134話 マシュー余談


「いやあ呼び声役殿、お役目大儀大儀。これにてお役御免、約束通り報酬に色ものせておりますので、どうぞお受け取りくだされ」


 アルターはニコニコしたながらマシューにずしりと重い布袋を渡した。

マシューは役目を果たした安堵感でいっぱいになりながらそれを受け取った。


「後日我らを訪ねられよ。約束通り街の劇団へ紹介致そう。そうだ!!低賃金で激務のくせに卑賤役などと呼ばれるこんな仕事さっさと辞められよ。なんなら我らが王宮から帰る際に同行なさるか?どうせ辞めてしまうなら早い方がいいし、今更礼儀正しくしても何も得することありますまい」


「いえ、こんな仕事でもお世話になった方がいますので。そういった人に挨拶をすませてから辞めようと思います」


「それは殊勝なこと。どうせ今日一日我らは王宮におらねばならんので、何かあれば頼られよ。さしあたりその袋は厳重に保管するか両替屋にでも預けるがよろしかろう」


 マシューは丁寧にアルターに礼を言って、使用人が使う大きなカーテンからアルターと連れ立って出てきた。


 これは余談になるがこの後のマシューについて記しておこう。


 マシューはこの後アルターの紹介で街の中堅演劇劇団へ入団を果たす。

しかし、マシューはそこで劇団員として芽が出ることはなかった。マシューの持つ演劇の才能は努力でなんとか人よりややうまいかといった具合で、とても劇団の顔を張れる程ではなかった。いわゆる中堅演劇団の中堅前後が精一杯だったのだ。


 しかし、マシューにとって幸運だったのはそれに早い段階で気づいたことだ。

彼は自分の劇団人生に早くから見切りをつけて別の道を探そうとする。そしてマシューにとって本当に幸運だったことは、劇団を辞めた日にたまたま街の酒場でアルターと再開したことだ。


 やや粗暴な集団だがそれを束ねる者としてマシューの人生にひとつの転機を与えてくれたアルターに礼を言って、マシューはその日酒場で生まれて始めて飲み客全員に支払いをおごった。


 アルターも気持ちよく酒を奢られたが、努力ではどうにもならないことがあるとマシューの境遇を思いやった。このことを知った義清は、あるいはマシューほど思い切りよく見切りつけができるならば失敗して元々と一策さずけた。


 義清が転生する以前の世界では喜劇が当然のように存在した。

しかし、この世界には存在しない。喜劇が存在するにはある程度の文化的成熟が必要で人々に浸透していない。人々が見物するのは身分差による恋や容姿端麗で秀才だが、惜しくも若くして病に倒れるといったいわるゆ悲劇とよばれるもの。


 あるいは故人となった将軍などの活躍を描く英雄譚えいゆうたん、または英雄の感情や情緒を主観にした苦労話などの抒情詩じょじょうしが一般的だった。これは地球の古い中世以前の文明でも同じで、まったく喜劇がなかったわけではないが数は圧倒的に悲劇や英雄譚の方が多かった。


 義清はマシューにビルドゥングスロマーン、教養小説の存在を教えてやった。

これは物語の主人公が成長していってなにかをやりとげるという今日では当たり前の話で、いわゆる努力・友情・勝利という3大方程式で物語を構成していく、どこかの週刊雑誌のような物語のことだ。


 ちょうどこの大陸ではこの時代、といってもここ数百年だが、奴隷から自由労働が生まれている。奴隷労働から逃げて怠けることしか考えていない者に努力というものを教え。友情は騎士達の間くらいでしか存在しないと思われていた民衆に、お互いがどう思えば友情が成り立つかを教える。そして人々に最も不足していた、何かに勝利するということがどういった快感を生み出すのかを刻み込む。


 義清は以前にもこのような力・友情・勝利という3大方程式のことをエカテリーナなどに話した事はあった。しかし、自分の好きなことを誰かに伝えるのが壊滅的に下手くそな義清の話はいまいちエカテリーナらには響かなかった。


 なによりこの方程式は政治ではなく文化なので別に自分がやらなくても好きな者がやればいいだろうと、義清の側に仕える者たちは関心をしめさなかった。義清もこの世界の人間に知らない概念を伝える難しさや自分の話下手な部分に落胆しこれ以上は人に広めなかった。彼は伝えられなかったことを恥じていたといっても過言ではない。


 義清がマシューにこの方程式のことを話したのは、エカテリーナらに伝えてから数十年たっており、自分の恥という傷が癒えてきた気がしたからだ。マシューは演劇役者を志していただけあってこの話に興味をしめした。自分から積極的に質問し義清の話下手な部分を補うことができた。


 やがてマシューは劇団で使えるような物語の台本を書き上げ、義清の後押しもありラビンス王国首都で劇団の一座を立ち上げた。マシューには演劇役者の才能は人並みだったが構想力の才能はあり、物語を描きそれを人に伝える才能はあったのだ。


 このマシューの劇団に人々は熱狂する。

等身大の主人公が努力で成長していき、やがては冒険に出かける。そして冒険の中でも成長しながら頼れる人を見つけ友情を育み親友と出会う。そして強大な存在と対峙し悪戦苦闘の末に辛くも勝利する。もう一度いうが今日では当たり前の物語に聞こえる当然の話しだが、これらにはじめて触れた民衆には熱狂できるだけの新鮮さと驚きがあったのだ。


 マシューは国外に遠征して演劇を行うほどにまでなっていく。

しかし、マシューの演劇は効き目がありすぎた。これは民衆が国家単位で共通の話題を持てるきっかけを与えてしまい、早すぎる民主政治の芽を生み出してしまったのだ。


 それまでは人々は村単位かせいぜい都市国家単位で物を考えるのがせいぜいで、領地を超えて共通の認識を持つことは極めて珍しいことだった。それがマシューの劇団が行くところ人々が集まり、マシューが各地を遠征するもので人々は嫌でも共通の話題を持つことになり人々の団結を生んだ。


 やがてそれはラビンス王国南部に、山岳を挟んで存在する国で革命が起こった時の火種となったとされている。これは誤りで元々この国は政情不安で共和主義の温床のようになっており、大陸中から志を同じにするものが寄り集まるようになっていた。しかし、民主政治を行うには民衆の側にある程度教養が必要だ。昨日今日奴隷からやっと自由労働が生まれたこの大陸で、それはまだまだ早すぎるといっていいい。


 例えば関税を上げるという国の政策が自分にどんな影響があるのか、そもそもそれが良いことなのか悪いことなのかの判断ができない。金をばらまいて選挙に当選したいと言う者に、なぜ当選させてはいけないのか、当選するとどうなるのかなどの想像力が及ばないのだ。


 この王国南部の国はまさにそんな状態であり、国が民衆の目を政情不安からそらすためにマシューの演劇を弾劾したに過ぎない。このことはこの国を二分することになり、かたや民衆はマシューの演劇に熱狂し、かたや売国奴の宣伝と攻撃した。


 ある時マシューはこの国のある地方都市を訪れ演劇を行う。

たまたま別の用事でこの都市に滞在していた義清と再開する。マシューは自分をここまで押し上げてくれた義清に大変感謝し、是非とも新作の劇を見に来てほしいと懇願し、義清はこれを了承した。実のところマシューの演劇は大禍国おおまがこくでも評判だった。彼らが民主政治に感化されなかったのは彼らの寿命と価値観かくるものだが、その話は別の機会に記すとしよう。


 ともかく義清は劇を見物した。

大禍国でも評判の演劇とあって会場には大勢の人が押しかけた。特に新作とあってその都市の人々、義清の護衛と称して付いてくる大禍国の戦士たち。護衛からあぶれたので入場券をダフ屋から不正入手した者など会場黒山の人だかりとなった。


 そこにマシューの演劇を売国奴とする一団が突入して乱闘騒ぎとなる。

ほどなくして行政機関から遣わされた都市治安維持隊が到着するが彼らは攻撃者を見て見ぬ振りをして、逆に演劇を見物に来た人々を逮捕しようとする。実は攻撃者を送り込んだの都市の市長で、治安維持隊も裏で攻撃者とつながっていたのだ。


 これに大禍国からきた戦士たちが激怒する。

彼らは無実の人々が不当逮捕されたのに怒ったのではなく、劇が中止させられたという、極めて個人的な怒りから治安維持隊を攻撃する。実はこの時の会場に入る券はほぼ完売しており、あとから演劇があることを知った、彼ら大禍国の人間は大部分がダフ屋に高い金を払って入場券を入手していた。


 その入場券でも入れるのは舞台から一番遠い末席が精々だ。舞台に近い演劇役者の顔が見れる上等席には近づくことさえできない。中にはどうせダフ屋に金を払うくらいならと、入場券を持たず会場に行き、入場の場で係の人間に直接金を握らせて会場に不正入場するという猛者までいたほどだ。


 高い金を払ったのに劇を半分も見物できなかった大禍国の戦士達は激怒して治安維持隊を攻撃、会場から一掃する。この時、義清は護衛の者に、もしもの時に備えてということで退出を促がされている。これがどこでどう間違って伝わったか、会場にいる戦士達に、義清負傷の報として広がってしまう。


 戦士達の怒りは頂点に達し、会場から撤退する治安維持隊を追撃してその庁舎まで追い詰め焼き討ちにしてしまう。この火を放ったのが大禍国の者なのか、それとも日頃から治安維持隊に不満を抱く会場から付いてきた都市の民衆なのかはついにわからなかった。


 治安維持を担当する機関を失った都市は無政府状態同然に陥り、各地で乱闘略奪放火が横行した。人々は危険を避けるため都市で唯一大規模な兵力を持ち、混乱から立ち直って治安維持に努めようとする義清の滞在する大禍国宿舎に殺到した。大禍国は自分で放火して自分で消火する羽目になったのだ。そしていつもケツを拭いてやって混乱を収束させるのは義清の役目になる。


 義清は急遽都市の治安維持を目的とした臨時の憲兵隊が編成する。

彼らは憲兵隊なので戦闘集団とされ警告の後に略奪暴行を行う暴徒に対して、即決裁判で死刑を宣告する権利を有することとなった。


 彼らは徐々に巡回範囲を広げ、それにともなって治安は回復した。この間一月を要した。治安回復に時間がかかった原因は義清の手元に中途半端な兵数しかおらず、治安維持には憲兵隊の下に都市住民で編成された巡回隊を編成するしかなかったことだ。


 この人選に手間取り、巡回範囲を思うように広げられず、暴徒と化した民衆を封じ込められなかった。当初人選ミスにより巡回隊がそのまま暴徒になり、逆に治安悪化に拍車をかけたことが人選に慎重になった原因である。


 一ヶ月後義清は都市の市長に事の次第を報告し、大禍国が滞在する間に急いで治安維持機関を復活させるように要請した。市長は激怒して賠償と義清本人からの謝罪を要求した。義清からすれば元をたどれは攻撃者をけしかけた都市行政とその代表である市長の責任であり、そもそも政情不安はこの国の責任だった。


 加えて市長が要請した賠償金額が過大だった。

調べてみると義清のこの都市の滞在期限が迫ってきているのを知ってのことだった。元々義清の目的はこの国の別の都市に行くことが目的でこの都市は通過点にすぎない。目的地までのタイムリミットが迫っていたのだ。市長はそれを知っていて賠償金をふっかけるだけふっかけ、義清から金をしぼり取ろうとしていたのだ。


 義清は市長と協議を重ねたが市長は応じず、時には会うことにさえ応じなかった。

ついにタイムリミットとなった義清は観念するように、都市を出発する前日に賠償金を払うことを伝えた。出発の日義清は賠償金を払う誓約書にサインするため市長室に赴く。


 義清はその場で毒を食らわば皿までと言うと市長を抹殺する。

それを合図に護衛が市長室にいる政権幹部を斬り殺すと、市庁舎に大禍国の兵が乱入する。主だった行政幹部をことごとく抹殺すると都市から出発の準備を整えた。


 彼らは堂々と表通りからマシューの一座を伴って、都市をあとにしたが民衆は歓喜してこれを見送った。実は彼らは市庁舎やその他制圧した行政機関に保管されていた金品を、通りからばらまきながら都市から出ていったのだ。


 大禍国が去った後の都市は再び無政府状態となり混乱は長く続いた。

義清としてはこれが民主政治の限界だと思ったのだ。不正選挙や民主政治を利用して私腹を肥やす市長や政権幹部を止める、考えも手段も民衆には持ち合わせていない。かといって政権を覆すだけの武力も民衆はもっていない。何より1人1本は剣を携えて生活するこの時代に民主政治は無理があった。いわばこの時代の民主政治末路を体現したようなものだった。この時代に民主政治をしてもさかしい者に食い物にされるか、武力を持つものに滅ぼさるしか無い。義清はそれを示したのだ。


 長くなっったがマシューの余談を終えよう。


 マシューとアルターは王の間の入り口の使用人カーテンから出た。

マシューの案内で王の間の側面の廊下を進む。王の間に限らず王宮の至るところに使用人が使う部屋の側面からはいる入り口がある。通常はカーテンで隠されている。貴族が動く家具と認識する使用人はこうした入り口から入ることで、そっと部屋に入ることができ貴族の関心を引かず、ドアの開閉で貴族の話を遮らずにすむのだ。


 アルターは今日は義清の護衛大将を努めているので義清を常に目の届く範囲に入れたく、この側面入り口から義清を見ることし、マシューに案内を乞うたのだ。

アルターは側面入り口から王の間に入るとカーテンの中からマシューと、義清を見た。

そしてアルターがうなるように言った。


「んん?なんぞ問題があったかな?」


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