第9話
あの朝、信一は急に取り乱した後、よりかしこまった様子で頭を下げた。
「大変失礼いたしました。このご無礼、どうかお許しください」
「えっと、あの・・・・・」
「僕の言ったことは全て忘れてください。また会社で会いましょう」
そう言い残して信一はその場を去っていった。
いとも簡単に。呆然と立ち尽くす美香子を置いて。
心臓のあたりがズシンと重く胃がムカムカした。
その日美香子は電車に乗り遅れて、初めて遅刻をした。
部長の重大な事件が起きたように珍しそうにした顔は今でもよく覚えている。
「あ、そろそろ戻んなきゃ、時間やばいよ〜」
バタバタと祐奈隊が椅子から立ち上がる。
美香子もハッと我に返って、慌てて準備をした。
時計を見ると、とっくに始業時間は過ぎていた。
どうやら、また新しく人生初が加わってしまうらしい。
会社に戻り、つい癖で総務部に目をやっていた。
信一は書類を気難しそうな顔で見ていて、美香子の視線に気づくことはなかった。
「あなたたち、また遅刻ですよ。時間は守ってください」
給湯室からちょうど出てきた女性に注意を受けた。
経理部の高山明代だった。
眼鏡をかけて、常に皺ひとつないピシッとしたスーツを身にまとっている。
「は〜い、すみませ〜ん」
祐奈たちが口先だけの謝罪を述べてそれぞれのデスクへ戻っていった。
美香子もぺこりと小さく会釈をして自分のデスクへ行こうとした。
背後から、明代の冷ややかな声がした。
「本田さんも、そちら側の人間だったんですね。残念です」
振り返ると、明代はすでに経理部の方へ歩き出していた。
そばで聞いていたキラキラ女子の一人が
「気にしない方がいいですよ〜、ただの妬みですから」
と美香子をかばうようにコソっと言った。
それがなんだか嬉しくて、明代のことはどうでもよくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます