第17話 お昼の時間
「大丈夫です。私も同じですから……」
会話の流れから察するに、ベアトリーチェは嘘をついて取り入るということが同じだと言いたいのだろう。
ダンテからしてみれば、なにが同じなのかと問い詰めたかった。
しかしそれをすれば彼女の事情に大きく踏み込むことになってしまう。
「同じ……ね」
ダンテは皮肉気な笑みを浮かべるだけにとどめておく。
いくら彼女が信用できる存在だからとて、いや、そういう存在だからこそ、距離を置くべきだった。
「…………それで、お前はなんでここに居る?」
暗い話題は終わりとばかりにダンテは表情を崩すと、つとめて明るくふるまう。
ベアトリーチェは丸くて大きな瞳をぱちくりさせると、ぎこちなく作り笑顔を浮かべた。
「べ、勉強です。わたし、要領悪いので、お休みの日も勉強しないとついていけなくって」
「そうか」
もし本当に自分を偽ってアンジェリカに取り入っているのならば、その嘘の下手さはなんなんだと、ダンテは戻りそうになる思考を無理やり振り払う。
「俺はまだ試験を受けていないから、どの程度勉強が出来るのかわからないな」
この学校では、乗馬や剣術、貴族として恥ずかしくない立ち居振る舞いや知識などを学ぶ。
知識に関しては単位制なのだが、学校に来る前に家庭教師から学んでいたりすると勉強の進度が変わってくるため、試験を受けて確認することになっていた。
ただ、貴族は身の回りの準備などにやたらと時間がかかるため、多少だが試験の日程は融通をきかせてくれる。
ダンテはそれを利用して出来る限り試験を先延ばしにしていた。
「そうなんですか? な、なら私が先輩として勉強をみてあげてもいいですよ?」
ベアトリーチェは、ふんすと鼻息荒く平らな胸を精いっぱい逸らす。
背丈といいしぐさといい、なんとも頼りなさそうな先輩であった。
「……皇歴382年にはなにがあった?」
「…………」
ダンテの出した問題で、ベアトリーチェの体は凍り付く。
忘れたのか習っていないのかは判別できなかったが、少なくとも歴史の知識量に関してはダンテの方が上回っていそうだった。
「なら教科書を持ってもらおうかな、セ・ン・パ・イ」
「うぅ~、ダンテさんはいじわるですぅ」
少しずつ、先ほどまでの重苦しい空気が去って行き、表面上だけかもしれないが、2人の間に暖かい日差しが差し込んでくる。
「ベアトリーチェはなにが得意なんだ?」
「私ですか? 私は音楽が好きですっ」
得意と聞いたのに好きと答えた辺り、ベアトリーチェは勉強の話が嫌いらしい。
その自覚があるからわざわざ図書館へ勉強しに来ているのだろう。
ただ、今の彼女はそんなことなどすっかり忘れて話に夢中だった。
「最近、流行りの歌姫さまがですね、すごいんですよ! いろんな楽師さんたちに自分の音楽を教えながら演奏旅行をしてらっしゃって、どの国に行っても大人気で大好評!! どんどん新しい歌を……」
目を輝かせながら、もはや勉強とはまったく関係のない話題をダンテに話して聞かせる。
寂しいと言っていたのでこうして誰かと話すことも久しぶりなのかもしれない。
ダンテはこっそりとため息をつきつつベアトリーチェの話に相槌を打つのだった。
校舎の窓から赤い瓦に覆われた屋根の上に出る。
斜めになって足場も悪く、落ちれば高さ十数メイルを真っ逆さまとなり、確実に命は無い。
だというのにベアトリーチェは平然とした様子でずんずん登っていく。
「こっちです。もうすぐで私のお気に入りの場所ですよっ」
ダンテはチラリと後方を振り返り、その高さに少しだけ肝を冷やす。
「……今行く」
タールで塗り固められた屋根に手をつけ、慎重にベアトリーチェの後を追った。
「ここが私のお気に入りの場所ですっ」
ベアトリーチェが立っているのは、屋根の一角に設けられた一辺が3メイルほどの小さな高台だ。
屋根の補修や管理を行いやすくするために設置されたものだろうか、地面からは死角になっている。
よくもこんなところを見つけられたものだと思わず感心してしまった。
「早く座ってくださいよ、ダンテさんっ」
ベアトリーチェは石造りの床に直接腰を下ろし、待ちかねているとばかりに自分の隣をペタペタと叩く。
彼女は長らく小間使いの様な扱いを受けてきたため、友人と言える存在がほとんど居ない。
そのため、こんな風に秘密を共有できることが嬉しくてたまらないのだろう。
ダンテは無邪気なベアトリーチェの笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまい、苦笑するしかなかった。
「そんなにはしゃぎすぎるとまた腹を鳴らすぞ」
「えうっ」
ダンテの指摘に、ベアトリーチェは顔を真っ赤にして黙り込む。
彼女とっておきの場所を案内してもらえることになったきっかけは、ベアトリーチェがぐ~っと鳴らしたそれはそれは大きな空腹の合図だったのだ。
あまりに大きな音だったため、ダンテは図書館だということも忘れて大笑いしていた。
「も、もう大丈夫ですよぉ」
「どうかな」
ダンテはからかいながら手すりを跨ぐと、ベアトリーチェが望む通りの場所に腰を下ろした。
「あ、ちょっと待っててくださいね」
放っておけばそのうち歌いだすのではないだろうかと思ってしまうほど浮かれたベアトリーチェが、高台の端に置いてあったバスケットを取り上げてふたを開ける。
途端、ふんわり柔らかいパンの匂いと焼けたベーコンの香りが漂ってきて、ダンテの食欲を猛烈に刺激した。
「ふふっ、実は今日のお昼はいつもより少し豪華なんですよ」
そういってベアトリーチェはバスケットをダンテにも中身が見えるように傾ける。
バスケットの中には、固い皮とサクサクした触感の長細いパン――バゲットを半分に割り、間にレタスとベーコンとチーズを挟んだ大き目のバゲットサンドがひとつ、鎮座していた。
「美味そうだな」
ダンテが素直に褒めると、ベアトリーチェの笑みが一層深くなる。
「美味しいんですっ」
珍しく強い口調で断言したベアトリーチェは、バスケットのからバゲットサンドを取り出すと、ちょど中心辺りを掴む。
そのまま、ふぐっと奇妙な掛け声をかけてバゲットサンドを二つに割ろうと試みたのだが……。
「んんん……!」
いくらベアトリーチェが頑張ったところでバゲットサンドが分割されることは無かった。
固い皮にベアトリーチェの非力。おまけにバゲットを潰すまいと加減をしているとあっては当然の結果だ。
ダンテは短くため息をつくと、ベアトリーチェの手からバゲットサンドを奪ってかぶりつく。
「あ~っ」
ベアトリーチェが抗議の声を上げたのだが、これはダンテがバゲットサンドを許可なく食べたことに怒っているわけではない。
そもそもベアトリーチェとダンテはバゲットサンドを分けることで話がついていたのだが、ベアトリーチェが抗議したのはひとえに彼女の純情さにある。
「うん、美味いな」
満足げにうなずいたダンテがベアトリーチェの手にバゲットサンドを返した。
ベアトリーチェは戸惑いながら手の中の食べ物、特にダンテがかじった部分を見つめている。
スラム街では回し飲みやひとつの食べ物をかじって分けることなど日常茶飯事なので、ダンテはまったく意識していなかったのだが、ベアトリーチェはそうではない。
腐っても彼女は貴族であり、間接キスで頬を赤らめる程度には貞操観念が強かった。
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