第25話 演出

「若様っ」


 ダンテが馬車を降りて少し歩くと、アルが悲鳴じみた声をあげながらダンテのもとへと駆け寄った。


 アルの顔は蒼白に近くなっており、取引がどうなったかの結果を問いたいのではなく、ダンテ自身の身を案じていたことが分かる。


 ダンテは親友の肩を安心しろとばかりにポンポンと軽く二度叩く。


「アル、そう心配するな。ここは帝国お膝元の公立学校だぞ。滅多なことがあるはずないだろう」


「だがな……」


 ダンテが先ほどまで乗っていた馬車は、執事服を着た初老の男が出発の準備を整えていた。


 アルは周りを見回して声を潜めると、念のために口元を隠して話を続ける。 


「あのブルームバーグだぞ。何されるか分からねえだろ。現にこうしてここまで乗り込んできやがった」


 普通警告するならば使者にでも言わせればいい。


 それをせず、フェリド本人がわざわざ釘を刺しに来たということは、それだけ事態を重く見ているということだ。


 ほんの少しでもかじ取りを間違えば、ダンテは闇に消えてしまう可能性だってあった。


「俺は――」


「分かんねえだろっ。現にお前の家族はあいつの命令で殺されたんだぞっ」


 ダンテは既になんとなく察してはいた。


 だが、今アルの口からその事実を告げられてしまうと、ダンテの中に確かな感情が湧き上がってくる。


「……親父モーリスには言うなって止められてたんだがな」


「証拠は?」


 ダンテがそれだけ言葉を絞りだすとアルは苦々しい顔で頷く。


 実際に手を下したのはサッチ――ダンテの育ての親なのだから、そのサッチと友人関係にあったモーリスは、何らかの証拠を握っているのだろう。


「そうか」


 ダンテはそれだけを言ってうなずくと、深く息を吸い込む。


 そして、まだ名前のつかない感情を吐息とともに体の外へと無理やり吐き出す。


 今ここに居るのは家族を殺されたことに対して何かを想う人間ではなく、詐欺師のダンテである。


 偽りの愛をアンジェリカに囁き、ブルームバーグの名を持つ相手から財をかすめ取る小悪党だ。


 自分を取り戻したダンテは、気にしていないことを証明するために、わざと軽い感じで肩をすくめてみせる。


「ま、今日の挨拶・・は帝都に来るついでに不埒者の顔を拝んどくかってところだろ。皇帝の生誕祭は来月だからな」


 老いさらばえたとはいえ、ガイザル帝国の皇帝の誕生月である。


 貴族は全員が顔を見せることが義務となっていた。


 いくら力を持っているとはいえ、フェリドも伯爵という地位を皇帝から賜っているいち貴族にすぎない。


 彼だって所詮は使われる立場なのだ。


 ならば、とダンテは不敵に笑う。


「ところでアル、一つ頼まれてくれ」


「なんだ?」


 ダンテは頭を揺すり、ブルームバーグ伯爵家の箱馬車を示す。


 アンジェリカの迎えに来たものは既になく、フェリドが乗っている方だけが学校の正門近くに停められていた。


「今からあの馬車の邪魔をしろ」


「はぁっ!?」


 アルは目を見開いて驚愕する。


 言葉を出せるのならば、ダンテが正気かどうか問いただしていただろう。


「あの馬車の中には荷物なんかまったく無かった。なら、どこかに置いてきたはずだ」


「そりゃ……そうだろうけどよ」


「ブルームバーグ伯爵家が帝都に持っている居住用の建物は、アンジェが住んでいるあの屋敷以外ない。つまり奴はそこを拠点として活動しているだろうから、そこに帰るはずだ」


 アンジェリカが住んでいる屋敷は、大勢の人間を招いて舞踏会が開けるほど大きい。


 そこ以外を拠点にする理由は考えられなかった。


「それで、邪魔する意図はなんだよ」


 顔面を蒼白にするほど恐れているアルとしては、積極的にかかわるなどご免こうむりたいところだろう。


「鈍いな。恋ってのは否定されると余計燃え上がるんだよ」


「……まさか、お前そんなことのために、俺に危ない橋を渡れと?」


 おそらくフェリドはこれから屋敷に帰り、アンジェリカと会うだろう。


 普通にこのまま見過ごしてもさほど問題はないだろうが……。


「演出って大事だろ?」


「おま……」


 大まかにだがダンテのやりたいことを察したアルは、あきれ返って二の句が継げないでいた。


「つーわけだ、四の五の言ってる時間はねぇ」


 正門からは出られないため、ダンテは校舎へと歩いていく。


「任せたぞ」


 ダンテは何よりも信頼できる茶髪の相棒に向かってそう言い残すと、校舎の中へと姿を消したのだった。






「っと」


 ダンテはまるで猫のようにしなやかで素早い体さばきにより、自身の身長よりも高い鉄柵を一瞬で飛び越えてしまう。


 もちろん、その姿は誰にも見咎められてはいなかった。


「さて、調べによると帰宅後は二階のバルコニーで茶会としゃれこむらしいが……」


 ダンテはポケットから道中拾っていた小石を取り出しつつ、ブルームバーグ伯爵家が所有する巨大な屋敷を伺う。


 屋敷が建っている土地だけで普通の家屋が三桁は建ちそうなくらい広大なのだが、それに加えて庭や物置き小屋などもあるため、総面積はちょっとした城や要塞ほどもあった。


「少し遅いか?」


 アンジェリカはダンテと遅くまで触れ合うため、最近はかなり遅い時間に帰宅している。


 空は茜色に染まり、風も冷気を帯び始めていた。


 もしかしたら今日はお茶など飲まないかもしれないが、アンジェリカからは毎日ガトーが用意されていると話に聞いているので、飲むかもしれない。


 可能性は五分と五分。このまま手をこまねいていても事態は進展せず、ダンテの目的は果たせないのだ。


 もしコイツでアンジェリカが出てこなかったのなら、正門前で大声でもあげるか、なんて考えつつ、ダンテは手に持った小石をやんわりと放り投げる。


 放物線を描いた石つぶてがバルコニーへと消えていき、その奥のガラス戸をコンっと叩いた。


 一度では偶然と思われるかもしれないので、もう一度同じ行動を繰り返す。


 念のために三度目を投げようかと石を構え――。


「そういやベアトリーチェは出てこようとして当たっちまったんだったな」


 茶髪を乱してそっくり返ってしまった少女のことを思い出す。


 さすがにあれはベアトリーチェの間が悪すぎるだけなのだが、アンジェリカに痛い思いをさせてしまってはせっかくの演出も台無しである。


 ダンテは石を放るのを止めると、両手で筒を作って口元に当て、


「アンジェ……!」


 アンジェリカを呼んだ。


 途端、バタバタと物音が聞こえて来て、ダンテは己が賭けに勝ったことを知る。


「ダンテさまっ」


 程なくしてバルコニーの手すりからアンジェリカが身を乗り出す。


 彼女は部屋着なのか、無地の柔らかそうなワンピースを着て、その上に厚手のカーディガンを羽織っていた。


「やあ、アンジェ。その部屋着も似合っていて可愛いね」


「え……?」


 アンジェリカは慌てて出てきたのか、ダンテから指摘されてようやく己の格好に気づく。


 はしたないと言われる様な格好ではないのだが、アンジェリカはそれでも恥ずかしかったのか、己の体を抱いて「きゃっ」と愛らしい悲鳴を上げ、手すりの陰に体を隠す。


「あ、あの……あまり見ないでくださいまし。もう、どうすれば……。ダンテさまにこんな格好をしているところを見られてしまうだなんて……」


「いろんなアンジェを知れて、私は嬉しいのだけどね」


「そんな、恥ずかしいですわ」


 アンジェリカにとって、ダンテがなぜこの場にいるかよりも、自分がおしゃれをしていないことのほうが重大事項らしい。


 それほどまでにアンジェリカの頭の中はダンテとの逢瀬に関することでいっぱいなのであろう。


「……アンジェ」


「は、はい」


「今日、私は君のお父様とお会いしただろう?」


「そ、そうです。ダンテさま、父がなにか失礼なことを言いませんでしたか?」


 アンジェリカの顔が、浮かれたものから一気に引き締まる。


 彼女だってダンテとの付き合いを父親であるフェリドが反対することなど百も承知の様だった。


 だからこそ、ダンテはあえて何も言及しない。


「アンジェ」


 ダンテは笑顔を消し、真剣な顔をアンジェリカに向ける。


「君は賢いから、きっと私が何を言われたのか分かっているはずだよ」


 ダンテは言葉に最大限の心と熱を籠める。


 今この時だけは、それが真実とばかりに持ちうる限りすべての愛を注ぎ込む。


「それでも私はここに来た。アンジェはこの意味、分かってくれるね?」


「はい、分かりますダンテさまっ」


 ダンテの左右で色の違う瞳に、アンジェリカは釘付けになってしまう。


 どれほどの葛藤が彼女の中で渦巻いているのか、外から推し量る術はない。


 しかし、間違いなく今の彼女はダンテに対して恋焦がれていた。


「ああもうっ」


 アンジェリカはいら立ち紛れにこぶしを手すりに叩きつける。


 二階と一階という壁が無ければ、今すぐにでも彼女はダンテの胸元に飛び込んでいただろう。


「ありがとう、アンジェ」


「お礼など……っ。私は何もできませんのにっ」


 ダンテはゆっくりと首を横に振る。


「そこまで想ってくれて、ありがとう。私はそれだけで幸せな気持ちになれる」


「ダンテさま……」


「だから――」


 ダンテはアンジェリカを求めるかのように手を伸ばす。


 アンジェリカも同様にベランダから身を乗り出してダンテを求める。


 しかし二人の間には絶対に超えられない壁があり、決して触れ合うことはできなかった。


「君が傷つくようなことだけはしないでくれ」


「~~~っ」


 アンジェリカが口惜しそうに地団太を踏む。


 彼女はきっと父親であるフェリドに反抗するだろう。


 ダンテと結ばれたいと望み、道具であることを放棄するはずだ。


 きっと彼女はこれからたくさん傷ついてしまうだろう。


 それならばせめて、無用な傷だけは負う必要などないと、それは偽らざるダンテの本心であった。


「っと」


 ふと、ダンテの耳に大勢の足音が飛び込んでくる。


 アンジェリカがお茶をするというのならメイドも共に居るだろうから、ダンテが無断で敷地に侵入したことは既にバレているのだろう。


「アンジェ、それではまた」


 ダンテは演劇めいた大仰な動作で一礼すると、アンジェリカの前から風のように消え去ったのだった。

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