第51話 既成事実

 アンジェリカの希望も相まって、ダンテは監視付きでならばある程度出歩くことも許されるようになった。


 しかし、アンジェリカと行動を共にしていない時は、喋ることも許されず、寝所は地下室、出入り口には監視付きと、非常に窮屈な生活を送っていた。


 唯一解放されるのが学校だが、それも監視役の人間が隣に居ない程度のものだった。


「お聞きしましたよ、アンジェリカ様。それからえっと、ジュナス様」


「身分を隠しておられたのですね、ジュナス殿下」


「おかしいと思っていましたよ。あれほど優秀であらせられるのですから。やはり只者ではございませんでしたね」


「婚約おめでとうございます」


 講義が終わり、解放感にあふれた空気の中、教室中の学生が集まってくる。


 彼らは口々にダンテとアンジェリカへ称賛の言葉を贈った。


 その中には、過去、ダンテのことを悪しざまに罵った連中や、ベアトリーチェに対して嫌がらせをしていた連中だっている。


 なんとも都合のいいとダンテは内心あきれ返っていたが、そんなことはおくびにも出さず、全員に対して平等に笑顔を振りまいていく。


「ありがとう、みんな。ただ……まだ私のことはダンテと呼んで欲しい」


 今現在、ダンテがジュナスであることを直接示す証拠はない。


 もっとも、あれだけガルヴァスの人相書きと酷似しているのだから、受け入れられる可能性は高い。


 だが、もし違うとなれば身分詐称となり、極刑にも値する。


 そのため今はルドルフに手を回してもらって正式にはそういう発言は無かったことになっており、ダンテは未だダンテ・エドモン・ブラウンでなければならなかった。


「ダンテ……殿下?」


「名前の呼び捨てで構わないさ」


 そうは言っても次期皇位継承権を持つ存在である。


 誰もがダンテの事を気軽に呼べるはずも無かった。


 さて、と呟きながらダンテはぐるりと周囲を見回す。


 隣にはアンジェリカが満面の笑みで立っており、さらにその後ろにはいつも通り取り巻きたちが佇んでいる。


 そのうちの二人へとダンテが視線を向けると、あからさまに気まずそうな表情で俯いたりそっぽをむく。


 恐らくは罪悪感がそのような行動をとらせるのだろう。


 何故なら彼女たちは、かつてベアトリーチェの衣装棚に泥水をぶちまけた現場をダンテに見られてしまっていた。


 気まずさはほかの連中の比ではないだろう。


「ベアトリーチェ。つまり私の妹であるミシェーリが今日来ていないのは……少し事情があるだけで、含むところは何もないよ」


「え……あ……」


「ミシェーリはそういうことで怒る娘じゃない。それでもまだ何かあるのであれば、彼女のためになにが出来るのかを考えておけばいいさ」


 ダンテはうろたえる女学生ふたりに向かって、わざと邪気のない笑顔をみせる。


 しかし、自分たちがなにをしてきたのか、一番よく知っているのは彼女たち自身だ。


 どうするべきかは彼女たちが決めるべきだろう。


「……私もベアトリーチェさんに謝らなければなりませんわね」


「おや、どうしてかな?」


 アンジェリカは直接的にベアトリーチェをいじめることはしなかった。


 しかし、止めもせず、むしろそれを加速させていたのだが、その自覚はあったのかとダンテは意外に思ったのだが……違った。


「以前、屋根の上でダンテさまとの関係を疑ってしまいましたから……」


 その時のことはダンテもよく覚えている。


 当時、ダンテが責められる立場であったため、問題にすることはできなかったのだが、アンジェリカは確かに言ったのだ。


 汚らわしい者、と。


 アンジェリカはまちがいなくベアトリーチェのことを見下していたが、どうやらそのことは最早忘却の彼方にあるらしい。


 ただ、謝罪をしようとしているので、根は暴君気質であろうと、令嬢として礼節は持ち合わせているのだろう。


「ベアトリーチェはあの時の事なら気にしてないよ」


「ですが、あのようにあり得ない勘違いをしてしまっては……」


 本当は、勘違いではない。


 ダンテはベアトリーチェのことを、妹だと知らずに愛してしまい、ベアトリーチェはダンテのことを兄だと知らずに求めてしまった。


 だが、そんな事情など知りようがないベアトリーチェからしたら、皇族の血を受け継いでいる兄妹であることを隠そうとしていたと考えているのだろう。


「仕方ないさ」


 ダンテはそう言いながらアンジェリカの肩を優しく抱く。


 アンジェリカはまるで猫が甘えるかのように、頬をダンテの胸元にこすりつけ、「はい」とうなずいた。


「さて、生誕祭のために準備をする予定だったね」


 ベアトリーチェの両親であるロナ夫妻や、アンジェリカの父親であるフェリドが領地を離れて帝都にやってきているのは、皇帝の誕生日を祝うためである。


 ただ、かなり老齢に達している上に病に伏せっているため、皇帝自身が姿を見せることは恐らくないだろう。


 本人を抜きにした生誕祭が、一週間かけて盛大に催されるのだ。


「はい。ダンテさまが私のドレスを選んでくださるのですよね?」


「ああ。かわりに私の衣装はアンジェが選んでくれるかな」


 以前はダンテが寮に住んでいたため、アンジェリカが遅くまで残っていたが、今はダンテもブルームバーグ伯爵邸に住んでいる。


 同じ馬車で登下校し、時間の許す限り共に過ごしていた。


 そんなふたりはどちらからともなく笑みをこぼし合うと、そのまま帰路に就いたのだった。






 生誕祭初日。


 本来ならば皇帝のパレードが帝都を練り歩き、皇帝の壮健と権威を示す一日となるはずだったのだが、ダンテの予想通りにパレードはなかった。


 かわりに一部の貴族たちが謁見の間にて皇帝へ挨拶し、それ以外の者たち――親族や位が低い者――は、挨拶が終わるまでベイリーと呼ばれる中庭にて待機することになっていた。


「やはり、陛下のお体は悪いのでしょうね……」


 アンジェリカは明るい日差しの下では白百合のようにも見える、極々薄い桃色で採食されたドレスで着飾っている。


 普段の好みからすると、やや派手さが足りないのだが、その分いつもより落ち着いて見えた。


「陛下……。一目でもよいのでお会いしたかったのだけれど、諦める他ないのだろうね」


 ダンテにとっては一応、伯父であるが、あまり良い感情は持っていない。


 血縁上の父親を殺した相手を取り立て、家を取り潰し、事件を風化させた張本人である。


 むしろふたごころを抱くのが普通なのだ。


「あの、ダンテさまは……」


 アンジェリカもそのことは想像できたのか、ダンテの腕にすがるように腕を絡みつかせ、上目遣いでダンテのことを見つめる。


「いいや、アンジェが心配しているようなことはないよ」


 ダンテはアンジェリカを心配させまいと、努めて笑みを浮かべる。


「終わったことだからね。もし、を言っても仕方がない」


 もし、ダンテがジュナスとして生きていたら、ミシェーリとして生きたベアトリーチェを愛しただろうか。


 きっと家族としては愛しただろう。


 だが、男女として想いが通じ合ったかどうかは――恐らくないだろう。


 そのことを想像するだけで、ダンテの胸の内はズキズキと痛む。


 例え仮の話であっても、その可能性を受け入れたくはなかった。


「ああ、仕方がないんだ」


 ダンテは頭を振って、夢想を消し去る。


 どうせ現実も似たようなものなのだから。


「アンジェ、もうそろそろ終わるはずだから、お義父上を迎える用意をしておこうか」


 ダンテはどうしてもベアトリーチェのことを考えてしまう自分に、内心失笑しながらアンジェリカを促そうとしたのだが――。


「もう終わったよ、自称我が従弟どの」


 どこからからかうような響きが乗った、覚えのある声が聞こえてくる。


 その声の持ち主の、嫌味ったらしい顔を思い出し、ダンテは舌打ちしそうになるのを全力でこらえたのだった。

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