不思議な部屋

くるみ

第1話

疲れていたのだろうか。

目覚めると

あたりは

靄がかかって

よく見えないが

生暖かい薄日の射す部屋のベッドの上だった


ここは家ではないな

3時には買い物に行くつもりで

ソファーで転寝をしていたはずだ


私は体を起こそうと上半身をベッドから離した

あれ?

動かない

身体が動かない


見ると自分のモノではない服を着ている

ふわふわの薄いゴースのようなものでできている


小さいころ母に連れられて見た舞台で踊るバレリーナの衣装を

羨望の眼差しで眺めていたあの時の私が囁くではないか

こんな衣装着たかったんだよね


そうだ思い出した

こんな柔らかい透明な幾重にも重なったフリルのドレスのような衣装

一度でいいから着たかった淡いピンク色の衣をまとっていた



しかし体が動かない

鉛のように重たいのだ

手も脚もパンパンに腫れあがっている

痛みは無い



ここはどこだろう

どうしたのだろ!?

なぜ知らない部屋にいるのだろう




気のせいかと思ったがコトコトと音がする

音のする方へ眼をやると

壁だと思っていたところは部屋があるようだ

老女の後ろ姿が見える


そこはキッチンなのか

老女は背を向け何か料理を作っている


着古した上着を腕まくりし西洋風の長いスカートに

お腹をすっぽり隠すような白いエプロンをかけている

白髪の長い髪を結い上げ、ひたすら野菜を切っている

私がここにいることを気にもとめてない様子だ


私は

勇気を出して声をかけた


あの、すみません

ここはどこですか?

ここは、あなたの家ですか?


すらすらと普通に話したつもりだったが

思うように大きな声が出ない



老婆は相変わらず、後ろを向いたまま

何か鍋で煮物を作っりはじめた

私は、かすれた声でもう一度声を振り絞った


あの~!

すみません!



しかし、老婆には何も聴こえていないようだった

私がベッドに居ることもわかっていないのかもしれない




私は目を閉じた

これは夢の中なのだ

記憶を手繰り寄せてみた


そうだ3時に買い物に行くつもりだった

もう一度目を閉じれば、

今度目覚めたら夢からさめて

私はいつもの私に戻る

心配しなくてもいい


私は自分にそう言い聞かせて

深呼吸をした



今年は2019年

アジアの日本、東京


忘れないように、呪文のように唱えた



どれほど眠ったのか私は再び目を覚ました

ほの暗い部屋の天井が視界に入ってきた


その刹那

私は絶望に襲われた



私の家ではない

あの老婆がいる部屋のベッドの中だ


老婆がいたキッチンの方に目をやると

老婆の姿はなかった



目覚めと同時に、私は左足の小指に痛みを感じていた

いいえ、小指の痛みで目覚めたのかもしれない


誰もいるはずもないのに、私は声を出した


痛い

痛い



すると


ごめんね

ごめんね


と声がする


誰か日本語で喋っている

そうか!ここは日本なのだ

いったい誰?



私は姿の見えない誰かに向かって精一杯の声を発した



誰か居ますか!



左足の小指の先がズキン、ズキンと痛む度に


ごめん

ごめん


と声が声がする



ほの暗い部屋のベッドの上で声のする方へ目を向けた。

左足の小指の先に、何か小さな黒いモノが動いている!



ゴキブリ?

何?


私は全身のエネルギーを視力に注ぎ、目をこらして動くものを捉えた



それはゴキブリではなく、片手に乗るほどの黒い

小さなネズミのようなモノが見えた



まさか、これが人間の言葉を話すのか?

きっと遠隔操作でもされている精巧にできたロボットなのだろうか?



すると、まるで私の気持ちを察したかのように

ネズミのような小動物は話しかけてきた


ごめん、ごめん、

これが俺様の仕事なのよ



小さなネズミに人間の声帯があるのだろうか?

確かにそう聴こえた




私、足の指が痛いのですが


だからさっきから

ごめん、ごめん

って謝っているの

あんたがいくら痛くても

仕事だから悪く思わないでくれ



ネズミはそういって歯をむき出して見せた



明らかにネズミではない

驚くことに、身体の3分の1ほどもある三角に尖った大きな鋭い前歯があるではないか!


ほの暗い部屋の中で、私の眼も慣れてきたのかネズミのような小動物の顔が見える

目をつぶっているのか、私に視線を合わせない。

私の顔が見えていないようだった。



少し低い声でネズミが言った


あんたの思っていることはわかるよ

奇妙な生き物って思ってるだろ



俺様はね、いつも薄暗い所で1万年も生きてきたから、ほとんど光が無くても見えるのよ。

この歯は、齧るためにだけ使うから、大きくなったんだ。

必要なものは大きく、不要なものは小さく進化したってワケさ。

そんな、びっくりせんでいい。

ここにはあと2人お喋りが来ると思うから、そのうち会えるよ



そのうちの一人は、お婆さんですか?

お婆さんならさっき見ました。



ネズミは、

いや、違うよ

と言った




なぜ体が鉛のように重たいのか、風船のように手足が腫れているのか

どうして私は、ここに居るのか

奇妙なネズミが話しかけてくるのか




夢だ、きっと夢なのだ




恐ろしさのあまり、私は再び目を閉じた

早く目覚めていつもの生活に戻りたい

夢占いでネズミは吉夢だったか、凶夢だったか、

ぼんやりと考えていた


そうだ、今日はスーパーの特売日だ

早く行かないと1パック100円の卵が売り切れる

私は目を閉じそのまま、うとうとしてしまった。




どのくらい時間が経ったのだろう

肩がすうすうして寒い

目を開けると

肩のあたりに

動く人形がいる



青いスーツ姿の10センチほどのセールスマンの人形だ。

これは、さすがにロボットだろう

動きも、顔の表情もまるで人間のように精巧にできている



人形に使われている材質な何だろう?

私がまじまじと人形を見ていると



わるいけどあなたの考えていること

全部わかります

今、僕のことロボットだろうと思ったでしょ?残念ながら違います。



ロボットではない!?

そういえばさっきのネズミといい、この人形といい、

これはただ事ではない。




スマホがあればすぐに動画でとってユーチューブにアップできるのに

放送局に動画を提供もできるのに。

世界中の科学者が見たら大騒ぎになるだろう

そのためにも、ここの場所と時間は確認しなければ

私は、セールスマンの人形に悟られないようそっと考えを心に飲みこんだ。




よく見ると、セールスマンの人形は私の肩のあたりで

私の着ている薄ピンクの衣を四角くハサミで切り取っている

だから寒く感じたのかしら

すると、セールスマンの人形が言った



あ、これね

あなたはベッドの上だから、少しくらい着ているモノに穴が空いていても別に困らないはずです。

風邪を引いて困るほどは切り取っていかないから。

少しだけ下さい。

いえいえ、後でちゃんと弁償すから、心配しないで。



私の不安を和らげるようにセールスマンの人形は笑顔で言った。


さらに付け加え、


いろいろ大変なのよ、これでも。生きなきゃならないから。




セールスマンの人形は、器用にハサミで切り取った布を畳んでカバンに入れた。


また来ます


といってカバンを持ったままベッドからシーツを伝い上手に床に降りた。



後を目で追うと、ベッドの角にもう一人、同じような背格好の人形が待っている。

セールスマンからカバンを受け取って急ぎ足で壁の方へ消えていった。


セールスマンの人形は私を見上げて、


ご覧の通り、これの繰り返しなもんで

終わりがないの、1万年も続けている

ここは無限の部屋だもんで



泣きそうな声でそう言うと、すたすたど壁の方へ消えていった。




壁はすり抜けられるのか?

私は眼をこらし、この光景を忘れまいと記憶に留めた。

これが「現実」ならスクープだ。証明が必要だ。心が躍っていた。



そういえばネズミがあと2人いると言っていた

その一人が、セールスマンの人形なら、あと1人不思議なモノが現れるはずだ。



残りの一人に会えれば、夢が全部終わり、

私は本当に夢から覚めることができるのかもしれない。


冷静に考えれば、これが現実のはずがない。



身体が重たいし動けない

いつも持ち歩いているスマホも見当たらない


これでは動けないからと言って救急車も呼べない

じっと3人目を待つしかできない

眼を閉じること以外、夢の世界から脱出する術はない



絶望と混沌の中、しばらく微睡んでいると

鳥の囀りが聞こえてきた



ああ、あそこに窓があったのか!

外が見えるだろうか

でも体が動かない



窓のふちに小鳥がとまって囀っていたが、若い女の声で話しかけてきた。


ねえねえ

ちょっと聞いてよー



あ、これが最後の1人か。鳥なんだ。

私は、前ほど驚かなかった。

やっと来てくれた

この鳥が、得体のしれない生物の3つ目なんだ。

日本語をしゃべる鳥なんだ



ネズミや、人形と同じようにロボットではない

まるで人間のように会話する鳥。




私は積極的に話しかけてみた



聞いてあげるわ

でもその前に教えて欲しいの


ここは日本のどこ?

今日は何日?


雀ほどしかない。白い羽をした鳥は言った



日本ってなあに?

何日?

そんなの知らないわ



どうして日本語を話せるの?



いいえ、日本語じゃなく心に話しかけているから言語は関係ないのよ

それに、あなたの考えていることぐらい分かるし。

わたし、家々を廻ってはお喋りして時間を食べる鳥なのよ

あなたの時間もこれから食べに来るね




さっきネズミに会ったけど、

彼は私の左足の小指を噛んでいたのよ

出血はしていないけれど、痛いわ

でも、ごめん、ごめんって謝っていた

仕事だからだって言っていた




1万年も齧り続けていたから歯だけは丈夫よ

齧らなくなったら歯は弱くなり抜けてしまうから、せっせと齧っているのよ。



それにセールスマンの姿をした人形にも会ったわ

彼は、私の服を少しだけ貰っていくと言って袖と肩のあたりを切り取っていった

返すからとも言っていた。愛想がよかったわ。



ムリね。返しっこないわ。

返す気はあるけれど、いつまでたっても返せない。

借りること、貰うことだけをループのように繰り返しているから。

愛想が良いのは貰ってもいいというお許しが欲しいから、そういう顔に進化したの。




いったい、ここはどこ?

今は、何年何月?


そういう質問は無意味だわ

ここは終わりの無い部屋だから

時間があっても無くても

影響は何もないところなの



よくわからない答えが返ってきた。

続けて質問してみた。



身体が重たいの、どうしてかしら?

それに、体が動かないの。



知らないわ

分かっているのは全ては、あなたのやったことが原因

運動をしなかったあなたのせいでしょ



動けないのは、あなたがいつまでもベッドで横になっていたからでしょ



鳥は気が向くままにいろんな部屋の窓辺にとまり、住人と話をしているという。

聞いたこと見たことを喋っている

私の知らない人の家のことを、私が反応するしないにかかわらず、独り言のように喋っている。





この鳥が窓辺から飛んで行ったら、眠ろう。

そして、今度こそ目を覚まそう。

現実の世界に。

落ち着け、落ち着け、

私は自分い言い聞かせた。

深呼吸をして全身の力を抜いた

深く眠りの中に吸い込まれていった。





私は、目覚めた。

夜明け前なのか夕方なのか、薄明りの部屋にいた。


あれ?

立っている!

ベッドじゃない。


少し心が軽くなった気がした。

コトコトと鍋が煮える音。

吹きこぼれそうになっている。思わず手をのばしガスを止めた。


その手は

シミができ皺が寄った痩せた手ではないか

それに、このキッチンは、私の家ではない。


私はキッチンの壁に掛けてある鏡に顔を近づけた。

その中には、見覚えのあるあの後ろ姿の老婆の顔が映っている。

私は、老婆になっていた。



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不思議な部屋 くるみ @sarasura

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