115話 撤退


 突然戦場に響き渡る撤退の合図に城方は動揺する。

脚を止めて周囲を確認する者、眼前の手柄を取りに行く者と行動は人それぞれだ。


「なんだと!?今まさに敵を追い詰めているこのときに撤退だと!?」


ラインハルトはラハブを急停止させて思わず聞きまちがいではないかと周囲に確認した。

それというのも先程まで鳴っていた退がねの音が今は聞こえないのだ。普通は退き鐘は撤退している間ずっと鳴っている。


「確かに先程まで鳴っておりましたぞ」


「進軍を続けますか?」


「先手衆が進軍を止めた模様!!」


「後方がせっついてきておりますぞ」


ラインハルトの元に続々と報告が入り混乱が広がっていることが伝わってきた。


「ヴァラヴォルフ族が引き返しますぞ!!」


 この報告にラインハルトは前方を見る。アルター老人率いるヴァラヴォルフの逆襲部隊は撤退を決意したようだ。遠征軍を蹴散らしつつ部隊を大きく右に旋回させている。やや旋回に時間がかかっているのは、ボア族が敵の逃亡兵をヴァラヴォルフ族の前面へ追い立てたせいだろう。恐慌状態に陥った敵の集団を切り崩しながら土煙をあげて戦場から離脱していく。


「馬出しの逆襲部隊の動きは?」


「未だ戦場に留まっておりますが、我らと同じく歩みを止めたようです」


ラインハルトの問に周りの配下が答える。ラインハルトと同じく騎乗しているため戦場の様子を一段高い場所から見ることができるのだ。

そうこうしている間に配下は指示を仰いでくる。


如何いかがします?我らのみでもこのまま進みますか?敵の崩れ方からして不可能ではありませんぞ」


「退き鐘を聞いた後にか?それはまずかろう」


「途中で退き鐘が鳴り止んだのだ。それを言い訳にすれば良い。敵の総大将の首を持って帰りでもすれば十分な言い訳になろう」


「取れてもいない首に期待してなんとする。今だけでも兜首をいくつか上げている。これで引き返しても手柄としては十分だろう」


配下の者達はラインハルトの周りで言い争いを始めてしまった。


進牽隊しんけんたいが引き返し始めました!!」


 ここでボア族最右翼を預かる進牽隊が引き返し始めた。ヴァラヴォルフ族にならって部隊を右に旋回させている。騎乗集団である進牽隊の指揮官はおそらく、自部隊のみが進んだとしても歩兵中心の他部隊との進撃速度の違いことから敵中に孤立する恐れがあると判断して撤退の判断を下したのだろう。

 部隊を止まらせればいい的になってしまう。騎乗部隊は走ってこそ真価を発揮するのだ。

 進牽隊が動き出して間もなく、退き鐘が再び鳴り始めた。今度は中断することなく間延びした鐘の音が戦場に鳴り響く。


「仕方がない。撤退するぞ!!他部隊に倣い部隊を右に旋回させる。馬出しの逆襲部隊が孤立せぬ様に足並みをそろえる!!」


ラインハルトも退き鐘が鳴り始めたからには撤退の指示に従わざるを得ない。


「しかし、悔しい。ああまで混乱する敵を差し置いて撤退とは、敵総大将の首まで取れるかもしれん好機であったのに」


 ラインハルトは撤退を始めて振り返ると、未だ混乱から立ち直れず右往左往しながら撤退している遠征軍を見据えて言った。

 城方の左翼を進む馬出し逆襲部隊もボア族に倣って撤退を始めている。


 撤退するボア族が大手門に城の大手門の間近までくると、黒母衣衆の騎乗部隊が突然出てきた。

数はそれほど多くなくせいぜい100騎程度だろう。城を出ると左に曲がって敵の右翼部隊へ向かうようだ。


(まさか大殿は自部隊に手柄を立てさせたいが為に撤退させたのか‥‥)


一抹の不安がラインハルトの頭をよぎったがあの程度の騎兵ではどうにもなるわけもない。ましてや混乱しているのは遠征軍の左翼であって、右翼は弓合戦を行っているはずだ。あの程度の兵力では返り討ちにあってしまうだろう。


(とにかく大殿に真意を聞く必要がある)


ラインハルトは入城すると義清の元へと急いだ。


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