで!一人ぼっちの私に優しくすれば私があなたを意識するとでも思った!?本も、お金も、傘も、あれもこれも全部迷惑!迷惑だった!!

もう二度と私に話しかけないで!!!」


私は、君を、もう、誰も、傷付けたく、ないよ。


私は馬鹿で、最低だ。

こんな拒絶の言葉すら涙を流さず言えないなんて。



「………分かった。今までごめん、波野。波野がそんなに辛い思いをしてるなんて、思わなくて」


止めて。

止めてよ。


「もう、二度と、関わらないから」


お願いだから、泣かないでよ。



走って教室を出ていく彼の背中は涙で滲んで、歪んで、霞んで、消えた。



こんな出来事があったって、学校が休みになったりはしないから私は今日も教室の隅で空を眺める。

いつもと同じ教室も、彼が話しかけてこないだけで随分と色褪せて見えた。

でも、これで良いんだ。

これで彼は不幸にならないし、私も彼を不幸にしなくてすむ。

これが最善だった。


最善だった、筈なのに。


気がつくと、彼を視線で追っていることがあった。

本当に私は身勝手だ。

自分がどんどん嫌いになっていく。

そんな情けない私だったからだろう。


十一月の中頃、放課後の廊下を歩いていた私はグラウンドの反対側で向き合っている男女を見つけた。

女の子の方は背中になっていて誰かわからないが、男の子の方は見間違えようもない、彼だった。


その場にいなくても、声は聞こえなくても、雰囲気で伝わるものがある。頬を染める少女、戸惑う彼。

あれは―――告白だ。


「っ!」


言い様のない感情が私の中で渦巻いて訳もわからないまま涙が溢れてくる。

その瞬間、彼が顔を動かして視界に入りそうになったことに気がついた私はその場から走って逃げ出した。



―――。


走りながら思うこと。



―――い。


言い様のない感情の答え。


―――るい。


十六年間生きてきて、きっと最大の感情。


――ズルい!!!


身勝手な私の、かわいそうな私の、とてつもない程の嫉妬の感情。


ズルいズルいズルい!!


私だって彼が好きだった。

私だって想いを伝えたかった。

私だって彼と想いを共有したかった。

きっと私が好きだと言えたなら、彼はきっと受け入れてくれた。

なのに何で私だけが、あの子だけが!!!


押さえることができない。

コントロールも出来ない。

溢れるばかりの感情が私の心を塗りつぶしていく。


走って走って走って、最上階にある図書室の本棚の影で踞った。


「どうして、なんで、私だけ」


溢れる涙と嫉妬の言葉。

こんな姿は誰にも見せられない。

あの時私の顔は彼に見られていなかっただろうか。

いや、きっと見えなかったはず。

遠かったし、夕暮れで暗かったからきっと人がいたことも気づいてないはず―――



「やっぱり波野だったのか」

「っ!!」


背後から聞こえた声に、私は全身が強張った。

胸は苦しいし呼吸は出来ないし顔も体も動かない。


「な……え、ぁ、ど、うして」


それでも絞り出した疑問の言葉。

彼は恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。


「さっきの、見たんだよな。あの子の告白は断った。ここに来たのは、波野が泣いてるように見えたから、心配で。迷惑かもとは思ったんだけど…」


見られてた。

泣いてたの。

あの距離から。


「なん、で」

「俺、好きな人がいるからさ。付き合えないよ。嘘つけないし」

「違っ、だって」


自意識過剰かもしれない。

でもわかるよ。

彼は嘘がつけなくて、素直な人だから。

彼もきっと私が好きだった。

だけど―――


「俺さ、素直すぎるとか、嘘つけないとか色々言われるんだけどさ。それでも波野ほどじゃないってはっきり言えるよ」


彼は苦笑しながら頬を掻く。

彼の顔から、目が離せない。


「あんな悲しそうに迷惑だったなんて言われたら、さすがの俺でも嘘だって分かる。自意識過剰かもしれないけど、波野は俺の事を嫌いじゃないって」


ダメだ。

拒絶しないと。

これ以上言わせちゃいけない。

これ以上言われたら、もう―――


「好きだよ。波野。波野は俺の事嫌いか?」


…………ズルいよ。

私の方が、ずっとずっと好きなのに。

もっともっと伝えたいのに、君だけそれを伝えるなんて、ズルいよ。

言いたいよ。

好きだって言いたいよ。

愛してるって、誰より君の事が好きだって、言いたいよ。

伝えたいよ。

だけど、


「………そっか。やっぱりダメなんだな」


そう言って、後ろを向いて立ち去ろうとする彼の背中。


そう、これで良いんだ。

私はもう、誰も愛さないで―――


「ごめん。俺っ―――」

「そんなの、いやだっ!!!」


立ち上がって、離れていく彼の肩を掴んで、引き寄せて、つま先で立って―――唇を重ねた。


「っ!?~~~っ、………―――」


ファーストキスは歯がかち合うような強引な口付けだった。

初めは驚いて抵抗した彼も私が離さず唇を重ねていると少しずつ受け入れてくれた。

どれくらいそうしていただろう。

一分か、二分か、それとも十秒ほどか。

唇を離したとき、煩いほど高鳴る胸と、火が出そうなくらいに熱い顔が嫌に気になった。


「波野……」


彼ももう好きだとは言わない。

二度目の口付けは彼からだった。





私は、私達はもう、子供じゃない。

私達の愛に言葉はいらない。

「好き」の言葉は無くていい。

「愛している」も無くていい。

私達の想いは、言葉だけじゃなくて行動でだって示していける。


それからもう一度私からキスをした。


私の思いを伝えるために。

貴方の思いが伝わるように。



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