第34話

病院に着くと、美香子は進藤先生を訪ねた。

ドアには鍵がかかっており、何度かノックをしたが中から返事はなかった。

明代は会社を出てから今までずっと縮こまって怯えていた。

美香子は、力一杯ドアを叩き、大声で叫んだ。


「進藤先生!いらっしゃいませんか?!」


ガラガラ、とドアが開く音がした。

美香子が今まで叩いていたドアではなく、隣の部屋だった。

中から白髪の背の高い男性が出てきた。年齢は60歳前後で、紳士的な風貌の男性だった。


「きみ、進藤先生ならまだ来ていないよ。アポは取ってあるの?」


低い声でその男性は言った。


「いえ、取っていません。でも、友人が・・・・」


美香子は壁にもたれてしゃがみこんだ明代を見た。

男性も部屋から出てきて、明代の様子を確認した。


「とりあえず、僕の部屋に来なさい」


男性はそう言って、部屋のドアを大きく開いた。

美香子は明代を抱いて部屋に入った。

男性の外見から想像通り、部屋はゴミひとつ落ちていないほど整理されていた。壁一面に貼り付けられた本棚には、隙間がないほど本が敷き詰められていた。背表紙に何度か『心理学』という文字を見えた。


男性は部屋の真ん中に置かれたテーブルにカップを三つ置いた。お茶の粉末を入れ、沸かしてあったポットからお湯を注いでいく。


「さあ、これでも飲んで落ち着くといい」


男性は明代に言い聞かせるようにカップを差し出した。

明代は椅子にうなだれるように座っていたが、男性にそう勧められてわずかに顔を上げた。苦しそうに顔を歪めていた。


美香子は、男性に言った。


「突然、お邪魔してしまいすみません。私は本田といいます。彼女は高山です」


「ああ、僕の方こそ申し遅れてすまない。僕は精神学医の太田です。よろしく」


太田先生は美香子にもお茶を飲むよう勧めてきた。美香子は小さく会釈をしてお茶をすすった。温かい液体が体内を中から暖めていく。体が冷えていたんだと気付いた。


「ところで、進藤先生とはどういった関係で?」


「えっと・・・、先生の研究のお手伝いをしていまして」


太田先生はあごの曲線に沿ってひげを撫でた。


「研究、とは?どういうものかな?」


「それは・・・・・」


美香子は『機密保持に関する契約書』を思い出す。


「私の口からは言えません」


「そうか」と、太田先生はまだひげを撫で続けた。何かを考えるように遠い目をしていた。


「まあ、進藤先生が来るまでここで待つといい。彼女も暖かい部屋にいれば、気分も少しは落ち着くだろう」


太田先生はそう言うと、美香子たちから離れ、パソコンを置いたデスクに向き合ってしまった。

それから、太田先生が美香子たちに何か言葉を発することはなかった。

どれくらい時間が経ったかわからない。太田先生が打つキーボードの音だけが部屋の中に響いていた時間がいくばくか過ぎた。


バタバタバタ・・・・・


騒がしい音が廊下から聞こえてきて、隣の部屋で止まった。

続いてガラガラガラ、と扉を引く音も聞こえてきた。


「どうやら、進藤先生がいらっしゃったようだね」


太田先生が回転椅子を回して美香子たちの方を向いた。

美香子は慌てて立ち上がった。


「お邪魔しました」


美香子はそれだけ言って明代の肩を抱き、部屋を出た。

扉を閉める前に中を覗くと、太田先生はすでにまたパソコンと向き合っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る