第103話 登場人物は勝手に踊る

 ども。

 新巻へもんです。


 フィットネスソフトやり過ぎてあちこちが筋肉痛です。とりあえずノーマルモードはクリアしてミッションも全て完了しました。レベルも260超えてます。こう聞くと凄いようですが、世の中には28時間ぶっ続けでやってクリアする猛者もいるようなので、私はまだまだです。今はエクストラステージをちまちま始めました。


 辛いフィットネスなのにゲームだとなぜかやってしまう。これ考えた人は頭いいですね。あ、私が単純なだけか。3か月ぐらい続けば外見上の変化も見られるようなので今から楽しみにしてます。まあ、体脂肪率が5%以下の某Yさんには逆立ちしても敵わないでしょうけどね。


 さて、「登場人物が勝手に動き出すのは作者の技量がないだけ」という主張を目にしたので、ちょっと考察してみたいと思います。このエッセイにお付き合い頂いている方であれば、私がほぼプロットなしで書く人間ということは御存じだと思います。それを含めて技量がないと言われれば、はいそうですか、としか言いようがありません。


 ただ、私は極端にしてもかっちりプロットを決めて書く作家さんばかりではないと思うのです。演劇の世界でも即興劇というのがあります。大枠だけ決めて走り出すという手法だって悪くはないはず。これは私の好みですけど、黒子であるべき作者の姿がちらつく小説はちょっと興ざめします。あまりプロット詰めすぎると登場人物が作者に動かされてる感が出るような気もしますがどうでしょう?


 次にプロットかっちり決めていても生き生きと登場人物が動いている小説だってあるという反論もあるでしょう。それが技量だということかもしれません。ただ、当初作者が想定していた通りの結果にならないと技量がないかと言われるとそれはいい過ぎじゃないでしょうか。


 巻末のあとがきで暴露されているので例として取り上げるのですが、田中芳樹氏も「死ぬ予定の登場人物が生き延びてしまった」と書かれているんですよね。作者の魔手を逃れたとも書いています。話の構成の為に重要人物をあっさり途中退場させているにも関わらずです。これなんかは登場人物が勝手に動いている事例でしょう。


 結局のところ、登場人物が勝手に動くかどうかは、作話のタイプの違いでしかなく、技量の有無ではないというのが私の結論です。


 最後になりますが、連載中の「酔っぱ買い」の☆が4千を突破しました。厚く御礼申し上げます。10進法の世界に生きている身としてはキリよく5千の大台に乗せるべく精進したいと思います。引き続きご愛顧のほどを。


 ではでは。

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