羽久乃魔法道具店

小紫-こむらさきー

1:魔法を売る店

「だから人間に魔法きせきを分けることには反対なんだよ」


「ただの人間にも魔法きせきは必要よ。それに、この子はちゃんと約束を守っていたじゃない。一日二回、花の前でのお祈りをした成果が横取りされるのは可哀想よ。ねぇ?」


「は、はい」


 苛立った顔をする灼晶あきらの声に怯えている少女の頬に手を添えると、ひんやりと冷たい。

 こんな怖い思いをしたのに、泣き出さない勇気。それに、友達に裏切られても恨まない純粋な心。小さな隣人妖精たちから好かれる理由がよく分かる。


「…チッ。じゃあ規約を付け加えとけ。ガキに魔法は厳禁だってな」


「子供、口コミを広めてくれるからうちの店では大切なお客様なのよ?」


 紫と黒が混ざりあったヘドロ状のものに覆われてすっかり姿を変えた少女の友人が、グルリと大きな口が目立つ頭をこちらに向けた。


火よ起きろRhowch dân 旋回してTrowch焼き払えLlosgi i ffwrdd


 変わり果てたソレが吐き出した棘を、灼晶あきらは渦巻く炎を纏った腕で薙ぎ払う。

 こんなことになったのはビックリしたけれど、驚異というわけじゃない。だから、胸に抱きしめた少女が不安にならないように穏やかな声を意識して、灼晶あきらに話しかける。


「それに…なにかあったときのために貴方がそばにいてくれるんでしょう?」


 彼はフンと鼻を鳴らして乱れた髪を両手で撫でて整えると、再び咆哮をあげた少ソレへ炎をまとった拳を振り上げた。


※※※


「は、はなしがちがうじゃない!言われた通りにしたらこれがボロボロくずれちゃったのよ?不良品だわ!高いお金を払ったっていうのに!大体あなたも胡散臭いのよ!そんな若いのに髪を真っ白に染めて」


 願いを叶えるお守りを販売している私の店で、こういうことはよくある。

 ふくよかな女性客は店の扉を開くなり、怒鳴りながらカウンターにまで詰め寄ってきた。

 そんなに叶えたい願い事なら、約束を守ればよかったのに…と思いながらも、顔に浮かべた笑顔を絶やさないように気をつけて、お客様のクレームに耳を貸すふりをする。


こう様…願い事を叶えるための条件をお話しましたよね?契約を守らなければ魔法きせきは起きないとご説明したかと思いますが…」


 目が隠れそうなほど伸ばした前髪を振り乱した。前髪の合間から見える小さな腫れぼったい目は充血して釣り上がっている。

 目の下にも濃い隈があるし、心の状態もよくなさそう…。かさついてくすんだ肌の彼女は心身ともに弱っている手負いの鼠という言葉がよく似合う。


 私が提供する魔法は、心身ともに不健康な人間が使うと効果が薄い。

 それでも、どうしても大金を払うというのでお守りを造ってあげたのだけど…愚かな人間は可哀想。きっと約束を破ってしまったのね。

 黒いヘドロのような自身の悪意の塊で半身を覆っている女性客を見て哀れみが勝りそうになる。

 自分で呪いを溜め込んで不健康になって喚き散らして…私の魔法で彼女は多分救えないわね。どう帰ってもらおうかな…と時計を見て考える。


「先日もお話した通り、一度お渡しした商品の返品交換は承っておりませんので…」


「な…なにが魔法よ!こんなの詐欺でしょ!訴えてやるんだから」


 商品の交換はしないという言葉を聞いた女性客の唇がぐぐっとへの字に曲がった。大体約束を守れない人間は同じ反応をするからわかりやすい。

 彼女の小さな腫れぼったい目が更に釣り上がって、視線から発せられた負の感情が私の肌をチクチクと痛めつける。

 人間からの悪意を痛覚として感じるのも慣れているけれど、自業自得で魔法を台無しにした八つ当たりをされるのは気分が良くない。

 笑顔を貼り付けたまま、どうしようかと考えあぐねていると、女性客は握っていた手をカウンターに勢いよく叩きつけた。


「これも、こ、こんなことになったし、さ、詐欺よ」


 バンっと大きな音をたてた木の上には、紐にウッドビーズと羽を通したシンプルなブレスレットが置かれる。

 お店にあったときは綺麗な色だったのに、すっかり変わり果てた姿になっていたブレスレットにそっと指を触れた。

 もともとは薄い金色だった紐の部分と、赤と黄色のグラデーションが美しかった羽根が黒く変形している。ドロっと溶けて欠けているそれは、まるで火で炙られたプラスチックみたい。

 呪いで穢れたブレスレットは彼女が約束を守らなかった証でもある。


「白い花の前で一日二度のお祈りをすれば、このようなことにはならないはずですので…」


 約束を破って失敗した報告をしにくるだけなら仕方ない。契約を守れない人間に私の与える道具きせきは使えないのだから。

 でも、自分の失敗の責任を力を貸そうとした相手になすりつけるのはよろしくない。


「わ、わたしはちゃんとやったわよ!なんなの?客をバカにするの?私が悪いっていうの?」


 こういうバレバレの嘘を言うお客様は少なくない。こういう時のための対策もしっかりとしている。

 さっきから暇そうに店内の窓際で浮かんでいた全身銀色に光る服を着ている小さな友人妖精に合図を送るために金で出来たベルを手にとって左右に手早く揺らした。


 チリチリと微かな音を立てるベルに、女性客は怪訝な表情を浮かべたけれど、彼女の顔はすぐに血の気が引いて真っ白になった。

 

『あの男なんて死ねばいい!死ね!死ね!わたしたちを見捨てやがって!自殺しろ!なんでわたしがこんなことしなきゃならないんだ!大金をはたいてこんなものを買ったのにあのバカは死なないじゃない!ねえあやか!聞いてるの!あんたが悪いのよ!あんたも死ね!嫌ならなにか金になるものでも持ってきなさい』


 欠伸をしながらカウンターに来た銀色の友人妖精は、枯れて茶色くなった白い花を取り出してテーブルの上に置く。

 彼が置いたしおれて垂れ下がった花弁の中心からは、女性の声で酷い罵声が響き渡ったのだ。


「ひっ…なんなのよ…。ど、どんなインチキかしらないけど、そんな盗聴した音声でわたしを脅そうっていうの!」


 小さな友人妖精が視えない彼女には、しおれた花が急に目の前に現れた上に、急に隠していたかった真実が暴かれたのだから驚くのも無理はない。

 さっきまで強気だった女性客は、自分が自宅でしていた罵声が流れ始めると、おろおろしはじめた。

 彼女は、真っ青になった唇をワナワナと震わせて、カウンターの前から一、二歩後ずさりをして私を睨みつける。


「なにも警察沙汰にしようとは思っていません。そちらのボロボロに穢れたを持ち帰らずに、立ち去ってくださるだけで十分です」


「わたしが悪いって言いたいんでしょ!?知らないわよ!あんたも死ねば良いんだわ!どうせ…どうせわたしを惨めだって馬鹿にしてるんでしょ」


 カッとしたのか、警察沙汰にはしないと言われて再び強気になったのか、女性客は顔を赤くして、カウンター越しに向かい合っている私の方へ詰め寄ってきた。後ずさりをしたり詰め寄ったり忙しい人ね…とつい面白がってしまいそうになるのを堪えて神妙な面持ちを作る。

 ぼろぼろになっても返品するのが惜しいのか、一度こちらに突き返してきたブレスレットを、女性客は再び握りしめた。


「そ、そうやって人を騙してこんなダサくて胡散臭いもの売ってるんでしょ?こ、これは証拠としてもらうに決まってるでしょ?あ、そう。クーリングオフ!それをしてやるわ!嫌ならあやま…え」


 カウンター越しに対面している私の方へ身を乗り出した女性客は、大きな手が自分の肩を掴んだことに驚いて後ろを振り向いた。 


「ったく…うるせぇな。力尽くでなきゃここから出ていかねぇつもりか?」


「ひ…」


 女性客は、自分の肩を掴んでいるのが、赤髪の大男だと気がついて体を強張らせて言葉を失う。

 赤髪の大男―灼晶あきらは不機嫌そうな表情を浮かべたまま低い声で唸るように言うと、女性客の手からブレスレットを取り上げた。

 悲鳴をあげた彼女は、彼の手を振り払って出口の方へ一目散に駆けていく。


「覚えてなさい!」


 一度だけ振り返り、捨て台詞を吐いた女性客は乱暴に扉を締めてバタバタと派手な足音をたてて店から出ていってしまった。


 普段は店内で寝そべりながら浮かんでいたり、花の蜜を食べていた良き隣人妖精たちだけど、怒った女性客が灼晶あきらに肩を掴まれてから、逃げるように立ち去る間は様子が違っていた。

 目を白黒させて驚いて逃げる女性客を囃し立てるように飛び回ったり、手を叩いていて転げ回って喜んでいる。

 人間に見られないあなた達は好き放題出来ていいわね…なんて思っていると、灼晶あきらが溜息を吐いて呆れた顔で白木の扉を強めに閉めた。


羽久乃はくの、ああいう客は悪戯小僧妖精どもでもけしかけてやればいいんじゃないか?」


「お代はいただいてるんだし、そこまでしたら可哀想よ。それに…ほら、新しいお客様が来たみたいだから、怖い顔はおしまいにして」


 扉の近くに花びらのドレスを身にまとったちびちゃん花の妖精たちが飛んでいくのが視えたので、そちらを見てみると、わずかに開いた扉の隙間から小さな可愛らしい眼が二つ覗いている。

 魔法のお守りみたいなふわふわとしたものを売っている店はイメージが大切。とは言ってもさっき大声であの女の人が喚いていたのは聞かれていただろうけど…。

 なるべく優しい笑顔を作って小さなお客様を迎えるためにカウンターを出て扉の方へ向かう。


「…ガキか。オレが脅かして追い返してやろうか?」


「ダメよ。大切なお客様だもの」


 唇の片側を持ち上げて扉に近寄ろうとする灼晶あきらを静止して、私は扉の前に屈み込んだ。


「ほら、怖いお兄さんはなにもしてこないから、こっちへいらっしゃい」


「あ、あの…ここでお守りを買ったら…願い事が叶うって…あやかちゃ…あの、友達が言ってて…」


 扉を開いて、小さなお客様を迎え入れる。

 若草色のワンピースに身に包んだ小学生低学年くらいの少女は、私の顔色をうかがいながらおどおどとあたりを見回した。


「そうね、どんなお願いかにもよるけれど…」


 ライトブラウンのやわらかそうな巻毛を二つに結んで前に垂らしている彼女は、幼さの残るあどけない顔立ちをしている。

 緊張のためか頬をりんごみたいに赤くした少女は、クマの形をした財布を持っている両手に力を込めた。


「みどり…探したいものがあるんです。お守りを買えば…見つかりますか?」


 みどりちゃんの声は少し震えていた。頭上を旋回していた蝶の翅を持つ色とりどりの花弁ドレスの良い人花の妖精たちはキャアキャアと歓声をあげて自由に歌いまわっている。


「そうねぇ…。みどりちゃんが探したいものについてお姉さんに教えてくれるかな?」


 みどりちゃんは、伏し目がちにしていた顔を上げて私の顔をしっかりと見つめながら口を開いた。


「大切なものを失くしちゃって…それを探せないかなって…」

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