第30話 -ライバル-
「お疲れさまで~す」
夕方の外回りの営業から事務所に戻って来ると、部長の席の前で長身でがっちりした体格の30歳前後の男が、立ったままで部長の中山となにやら談笑している。
その男のアップバングの前髪は、日焼けした彫の深い顔に自信がないと出来ない髪型だ。
嫌味なほどに爽やかさを振りまいているその男に、本能的な不快感を覚えながら自分の席に戻り、スーツの上着を椅子の背もたれに掛けていると、課長の小島がコーヒーカップを片手に話しかけて来た。
「おい、鈴木!今日の店予約しといてくれた?」
課長の小島は、チームワークの向上を目的に二か月に一度位のペースで若手社員をを集めて親睦会を主催している。
親睦会と言っても会社帰りのちょっと一杯と大差ないのだが、タダ酒が飲めるとあって毎回独身の男性社員が3~4人参加している。
「あ、はい、6時半からです」
「オッケー、じゃあ、お前先に行っとけよ」
「わかりました」
壁の時計を見ると6時を少し回った所だ。
俺は手早く日報をまとめてサーバーにアップすると、脱いだばかりの上着を羽織って席を立った。
「じゃ、お先に失礼します!」
立ち話をしている部長にも聞こえるように大き目の声で挨拶して出入口に向かうと、丁度北原さんが倉庫から戻ってきた所のようで、出入り口のガラス扉の前に立っている。
挨拶しようと思った俺は、中山と話をしている男をジッと見つめる北原さんの表情を見て思い留まった。
わざとゆっくりタイムカードを操作しながら横目で様子を伺っていると、やがて北原さんは視線を落として、部屋に入る事なく大きなため息と共にその場を去って行った。
**********
「かんぱーい!」
小島の音頭で生ビールのグラスを合わせると、早速愚痴大会が始まる。
普段なら工場長や中山部長の悪口で大いに盛り上がるところだが、最近の社内の話題は「EBO」でもちきりだ。
と言っても、社内でおおっぴらに口にするのも憚られるので、その分この様な場では話が弾む。
「買収されなくてほんと良かったなぁ」
「マジ中国資本とかリスクヤバ過ぎっすよね」
皆、口々に安どの言葉を吐き出す中、印刷工の若手エース町上が口を開く。
「ほんと安心しましたよ、俺、やっと会社に認められた所だったから」
町上は今回が初参加だが、この前の北原さんとのキャッチボールの時に嫉妬心を煽られて、いわば敵情視察という事で急きょ声をかけたのだ。
「いや~、それにしても町上さんは凄いですよね、出世街道ばく進中って感じで!」
町上を持ち上げながら様子を見ようとした俺に小島が絡んで来る。
「お前、人の事おだててる場合じゃないだろ、北原の爪のアカでも飲んでだな」
北原さんの名前を聞いて帰り際の光景がフラッシュバックする、部長と話をしていた男を見つめる北原さんの思い詰めたような視線…。
もう俺は町上の事などどうでもよくなっていた。
「そういえば、夕方に部長と話してた男の人って誰なんですか?」
俺の質問に小島の表情が一瞬歪む。
「あいつは木寺っていって、昔、ウチの営業部に居たんだよ」
(木寺!?)
俺の脳裏には『盗塁王、夜の重盗失敗』の記事が浮かんだ、湧き上がってくる悪い予感を振り払う様に、小島に質問をぶつける。
「その、元社員が何をしに来てたんですか?」
「ただの挨拶って事みたいだけど…」
小島は一拍間をおいて言葉を続ける。
「どうも、今回の買収騒動は、裏であいつが糸を引いてたらしい」
「はぁ!?なんすかそいつ!」
「どのツラ下げてウチ来てんすか?」
皆が怒りの声を上げる中、町上が冷静な疑問をぶつける。
「もしかして、また何か仕掛けてきたんですか?」
「いや、それは無い様だ、昔からプライドの高いヤツだったから、嫌味の一つでも言いに来たんだろう」
「今度来たらブチのめしてやる」
皆が一斉に、この場に居ない木寺に罵声を浴びせる中、小島が俺に顔を近づけて囁いた。
「それとな、木寺のヤツ嫁も子供も居るクセに北原に手を出してたって噂だ」
「手を出すって、何すかそれ!」
噛み付かんばかりの勢いで振り向いた俺に、小島はニヤけ顔で続ける。
「まぁ、あくまで噂だよ、本当の所は本人にでも聞いてみないとな」
小島の言葉を聞き流した俺の脳裏には、夕方、思い詰めたような視線で木寺を見つめる北原さんの切なげな表情が浮かんでは消えていた。
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