第59話 武智亜弓(後)

 時間があるので、併設のオリーブ温泉に入る。タオルと着替えのジャージをフロントのロールバッグに入れてきて良かった。見晴らしはいいけれど、泉質はただのお湯みたいだった。どうせなら、有馬の金の湯くらいドロドロしていた方がインパクトがあっていいのに。

 さっぱりした後は、汗をかかないよう、ゆっくりと坂手港まで走る。百四十㎞ほどのライドだが、獲得標高がある分、アワイチより走りごたえがあった。神戸行きの帰りの船は十七時四十五分発。高松発なので、これもそこそこ混んでいたが、なんとか居場所は確保できた。売店にはうどんカウンターが併設されている。島うどんというのを注文してみると、歌舞伎揚げが三つ、具として乗っていた。味はまあ、立ち食いうどんのレベルである。

 海流の関係で予定より遅れ、神戸港に着いたのは二十一時半。前後ライトを付けて同じ道を帰る。急いだところで、誰も待っていない。

 小豆島ライド、淡々と終わってしまった。パワーを得られたかどうかということは、ニンニク注射じゃないんだから、身体感覚としてすぐわかるものではない。分かるとすれば、風とか光とか、鳥のさえずりとか、世界と自分をつないでいる感覚の変化で確認するしかない。あるいは、朝の目覚めの瞬間の、息を吸って吐いたときの、今日いちにちに向かう意欲の程度とか。でも、あの夏至の日、命を削るほど走り抜いたシークレット・ブルベ。あれを超えるライドは、もう生涯できないと思うし、そこまでチャレンジする気はない。

 あの日、一着と二着を分け合った、かつての親友、丸瀬紗弥ちゃんは、京都の自転車関連の商社に就職し、最近は会っていない。社長の美津根さんは、今年、四年ぶりにまた、千二百㎞ブルベのパリ・ブレスト・パリを完走した。紗弥ちゃんもサポートで行ったけれど、今回は補給とか他の参加者との協調がうまくいかず、四十九時間かかったという。体力はもちろん超人的だけれど、それを支える気力、モチベーションがすごいと思う。そういう意味では、今のわたしには、何もない。

 何もない・・・本当にそうなんだろうか。考え出すと、すごく気になってきた。自分を確認するには、物理的、身体的に追い込むのが手っ取り早い。小豆島ライドの筋肉痛が残っているうちに、六甲山東ルートを上ってみた。甲寿橋に着くまでにもう、やめたくなる。盤滝トンネル口の温度計が二十度を指していて、涼しいのはいいけれど、ここから激坂かと思うと、やっぱりもう帰りたくなる。

 でも、ロードバイクで山に登ったら、少しだけ祐二に近づける気がする。祐二はもっと高い、雲の上よりもっと高いところから、見ているんだろうね。どんな気持ちなんだろう。教えてほしいな、風に乗せて。

 宝殿インターのあたり、斜度十七パーセント区間が断続する。ここでくじけないためには、過去の想いと未来への想いが必要だ。以前に味わった苦しさや悲しさを思い出し、今の自分は違うんだというのが、後ろから押してくれる力になる。信じるべき明日の楽しさや輝き、憧れなんかは、前から引っ張り上げてくれる力になる。ゼィゼイ息を切らして上りながら思う。どちらもあるといえばある。でも、全体的には、何となく上れてしまう。あの頃より体力が付いたのかもしれないけれど、むしろ何かに支えられながら走り続ける方が、わたしらしい気がする。

 体を動かせば心も動くと思ったけれど、やっぱり最近、空虚感に支配されてしまっている。感動することがない。何を見ても聞いても、心が動かない。世界がモノクロになってる。ロードバイクで飛ばしている時だけ、こんな虚無感を忘れられる。

 六甲山頂から、空を眺める。一人でも六甲は普通に上れるようになったけれど、決してクライマーになったわけじゃない。いまだに、陽子やハチケンさんたちがどうして、坂を上りたがるのか理解できない。わたしのラクしたがりは、治りそうにない。というか、肉体的に辛い思いをしなければ、命ギリギリの状況に追い込まれなければ、生きている実感が得られないなんて、すごく不幸なことに思える。

 陽子は、そろそろちゃんと就職しなさいと言ってくれる。ありがたいけれど、やっぱりまだお金以外の何かのために働く意味が見つけられない。祐二もそうだった。単調なアルバイトをして、ささいなお金を稼ぐくらいなら、ボランティアで直接人の役に立つことをする方が、自分の幸せを感じられるタイプだった。わたしは、そこまで割り切れない。純粋な善意の提供による充足感と、偽善の自己満足が混然としている。

 陽子には、はっきり説明しなかったけれど、祐二の保険金の受取人はわたしなんだよ。保険会社の調査は当然あったけど、手続き的な不備が何もなかったので、わたしが直接嫌な思いをすることはなかった。今のわたしは祐二に養ってもらってる。祐二に生かされてるんだ。随分葛藤したけど、結局それに甘えている。そうすることが、祐二の気持ちを汲むことになると思ったから。でも、やっぱり辛い。このままじゃダメだ。何かを変えないと。何か動かないと。

 ねえ祐二、わたしも誰かに何かを与えられるようになりたいよ。恩を着せて感謝されることで自己満足するとか、そうじゃなくて、多分すべてのことは回り回ってるんだよね。どこかで溜め込んで滞っているのは全体としてダメなんだよね。

 思えば、あのシークレット・ブルベに参加したみんな、わたし以外の全員は、前向きに頑張っている。わたし一人だけが、うじうじ取り残されたままの気がする。祐二、あなたなら今のわたしを見て、どう言うの?

 前を向いて走っている人も、正解が待ってると分かってるわけじゃない。じっとしているのが不安で、過去に向き合えないから、前に逃げているだけかもしれない。それが良いとか悪いとかじゃなくて。今の場所を動けなくて、もがいているだけの人も、そうするしかできないなら、無理に変わろうとしなくていいんじゃないか。しんどい今をかみしめて、味わって、動き出さざるを得なくなるまで、じっとしているのもありなんじゃないか。そんなこと、誰かが一方的に決めていいわけないんだよ・・・

 祐二、あなたの声、あなたの語ることば、あなたの思い、わたしは再生できるよ。ここに、わたしの中で生きているんだからね。でも、それと、わたし自身がどうするかっていうのは、また別のこと。わたし自身はね・・・多分だけど、また全然違う人を好きになるよ。そして、その人に少しだけ染まって、変わっていくよ。わたしらしさっていうのは、未来永劫不変じゃない。祐二はもう、固まってしまったけどね。でも、誰かほかの人と結ばれたとしても、祐二への想いは大切にしまっておくね。もう、誰も、祐二を傷つけたりできないんだから。

 台風も去ったし、とりあえず、明日は蓬莱峡を上ってくるよ。今日はお彼岸だね。月は見えないけれど、マンションの屋上に上って缶ビール飲んで、あなたの思い出に浸りたい。来月末は、メグちゃんのハロウィーンコンサートが大阪であるから、閃太郎くんとか誘って見に行こう。紗弥ちゃんとは何となく疎遠になってしまったけど、何か自転車グッズ買いに来ましたということで、しれっと会社に会いに行こう。

 そうだ、今度の水曜日、最速店長選手権なんだ。脇本店長、応援に行こうかな。千葉の成田市か。伊丹空港から飛行機なら、一時間ちょいで行けるじゃない。自分の知ってる人が、必死に頑張っている姿を見て、何も感じないようじゃ、人間終わりだからね。わたしの変わるきっかけなんて、いくらでも転がっている。なりたい自分が見えなくても、危機感とかやる気さえあれば、きっと変われるよね。だから、これからも支えて、見守っててね、祐二。わたしは、迷ったり立ち止まったりしながら、これからも歩いていくよ。あなたと共に。あなたの行きたかったところには、わたしが連れて行ってあげるからね。

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