134話 礼儀


「義清公!!陛下の御前であらせられるぞ。なんたる不敬な振る舞いか!!」


 王の間をヒンネルク・シュタインベックの声が響く。

義清と王の横に控えるシュタインベックとの距離は遠く、お互いの表情も読み取ることが難しいほどだ。それにも関わらずシュタインベックは義清がタバコを吹かしていることを目ざとく見つけ、ここぞとばかりにまるで見せしめの様に義清を注意した。もっとも、シュタインベックが義清がタバコを吸っていると判断したのは、義清の顔が隠れるほど煙がたかれていたせいだった。煙だからシュタインベックもタバコと判断したが、まさか専用の器具まで必要な水タバコを義清が王の前で使っているとは思っていなかった。


 その様子を脇のカーテンから見ていたアルターが独り言のように言う。


「くそっ、あれのどこが悪いと言うか」


「まずいですよ。陛下の御前でタバコを吸うなんて」


マシューが顔を青くして言った。


「何が悪い。礼儀にのっとってタバコを吸ってやってるというのに、あの言い草はなんだ」


「何が礼儀ですか!?失礼極まりないでしょう。偉い人の前でタバコを吹かすなんてっ」


 マシューの言葉にアルターは目をパチクリさせて驚いた。

それから王の間を改めて見渡してつぶやく様に言った。


「そうか、文化の違いか」


 大禍国おおまがこくでは目上の人間が目下の人間を待たせることは卑しく汚い行為とされている。上に立つ人間がその権力を利用し目下の人間の時間を不当に奪う。逆にいえばその目上の人間は権力を利用しなければ人に会うという簡単な行為さえ、まともにできないと無能さを周囲に表すこととなってしまう。


 しかし、組織を運営する以上はどうしても目上の人間に会う時に待ち時間が生じてしまう。例えば大禍国でも年始の挨拶に重臣などが義清に謁見して口上を述べたり談笑したりする。


 この時は今まさに王の間で行われている様に、義清が上座に座り重臣一同が部屋の左右に座る。そして呼ばれた者が義清の前に行き座るのだ。今王の間で行われていることの縮小版といっていい。違いは待っている重臣たちが思い思いの形で暇つぶしを行っているということだ。

 

 ある者は隣の者と将棋を始め、ある者は懐から本を取り出し、ある者はタバコを吸い始める。これは目上の人間に対して、自分は待たされているわけではなくやることがあり、決して目上の人間に時間を奪われているわけではないということをアピールする、一種の礼儀作法なのだ。


 待たせることが卑しく汚い行為とされる大禍国では、こうして待たされる側が待ってはいないとアピールすることで、目上の人間に恥をかかせないようにすることが礼儀作法として成り立っている。これで目上の人間は卑しく汚い存在とならず、目下の人間は暇を潰せて両者得ができるというわけだ。


 この礼儀作法の成り立ちには諸説あり、そもそも大禍国独自のものといったわけでもない。この礼儀作法は義清たちが元々いた転移前の世界に存在していたものだ。起源は古い王が大量にいる家臣が自分に挨拶する間の待ち時間を気遣ったといったものから、ある家臣が注意を受けてとっさに言った異国の作法という嘘から生まれたものと諸説ある。


 いずれにしても大禍国ではごく当たり前に行われている礼儀作法だ。

義清も当然この礼儀作法に則って懐から水タバコを取り出したわけだが、ラビンス王国では無礼にあたってしまったというわけだ。アルターは王の間にいる貴族を見てこの文化の違いを感じ取ったのだ。アルターが見てわかったのだから義清の注意不足と言えたかもしれない。


 しかし、義清としては珍しくこの小さな事に腹がたった。

あるいは久しく人間であった時から時間が経っていたため、モンスターの感覚が強くなり、赤の他人の無能に自分の時間が奪われるということが耐え難くなっていたのかもしれない。


 義清は一歩前にでて王に非礼をびた。

そして、貴族が並ぶ列に戻ると、いつ退屈な王の間から退室しようかと機会をうかがっているエカテリーナらに2、3言話しかける。


 やがてエカテリーナを残してあとの3人は王の間を退室する。

流石に王の間の入り口の大扉から退室するほど無礼ではなかった。アルターとマシューが控える部屋の脇の使用人が使う出入り口の方から退出する。


 貴族たちから見れば使用人が使う出入り口を使うのは卑しい行為だが、3人からすれば知ったことではなかった。退出する3人はニヤニヤしながらアルターたちのいる出入り口を隠すカーテンの中へと入ってきた。アルターがゼノビアへと話しかける。


「ゼノビア様、大殿はとんだ災難でしたな」


「ハハハ、アルターおまえ今日は大殿の護衛大将だろう。それならここから動くんじゃないよ。こっちはアタシ達がやるから」


「は?と言われますと?」


ここで横からベアトリスが言う。


「美味しいものがいっぱいあるといいですねえー」


ラインハルトもアルターの方を向くと言った。


「アルター、大殿は腐っても俺たち荒くれ者を束ねるお方だぞ。このまま引き下がるつもりはないそうだ」


そう言って三人はカーテンから廊下へと出ていってしまった。


「どういうことですか?」


マシューがわけもわからずアルターに聞いた。


「わからんが、何か楽しいことが始まりそうな気がするな」


 戸惑うマシューを尻目にアルターはもう一度王の間の2人に目を向ける。

義清は相変わらず立っているだけだが、やや機嫌が悪いように見えた。対してエカテリーナは杖を小さく左右に振って何事か魔導を作っているようだ。遠からず王の間で何か起こるだろう。


「なんだか知らんが、おもしろくなりそうだわい」


 アルターは機嫌悪そうに立つ義清の背中を見て、なぜだか少し頼もしく感じながらニヤリと笑いながら言った。

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