記憶喪失と首無し男
白ラムネ
短編
私は病院のベットであの日のことを思い出していた。
蒼い澄んだ瞳にタートルネックに首を隠した彼の姿を。
記憶喪失である私の唯一思い出せる記憶だった。
彼とはどこかで会っていた気がした。
そして咄嗟に出てきた彼の名前。
「ハンベル.........」
あの後、彼は一言だけ言い残して帰ってしまった。
私は追いかける体力もなく、彼の後ろ姿を見続けていた。
それから数日たったが彼がまた私の前に現れることは無かった。
また息苦しい病室の中で知らない人達が自分に会いに来る。
無理に笑顔を作って話しかけてくる人、寂しそうな顔の人、泣いてしまう人。
私には全てが空虚で苦しかった。
「ちえり、ごめんね、あなたのことをもっとしっかり見ておけば........」
母を名乗る女が私を見ながら泣いていた。
私は寂しく笑いながら、彼女を見る。
「わたしはだいじょうぶだよ、なかないで」
私は空気を読みながら彼女に最適な答えを返す。
本心か本心じゃないかはわからない言葉を選んで、慎重に返した。
なんでそんなことをするかって?
早く帰ってほしかったから。
早く独りになりたかった。
私にはこの空間が息苦しく、受け入れられなかった。
彼女はその後も気が済むまで私に話しかけると部屋を後にした。
私は長く静かなため息をつく。
そして、深呼吸をする。
やっと空気が吸えた気がする。
母が置いていったアルバムを開いてみた。
そこには私に似た女の子が笑顔で写っている。
昔の自分はこうだった。
私は少し寂しい気持ちになる。
彼女らは過去の私で記憶が止まっている。
あの頃にああしとけばよかった、あの時のあなたは元気な子だった。
出てくるのはそんな非現実的な言葉ばかり。
誰も『今の私』を見てくれている人はいなかった。
そこに首を絞めつけられるような苦しさと虚しさを感じていた。
私は突然、どこかに逃げ出したい衝動に駆られる。
心地よかった独りの空間からも逃げたくなってしまった。
私はベットから抜け出し、誰にも見つからないように病院を出る。
そして、行く当てもなく走った。
往来する人々の横眼も気にせずに走った。
足が止まったころにはどこかわからないところにいた。
空はオレンジ色から暗い色になり始めていた。
私は息を切らして歩く。
今日は朝から何も食べていなかったので、ひどい空腹だった。
私は見たこともない住宅街の道に倒れてしまった。
ここで終わりか.........。
意識が朦朧として、視界が真っ暗になっていく。
誰かが近づく足音を耳に挟みながら、記憶が途絶えていった。
真っ暗な空間で私は浮いていた。
私って死んだのかな
最後に彼に会いたかったな
彼ならきっと今の私を..........
私は目を覚ます。
見たことの無い天井だった。
病院、ではなかった。
誰かのおうち?
ゆっくり起き上がって周りを見渡してみても、知らない空間が広がっていた。
木製で出来た部屋。
大きなガラス窓の外を見ると草原が広がっていた。
一面の緑、風でなびく草木がとても美しかった。
私は外に出ようと窓を開く。
そよ風がいつの間にか着ていた白いワンピースを揺らしていた。
私は深呼吸する。
あれほどまで苦しかった呼吸も今は無かった。
「おはよう、起きたんだね」
後ろから声をかけられる。
振り向くと私が一番会いたかった人が立っていた。
「ハンベル........」
気付いた時には右目から涙が出ていた。
私は彼を抱きしめる。
彼も黙って微笑んでいた。
優しく頭を撫でてくれる。
それが私には凄く心地よかった。
「ありがとう、私を救ってくれて..........」
『それでは次のニュースです。一週間前から行方不明になっている大学生の佐久間ちえりさんですが、警察の懸命な捜索活動が今現在も続いています。警察は目撃情報から、ちえりさんらしき人物を攫って行った男性がいたとの情報があり、誘拐事件も視野に入れて捜査しています。少しでも有力な情報をお持ちの方は、この番号までにご連絡ください...........
記憶喪失と首無し男 白ラムネ @siroramune
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