第19話 高嶺の花
舞踏会というものは、日が落ちてから行われるものが一般的ではあるが、中にはそうでないものもある。
日が高く昇らないうちからお茶会や乗馬など、男女それぞれが交流の場を持ち、日が暮れてから舞踏会の会場に移動して踊る、というものだ。
特に若い男女が結婚相手を求めて行う様な舞踏会はその様な形式のものが多く、ベアトリーチェはそれに出なければならないらしかった。
「んで、お前は招待状を貰っていないのにも関わらず、舞踏会に参加するわけか」
いつもより上等な執事服で身を固めたアルが大理石の柱に背を預け、ダンテだけに届く程度の小さな声で囁く。
その隣に立っているダンテは、上等な燕尾服に身を包み、シルクハットを目深にかぶってその美しすぎる貌を隠している。
詐欺師の二人は、招待などされてもいない舞踏会に、口八丁で衛兵を騙して忍び込んでいた。
「当然。もうすぐで授業に出られるようになるんだ。そうなりゃいやでも顔を合わせるようになって、秘密を明かすどころじゃなくなる」
ダンテはアンジェリカと会うごとにひとつ秘密を明かし合うと約束したのだ。
毎日顔を突き合わせていれば、ロマンスもクソもない。
だからその前にダンテのことをある程度は知っておいてもらう必要があった。
「さて、それで調べてきてくれたんだろう? 誰の名前が書いてあった?」
こういった若い貴族の子女が集まる舞踏会は、招待状に踊りたい相手の名前を書いて主催者に渡す。
ダンテが聞いているのはアンジェリカが望んだダンス相手の名前だった。
「……空白だったぜ。残念だったな」
アンジェリカがダンテの名前を書かなかったのか、それとも家の意向で白紙で出したのかは分からない。
ただひとつ言えることは、まだ惚れさせ方が弱いということだけだった。
それが分かった途端、ダンテの口元に不敵な笑みが浮かぶ。
獲物は難敵であればあるほど、ダンテの闘志は燃え上がるのだ。
「了解」
ダンテがシルクハットを脱いで顔を晒す。
シャンデリアから降って来る灯の光がダンテのプラチナブロンドに当たって弾け、光の粒子となって周囲に降り注ぐ。左右で色の違う瞳はダンテの内面から湧き上がる意志の力で宝石よりもなお眩い輝きを放つ。
ダンテが着ている燕尾服は、最高級の生地使い、名のある仕立て屋が丹精込めて仕上げた逸品だったが、ダンテの顔の下にあると安物に見えてしまっていた。
「……男に生まれててホントに良かったよ」
いつもその顔を見慣れているアルですら、ダンテの人間離れした美貌を前に思わずため息を漏らす。
「俺と商売ができなくなるからな」
「お前の正体知ってりゃ抱かれたくなくなるから問題ねえよ」
「ぬかせ」
軽くいつも通りじゃれ合った後、ダンテはシルクハットをアルへ手渡し、獲物へ向かって歩き出した。
天井にはいくつもシャンデリアが吊り下げられ、壁は清澄な白い地肌を晒し、床は綺麗に磨き上げられた石版が幾何学模様を描いている。
そんなきらびやかな世界の中で、大勢の着飾った貴族たちが談笑したり、美味い酒に舌鼓を打っていた。
このダンスホールを作るためにどれだけの金が使われたのか。
ダンテが今足で踏みつけている石板でさえ、たった一枚でテッドたちのような浮浪児たちが腹いっぱい飯を食うことができるだろう。
そんなことを考えていると、ダンテはやるせない思いでいっぱいだった。
「あそこか……?」
ダンスホールの一角に、ひときわ目立つ人だかりができているのを見つける。
誰もが上品に取り繕った笑みを浮かべ、きらびやかな衣装で身を包んでいるが、その腹の中はどす黒いもので埋め尽くされている様にダンテは感じた。
「……ま、それは俺も同じか」
一人ごちたところでダンテは頭のスイッチを切り替え、晴れやかな笑顔を顔に張り付ける。
それだけで彼も華やかでありながらも醜悪な怪物たちの一員へと変わったのだった。
「良い夜ですね」
近づいたことで人垣の中に知った顔をいくつか見つけ、姿こそ確認できなかったものの、ダンテはアンジェリカがこの場に居ると判断した。
「――アンジェリカ」
ダンテが彼女の名前を口にした瞬間、一斉に敵意や好奇など、様々な感情の乗った視線がダンテに集まる。
しかし、以前と違うことがひとつ。
誰からもダンテを非難する言葉が上がらなかったのだ。
代わりに「退きなさいっ」と鋭い叱責が飛び、人垣が二つに割れていく。
「ダンテ様っ」
取り巻きがいやいや退いていくのがもどかしかったのか、アンジェリカは障害物を押しのけてダンテのもとまで走り寄って来る。
黒を基調に銀糸と金糸を絡み合わせて作ったフリルをあしらったドレスを身に纏い、本物の金よりも深い金色の髪を結いあげて蝶の形をした髪留めでまとめ、頬に薄く化粧を施し、唇には紅を差している。
そうやって飾り立てたアンジェリカは、ダンテが生涯で見た中で最も美しい少女と言っても過言ではなかった。
「――っ」
ダンテはアンジェリカを前にして、何も言わず、ただ目を見張ってアンジェリカの姿を見つめる。
「ダンテ様?」
ダンテがなんの反応も示さないことが心配になったのか、アンジェリカが小首をかしげもう一度ダンテの名前を呼ぶ。
「――失礼」
ダンテは軽く目を逸らし、軽く握った手で口元を隠してから咳払いをしたのち、ためらいがちにアンジェリカへと視線を戻して……しかしまた逸らすを繰り返す。
そんなダンテの不審な挙動に、アンジェリカはなおのこと不安そうな眼差しを向けた。
「……正直に告白しますと、見惚れていたのですよ」
「まあっ」
ダンテの告白に、アンジェリカの顔がぱぁっと明るくなる。
「もっと素直に褒めてくださってもよろしくてよ」
浮かれたアンジェリカは豊かな胸を逸らし、横柄にもそう言ってのける。
確かに取り巻きを含め、普通の男であれば今のアンジェリカに懸想しない者などほとんどいないだろう。
しかしダンテは違った。
今までのダンテの言動は全てお芝居、噓八百である。
常にダンテが攻め立てるだけではアンジェリカもその刺激に慣れてしまう。
なので、わざとうろたえたふりをして、アンジェリカの攻勢がうまく行ったと思わせたのだ。
案の定、アンジェリカはダンテの策にまんまと引っかかり、恋の駆け引きで自分がダンテを上回ったと調子付いている。
この先彼女はダンテの張った罠にずぶずぶとはまっていくだろう。
「ええ、認めましょう。想像を遥かに超えていました」
「ふふっ」
ダンテは満足そうに頷くアンジェリカの手を取ると、遅まきながら挨拶の口づけを落とす。
「でも良いのですか?」
「なにがでしょう」
「私が止まれなくなるとは考えなかったのですか?」
ダンテは全て言わなくても察してくれとばかりに、具体的な事は何一つ口にしていない。
それでもアンジェリカが満足しているのは、それ以外ありえないと確信しているからだ。
今ふたりは同じ方向を見て、決定的にすれ違っていた。
「あら、なら
そう言いつつも、アンジェリカに逃げ出す気配はない。
手を振りほどくことなくダンテとの会話を楽しんでいた。
「それでは、私はアンジェリカを捕まえておくためにも……」
ダンテはアンジェリカと手を繋いだまま片膝を折って床につける。
「一曲、よろしいですか?」
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