142話 釣り
「私は今年で55歳になりました。息子に家督を譲って引退してもいい頃合いです。遅すぎると言ってもいい」
ベッティンガーは息子のクネースを見て言った。
「実を申しますと、5年前から家督相続願いは王宮に提出済みです。普通は1年を待たず承認される願いが今日まで却下され続けています」
「ふむ、理由は?」
義清が聞いた。
「まだ私が現役でいれる、息子がまだ未成熟、領内不穏につき時期尚早などです」
「取ってつけたような言い訳ですな」
「私もそう思い人を使って内々に調べますと、王宮内のニルス・ドンペルトという貴族の元で私の家督相続願いが握りつぶされていることがわかりました」
「何者かなそのニルス・ドンペルトとは?」
「王国北部やや東寄りに領地をもつ大貴族です。悪いことに我が領地の隣の貴族の後見人でもあります」
ここで義清の目の端に大禍国の兵が映った。
3、4人の兵が王宮の巨大な中庭からテラス下を通って王宮内に入ろうとしている。
日が暮れているというのに松明も持っていない。
義清が兵に気づいたのは王宮内から漏れる明かりが、たまたま鎧に反射したからだ。
義清は見なかったことにしてベッティンガーに答える。
「何かちょっかいでもかけてきたので?」
「ドンペルトは人伝に、息子のクネースに家督を継がせるのではく、兄弟4人で領地分けして相続してはどうかと言ってきました」
「見え透いた罠ですな。大きくもない領地を兄弟で分けてはお家の力は弱体化してしまう」
「もう1つ、ドンペルトは琥珀の産出についても難癖つけてきました。曰く、琥珀は元々ドンペルトが後見人を務める貴族の鉱山から出たもので河で土砂と共に流れただけで、産出権はドンペルトが後見人を務める河上の貴族にもあると」
「ははあ、話が見えてきましたな」
義清は言ってグラスを傾ける。
階下では先程の大禍国兵がエカテリーナとラインハルトにゼノビアを伴って王宮か出てきた。
こころなしか3人の顔が赤いのは酒のせいばかりではない気がした。
ここでも義清は見ないふりをした。
「つまりは、ドンペルトは琥珀の貿易に一枚噛みたいどころか我が物とすべく、アルベルト家の家督相続に首を突っ込んできたと」
中庭を進む一団を無視して義清は言った。
「はい、家督を相続させるにはドンペルトが後見人を務める貴族に琥珀産出の権利を渡すか、領地を兄弟4人で分けるかの二者択一を迫られているわけです」
「付け加えるなら我が領地で起こった河の氾濫原因は、ドンペルトが後見人を務める貴族が、鉱山開発を急いだせいで樹木と土砂が山から失われたせいです」
クネークが補足説明をいれた。
ここで義清の耳がピクリと動いた。
遠くで大勢の鬨の声が聞こえた気がしたのだ。
義清はそれを無視して話を続けた。
「いいだろう。その家督相続問題にワシも加わるとしよう。目標はクネーク殿が無事領地を相続するということでよろしいか」
「ありがたいお言葉。ぜひ我家への加勢よろしくお願い申し上げます」
ここで王宮を含む城の中腹辺りで鬨の声が上がった。
先ほどと違いテラスにいればはっきりと聞こえる程の大きな声だ。
「何事ですかな?なにかあったのでしょうか?」
「うむ、尋常な事にあらず」
クネークに続いてベッティンガーが状況を怪しむ。
「酒に酔った連中が騒いでいるのかもしれん。‥‥それより今後のことを‥‥」
義清の言葉をかき消すように今度は散発的な爆発音が聞こえはじめた。
義清は思わず片手で顔を覆った。
あの音は義清には聞き慣れた音だ。
先のラビンス王国との戦いで活躍した暴筒の音に他ない。
「失礼します」
いつの間にテラスに現れたのか、アルターの声に3人は振り向いた。
アルターは少し迷って義清の耳元に寄ろうとしたが、義清が止めてその場で報告させた。
「しからばこの場にて失礼します。先程遠方へと赴いていた王国近衛師団の一部が帰還しました」
「ふむ、こんな間の悪い夜にか。それで?」
「ただいま城の中腹にて我が大禍国の兵と押し問答になっております」
凄まじい轟音が鳴り響いた。
今度は散発的ではなく連続している。
大禍国で暴筒を預かるスケルトンがヴァラヴォルフ族の指揮のもと暴筒を斉射したのだ。
義清はグラスを置いて深くため息をついた。
「押し問答に暴筒は必要ないと思うが?」
呆れ気味に義清がアルター聞く。
「は、先程の報告では近衛師団と揉めているので脅しに暴筒を撃つかもしれないとのことでした」
城の中腹でまたも連続して爆発音が聞こえた。
今度は先程よりもっと増えて、連続した爆発音が間隔を置いて何度も鳴っている。
暴筒を撃つ筒衆が何組も交代で、暴筒を斉射しては交代するのを繰り返しているのだ。
義清は頭に手を当ててアルターに呆れ気味に聞いた。
「あれがただの威嚇だと?」
「失礼しました。状況が移り変わったため報告をあらためます。只今城の中腹近くで王国近衛師団と大禍国の兵が激突した模様です」
義清が深く深くため息をついた。
「父上あれを!!」
クネークが城の中腹の広場の一角を指差して叫んだ。
所々に篝火が置かれた闇が残る城の広場に松明があふれ出てくる。
おそらく城の入り口から中腹へと撤退してきた一団だろう。
松明が今まで見えなかったのは城の構造上、城の入り口から広場に至る道は直線ではないため、テラスからは見えないようになっていたのだ。
「どちらの兵か?場内での武器の使用は禁じられているはずだが」
ベッティンガーは目を凝らして食い入るように広場を注視している。
「お国の兵のようですか!?」
クネークが義清に聞いた。
「‥‥うん、まあ、しかし、こちらが押されておるということは傷つくのは我が方ということで‥‥」
「大殿、失礼ですがあれは‥‥」
「シィィーー!!だまれアルター」
アルターの言葉を義清は遮った。
大禍国の兵の一団は松明を揺らめかせながら広場の中ほどまで後退した。
後退速度は落ちたが、なおも城の奥へと後退したいようだ。
それに続いて王国の近衛師団と思われる一団が広場へと突入してきた。
こちらも松明を各所で焚いているので、両方の兵数は把握することが簡単だった。
広場にいる大禍国の兵の方が、突入してきている近衛師団より兵数が少ない。
広場へと突入してきた近衛師団は、後退する大禍国の兵の最後尾へと襲いかかる。
近衛師団の松明が大禍国の松明と交わろうかとしたその時、大禍国の最後尾でいくつもの光が瞬いた。
次の瞬間、連続した爆発音が王宮内に鳴り響いた。
大禍国方が暴筒を並べて近衛師団に向かって斉射したのだ。
その瞬間、大禍国方の松明が止まった。
大禍国方がなおも暴筒を斉射する。
近衛師団はこの斉射に驚いて広場入口めがけて後退し始めた。
すると、間髪いれずに大禍国方で鬨の声が上がり松明が近衛師団の方に進んでいく。
大禍国方が反撃に転じたのだ。
2つの集団の松明が交差する。
すると、いくつもの松明に紛れてピカピカと広場中に光が瞬いた。
手槍と剣がぶつかって鋼が飛び火花が散っているのだ。
「はやく仲裁しないとお国の兵が危ぶのうございますぞ!!兵数は近衛師団の方が上です!!」
クネークが義清に急を告げる。
「うむ、いや、そうなのだが。いや、むしろそうであればいいのだが‥‥」
「まて!!クネークあれはひょっとすると‥‥」
ベッティンガーがクネークを止めた。
広場では2つの集団がやや入り口近くで激突している。
それぞれの後方には戦いに参加していない一団がいる。
予備兵力兼司令部といったところだろう。
それぞれが適時ここぞと思ったタイミングや場所に、この兵力を投入するつもりなのだ。
大禍国方の後方のいち団から暴筒の斉射が行われた。
間隔を置いて3斉射する。
それを合図に前線の大禍国兵が後退を始めた。
広場のもう一方の出口めがけて大禍国方が大きく後退していく。
これを勝機と見たのか近衛師団が追撃をしかける。
大禍国の兵が半分ほど広場から脱出したところで、近衛師団のいち団が大禍国方の最後尾を捉えた。
刃を交えるかと思われたその時、広場出口付近で轟音が鳴り響く。
広場出口の城壁の上に陣取った筒衆が暴筒を斉射したのだ。
筒衆付近に松明が焚かれていないので、テラスからも暴筒が撃たれるまでその存在に気づかなかった。
近衛師団からも闇夜に紛れた筒衆に気づけた者はいなかっただろう。
この斉射に驚いて近衛師団の歩みが止まった。
大禍国の兵の最後の一団が広場出口へと後退していく。
近衛師団でもなんとかこれを補足しようと追撃するが、城壁に陣取った筒衆に阻まれて身動きがとれない。
そのうち大禍国方は広場から完全に後退して、テラスからは城壁に阻まれて見えなくなった。
城壁からも散発的に暴筒が撃たれていたが、少しして近衛師団が近づいても撃たれなくなったところをみると大禍国方は完全に城の奥へと後退したのだろう。
「大殿いかがします?黒母衣衆からも加勢をだしますか?」
アルターが義清に聞いた。
「馬鹿を言え、あれが加勢が必要に見えるか」
「何を言われますか!?お国の兵は押されて退却しておりますぞ!!」
義清の返答に驚愕してクネークが言う。
「違うな、クネークあれは違うぞ」
ベッティンガーが落ち着いて息子に言った。
なおも反論しようとするクネークを手で制して、ベッティンガーは義清に言った。
「義清殿、あれは釣りでございましょう」
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