私と先輩のホラードライブ
毒原春生
20××年9月15日 かたす町
20××年9月15日 かたす町
カテゴリ:エッセイ ホラー 異界
本来なら、時系列順に語るのが適切だろう。
だが、今回はそんな定石に反し、まずはつい最近のできごとを語りたいと思う。
記憶が新鮮さを保っているうちに書きたいというのが一つ。
もう一つは、かねてからオウミ先輩とのことを文章にまとめたいと考えていた私の背を押したのが、今回記すできごとだったからだ。
八月のことだ。
締切間近の原稿をどうにか倒した私は、しかし一息つく暇もなく編集長に声をかけられた。
「オウミくんを迎えに行ってあげてね。取材が終わるころはほとんどバスないだろうし」
「……はい」
私は編集部で唯一、車を所持している。といっても家族と共用で使っているワンボックスカーで、父がほとんど乗らなくなったため自由に使えているという代物だったが。
それでも足を持っていることに変わりはない。
そのため、お抱え運転手のように迎えを頼まれることが多々あった。
ガソリン代は出してもらえるし、私の仕事の進捗には合わせてくれるが、アッシーのように使われている感じは否めない。
だが、この編集部では私が一番下っ端だ。ゆるいように見えてヒエラルキーはしっかりしているため、上からの命令には逆らえない。それが編集部のボスともなればなおのこと。
原稿がきちんとクライアントに送信されていることを再確認してから、私は席を立った。
暇そうな先輩がたに同行を頼んではみたが、けんもほろろに断られた。観光地ではなく電車もバスも本数が少ない郊外が目的地なのだから、致し方ないだろう。
仕方なく、コンビニで飲み物と食料を買った後、私は一人で先輩を迎えに行った。
二人きりになりたくない事情は伝えていない。
これに関しては、二度目の怪奇体験を経た後、先輩と話し合って伝えないことを決めた。
その理由は、言ったところで信じてもらえないだろうというのがまず一つ。
面白がった編集長にホラースポットめぐりを命じられたくないのが、もう一つ。
そして、最後の一つだが。
……あえて言うまい。
強いて言うなら、私もオウミ先輩も、藪に手を突っ込みたがるタチだということだ。
この日、オウミ先輩が取材に行ったのは郊外にある小さな村だ。
あの人の専門はオカルト方面なので、辺鄙なところに向かうことが多い。
そしてそういう辺鄙な場所は、えてして交通の便が悪いものだ。編集長が私を迎えに行かせるのも、それが大きい。
編集長の言ったように、先輩が取材を終えるころにはバスの数は絶望的だった。
「いやあ、助かった。オミがいなかったらタクシー呼ぶしかなかったよ」
スマホで迎えに行くことを告げてから一時間。
寂れたバス停で私を待っていた先輩は、開口一番にそう言った。
オミというのは、私のあだ名だ。名字からとっている。
オウミとオミでややこしいが、あだ名にしないとさらにややこしいことになるのだ。
「飲み物とかおにぎりとか買ってあるんで、腹減ってたら食べてください」
「気が利くねえ」
「コンビニとかないでしょう、ここ」
「午後五時には閉まる商店しかなかった」
とりとめもない話をしながら、先輩はコンビニの袋から緑茶のペットボトルとたらこのおにぎりを取り出した。おにぎりの包みを破る音が、二人で乗るにはやや広い車内に響く。
「先輩は、今日何の取材に?」
ろくに舗装されていない畦道を進む中、沈黙も嫌だったので話題を振った。
「この地方で流布されている、神隠しについて」
たらこのおにぎりを食べ終えたオウミ先輩は、指の腹についた海苔のカスを舐めとりながらそう答えた。
「へえ、神隠し」
「いつの間にか子供や老人がいなくなっているんだってさ。いなくなった人は二度と帰ってこないか、猟奇死体で見つかるかのどっちかだそうで」
「記事になりそうです?」
「微妙かな。今時分だとウケがいいのは郊外の陰気な民話より都会の都市伝説だし」
明日は渋谷に行かないとなあと。
そう零しながら、緑茶を一口呷る。
私も次の原稿の取材があるので、他人事ではない。締切の後に待っているのは次の締切。私は先輩方のように得手がないため長い記事は任せられないが、その分短い記事を多くこなさなくてはならない。
「お互い大変ですね」
「まったくだ」
そう笑い合っていると、ふと、外が暗くなるのを感じた。
この時は特に不思議にも思わず、私は車のヘッドライトをつけた。
「……ん?」
「あれ」
けれど、明かりがついた時。
私達二人は、思わず首を傾げた。
「……いつ町につきましたっけ」
「私の記憶が正しければ、まだだったはずかな」
車はゆるやかな速度で畦道を通っていたはずだ。周囲は田んぼで、町はまだ先のはず。
しかし、ヘッドライトが照らしているのは建物だった。
車を止めて見渡せば、電灯がぽつりぽつりと立っているのが窺える。市街地とも住宅地とも言い難い。田舎の町中という表現がしっくりくる光景が夜闇の中に広がっていた。
私は来たか、と思った。
オウミ先輩も、同じことを考えただろう。
先輩と顔を見合わせた後、私はアクセルを踏む。
「オミ、ゆっくりな」
強く踏み込もうとしたところで、先輩がそう声をかけた。
こういう時、オウミ先輩の指示に従った方がいいことを私は身に染みて知っている。早く通り抜けたい気持ちを堪えて、ゆるやかな速度で車を発進させた。
「異界ってやつかな、これは」
窓の外で流れる景色を眺めながら、先輩はそんな言葉を口にした。
「異界?」
「異世界物ってあるだろう?それの別名だよ」
「ああ、最近流行ってますね」
「最近だなんてとんでもない。異界というジャンルは遥か昔から人類のブームだよ」
人間が、自分たちが属すると認識している世界の外側。
オウミ先輩は異界の定義をそう説明した。
これは必ずしも、剣と魔法の世界を始めとする「異なる世界」を指す言葉ではないらしい。あの世や人ならざるものが住む場所、はてには海外や変わった風習を持つ人達が住むところを人間は「異界」と称してきた。
「暗くなる前、田んぼの切れ目にあたる区画を通っただろう?」
「……通りましたね」
「橋然り辻然り、ああいう「道の境界」みたいな場所はえてして異界の入り口になりやすいんだ。多分あそこを通った時に迷い込んでしまったんだろうね」
「じゃあ、来た道を戻れば」
「無理だな」
私の期待を、先輩はばっさりと切った。
「さっき振り返って確認したけど、あの場所に境界のようなものはなかった。戻るよりは前進して、境界に値するものを探す方が良いと思う」
なるほど、と私は感心した。
速度をゆるめるように指示したのは、そのためなのだろう。
やはりこういう時は頼りになる。
「そんなわけだから、オミもそれらしいものを探してくれ。わかりやすいのさっき挙げた橋や辻だけど、要は道を区切るものならなんでもいいんだ」
「わかりました」
オウミ先輩の言葉に頷いてから、私も流れる景色にそれとなく注意を払い始めた。
変化が起きたのは、それから十分ほど車を走らせた後だ。
いや、変化と呼ぶには少々生ぬるい。
なぜなら、進行方向にいきなり何かが飛び込んできたからである。
「……!?」
周囲に意識を向けていた私は、肝心の前方への注意が疎かになっていた。そのためとっさに反応ができず、飛び込んできた何かをそのまま轢いてしまった。
ボンネットに跳ね飛ばされ、何かは地面に転がる。
暗がりの中でも、それは人型のものに見えた。
車を止め、扉に手を伸ばす。
「オミ、出るな」
そんな私を、オウミ先輩の静かな声が制した。
「でも…!」
「よく見てみろ」
倫理観からくる私の抗議に取り合わず、先輩は何かを顎でしゃくる。
言われるがまま、轢いてしまったものを注視した。
少しの間動かなかったそれは、やがてゆっくりと体を起こす。生存を確認できてホッとしたのも束の間、すぐに私の背筋を悪寒が撫でた。
そこにいたのは、ボロをまとった子供だった。
腹部だけが異様に膨れ上がり、他の部位には骨と皮しかない。男か女かもわからない。
痩せこけて落ち窪んだ――否。
あるべきものがない空っぽの眼窩が、私達をジッと見つめていた。
「オミ!」
「っ」
凍りついていた私は、先輩の叱責で我に返った。
そして、気づく。先ほど轢いた子供の後ろから、同じような風体の子供や老人がのろのろとした足取りで歩いてきていることに。
それだけではない。
一体どこに隠れていたというのか。あちこちの建物の陰からも、同じものが姿を見せた。
それらは一様に、車の方を目指して歩いている。
「車出せ。捕まるのはまずい」
「は、はいっ」
返事とともにアクセルを踏む。今度は勢いをつけて急発進した。
動きは緩慢なため、そこにいた者達は瞬く間に置き去りにできた。
しかし、次から次へと建物の陰から現れるのが速度を上げた車内の中でもわかる。バックミラーで後ろを確認してから、それを激しく後悔した。
老人や子供の形をした何かが、群れをなして迫ってくる。
悪夢として夢に出てきそうな光景だった。
「せ、せんぱいっ」
「……ああ、なるほど」
焦って声がどもる私とは対照的に、先輩はぽつりと静かな声を零した。
おもむろにコンビニの袋を持ち上げ、中に手を突っ込む。そして未開封のおにぎりを全て取り出すと、それらの包みを剥がし始めた。
行動が理解できず、反応が遅れる。
私が意図を問う前におにぎりの包みを剥がし終えた先輩は、そのまま窓を開けた。
「窓、開けてもいいんですか?」
どうにか、それだけを問う。
窓を開けるべきではないケースもあったからだ。
「いいんだ」
その質問にそれだけ返した後、オウミ先輩は窓からおにぎりを投げ捨てた。
すると、追ってきていたもの達の動きが変わった。
彼らはおにぎりに気づくと、我先にとそれに近づく。そして、奪い合うように飛び散った米粒に手を伸ばし始めた。
「古今東西。腹を空かせた異形には、食べ物を投げつけるに限ると相場が決まっていてな」
呆気にとられる私に、先輩はそう笑いかけた。
つられて笑みを作りかけた私はしかし、視界の端に止まったものを見てそちらに意識が持っていかれた。
見えたのは、信号機だった。
点滅している青い光を見て、あれもまた「道の区切り」だと思い至る。ハンドルを切ると、信号機に向かってアクセルを思い切り踏んだ。
「信号機、なるほど。いいぞ、オミ」
私の意図に気づいた先輩が、そう言って太鼓判を押してくれる。
その言葉に背を押されるまま、私は信号機を通り抜けた。
直後、前輪ががくんと沈む。
続いて車体が揺れたかと思うと、車が進まなくなった。
気づくと、そこは畦道だった。
車の前輪が田んぼの中に突っ込んでいて、泥を辺りに撒き散らしながら空回りしている。
それに気づいた私は、慌ててアクセルから足を離した。
「……戻って、こられましたね」
「みたい、だな」
周囲にあれらの影がないことを確かめてから、お互いに深い息を零した。
「……あれ、なんだったんですかね?」
バックで車を田んぼから脱出させながら、先ほどのできごとを振り返る。
問いかけるような口調にしたのは、先輩が何かに気づいたようだったからだ。
「異界に入る前、この地方に伝わる神隠しの話をしただろう?」
その予想に応えるように、オウミ先輩は口を開く。
「あれはね、口減らしの置き換えらしいよ。猟奇死体も含めてね」
「……口減らし」
「間引かれた子供や老人は、当時の人達にとっては異界の住人だったんだろうね」
だから、記事にするには微妙なんだ。
それを最後に、先輩はそのことについて何も喋らなくなった。
こうやってその時のことを、彼らのことを記すのは、私のエゴだろう。
それでも私は、筆をとらずにいられなかった。
あまり情を移すと、また誘われてしまうぞと先輩には言われてしまったけど。
これが、いらないものとして異界に片付けられてしまった彼らの、せめてもの供養になればと願う。
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