第13話

明代に連れられてきたお店は、井口さんに連れて行ってもらったお店と変わらないくらいおしゃれで、上品な雰囲気だった。


明代の誘いは、井口さんに誘われるかもしれないから、適当にごまかしていた。

しかし、納会が終わると井口さんは営業部の部長と若手とタクシーに乗り込んでしまい、美香子の方を気にかけることはなかった。


だから、帰ろうと駅へ向かう明代を追いかけて、「やっぱり、行きませんか?」と伝えた。

明代は眼鏡の奥で目を細めて笑った。

「私の行きつけのお店でもいいですか?」



カウンターに並んで、お互いに無言だった。

明代はマティーニ、美香子はモヒートを注文した。

そっと隣を覗くと、明代はグラスを口につけてお酒を楽しんでいるように見えた。いつの間にかヘアゴムをとって長い髪を下ろし、眼鏡もかけていなかった。

明代の顔を今まできちんと見たことがなかったが、横顔のラインが綺麗で、思わず見とれてしまう妖艶さがあった。


美香子の視線に気づいて、明代がこちらに顔を向けた。

細長の目をした美人だった。

肌に馴染んだファンデーションに引いているかわからないほどさりげないアイラインやアイブロウ。

祐奈やその他の女子社員のように厚化粧で作った美しさではなく、天然の美しさだった。


「あの、高山さん眼鏡は・・・」


「ああ、あれだて眼鏡なの。会社では目立ちたくありませんので」


明代が優しく微笑んだ。

確か、35歳は超えているはずなのに、美香子と同世代のように若く見える。


「突然、二次会になんて誘ってごめんなさい。でも、あなたが井口くんといるところを見てしまって・・」


明代は、また一口お酒を口に含んだ。

ゴクリ、と飲み込むと美香子の方を見た。まっすぐに見つめてきた。


「もし彼に誘われているなら絶対に乗ってはダメよ。自分は大事にしなきゃ」


「なんでですか?高山さんにそんなことを言われる筋合いはないと思うんですけど・・」


「あるわよ。だって私もボロボロになったんですもの。絶対に幸せになんてなれないから。不倫なんてやめたほうがいいわよ」


え?


美香子は目が泳ぐのがわかった。

明代は怪訝そうな表情を浮かべて、察したように口元を押さえた。


「あなた、もしかして井口くんが既婚者だってことを知らなかったの?」


胸に何本も針が刺さったようにチクチクと鋭い痛みがあった。

黒い感情に押しつぶされそうになる。


気づいたら、涙が頬を伝っていた。

明代がハンカチで、優しく涙を拭ってくれた。


「ひどい男ね。かわいそうに」


冷たい声だった。冷淡な顔をしていた。

美香子のために怒ってくれているんだと、遠い意識の中で思った。


そのとき、頭の中である情景がフラッシュバックした。

目の前に泥だらけで薄汚い格好をした丸坊主の男の子が地面に尻餅をついている。


「この貧乏人が。私に近づかないでよ」


女の子の声がした。

どこかで聞き覚えのある声だった。

昔観た映画のワンシーンだったかな、と記憶を辿る。

どれだけ思い出そうとしても無駄だった。

どんどん今思い出した情景すらも薄く消えていってしまった。


「・・。・・・ぶ?」


明代の声が聞こえた。

ハッと我にかえる。

明代が心配そうな顔で美香子の顔を覗き込んでいた。


「え?」


「大丈夫?あなた今どこかへ行っていたわよ」


「すみません、大丈夫です」


「そう、それならよかったわ。そろそろ帰りましょうか」


明代がバッグを持って立ち上がった。

美香子もカバンに手をかける。


「あの、お会計は・・・」


「ああ、いいのよ、今日は。私が誘ったんだもの」


そう言ってまた美しく笑った。

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