第6話 舞踏会は踊り、運命は巡る

 ダンテはただの平民からブラウン家の養子となり、ダンテ・エドモン・ブラウンと名乗る貴族になった。


 これで帝国のステートスクールへ入学できるのだが、ただ入学しただけでは印象が薄くなってしまう。


 劇的な恋をするためには、激的な出会いで彩る必要があった。


 とはいえ粉をかけるべき大貴族ともなれば、街角でバッタリと出会えるわけがない。


 大概そういうお姫様は、必要な時以外屋敷に籠り切りである。


 逆に言えば、必要な場には顔を出す。


 例えばそれは、大きな家が主催する舞踏会ダンスパーティーだ。


「本日は御招きにあずかり光栄に存じます。テレジア侯爵」


 ダンテは黒い燕尾服に身を包み、テレジア侯爵家の主催する舞踏会に顔を出していた。


 この舞踏会は、侯爵家が帝都に所有している別邸にて行われているのだが、別邸にも関わらず、その大きさはモーリスの家を30ほど詰め込んでもまだ余裕があるほど巨大だった。


 館の大きさもさることながら、柱や壁だけでなく、客を出迎える門すら金銀で精緻な細工が施されているのだからどれほど金が有り余っているのかは想像に難くない。


「君は……見覚えが……どこかで……」


 ダンテが頭を下げた相手は、テレジア侯爵家当主であり、名をジブリール・ユースフ・テレジアという。


 御年60に手を伸ばしかけている初老の男で、髪の毛には白いものの方が多く、頬肉はだらしなく垂れ、やや覇気のない目をしている。


 ただ服の趣味は良いのか、派手過ぎない質素な色合いの物を組み合わせ、静謐な雰囲気を醸し出すことに成功していた。


「君ほどの顔ならば、一度見れば忘れないと思うのだが……」


「まだ17ですのでデビュタントをしておりませんからこれがお初にございます」


「なるほど」


 そういうとダンテは胸に手をあて、優雅な所作で一礼する。


 その堂々とした佇まいを見て、本当は平民であると見抜ける者は誰も居ないだろう。


 実際、ダンテの目の前に居るテレジア侯爵も、ダンテが貴族であると信じて疑わなかったようだ。


「ダンテ・エドモン・ブラウン。ブラウン男爵家の一人息子にございます」


「ブラウン……」


 テレジア侯爵は遠い目をして必死に記憶の糸を手繰り寄せようとしているが、どうやら手ごたえはない様である。


 もっとも、ブラウン男爵は借金まみれになってからは、舞踏会など顔を出したこともないのだから覚えていなくて当然かもしれない。


「はい。以後お見知りおきを」


 ダンテとしては、娘のいないテレジア侯爵家にさほど用はない。


 挨拶だけすませばさっさと離れて獲物の観察としゃれこみたかった。


 ダンテは失礼のない様にもう一度深々とお辞儀をすると、隣に立つ赤子を抱いた奥方の手の甲に口づけをしてからその場を離れたのだった。






 舞踏会の会場には多くの貴族たちが挨拶という名の権謀術数に励んでいる。


 人だかりの規模がそのまま力関係を表し、それだけ金の匂いも付きまとう。


 ダンテはそういった人々を観察しながら人と人の間を縫うように歩いていった。


「我が忠実なる従僕くん」


「はい、なんでしょうか我が主どの」


 ダンテが冗談めかしてそう言えば、従僕のふりをしているアルが同じく笑みを浮かべながら応える。


 詐欺に置いて常にパートナーとしてダンテを補佐してきたアルだったが、今回においてもその例外ではなかった。


「変な色気は出すんじゃないぞ」


 実はダンテとアルが舞踏会に顔を出すのはこれが初めてではない。


 何度か紛れ込み、2人で人混みの中を歩き回って指輪やネックレス、服に縫い込まれた宝石などをスリ取って回った経験があった。


 特にアルのスリの腕は大したもので、ダンテすら分からない内に指輪から宝石だけを抜き取ってしまったりするのだ。


 ただし今回はそれが目的ではないため、ダンテはしっかりとアルに釘をさしておくことにしたのだった。


「分かっていますよ、我が主どの。今は宝石よりも素晴らしい宝を品定めすべきでしょうからね」


「よろしい」


 ダンテは満足げに頷くと、視線を周囲に走らせる。


 そんなダンテの美しい顔に気付いた女性がざわめき立ったが、小物を相手にするつもりがないダンテは気にも留めなかった。


「ダンテ。振り返ってから俺の右肩辺りを見ろ」


 アルに言われた言葉に従ってその方角へ視線を向けると――。


「間違いない。さすがアル」


 歳のころは15、6。朝日を思わせる長い金の髪。宝石のように鮮やかなエメラルドグリーンの瞳と、気の強そうな赤い唇。女性にしては高めの身長と、それに見合うだけの豊かな胸を、赤を基調にフリルをあしらいバラの花をイメージさせるドレスで飾り付けている。


 周囲の女性達と比べても一段と花のある可憐な少女が取り巻きの狭間から垣間見えた。


「アンジェリカ・ジュリー・ブルームバーグ。お前の獲物だ」


 ブルームバーグ伯爵家も、テレジア侯爵家に負けないほど家格かかくも高く、そして超が付くほどの資産家でもある。


 特に今代は色々な意味でやり手で、方法を問わずに財を増やしている。


 以前ダンテたちがハメた貴族も、ブルームバーグ伯爵家の真似をしようとしていたくらいだ。


 そんな風に私腹を肥やしている貴族は、ダンテたちにとって遠慮する必要のない獲物だった。


「……取り巻きが邪魔だな」


 ブルームバーグ伯爵家の一人娘ともなれば、取り巻く人々の数もすさまじい。


 今ダンテが彼女の姿を垣間見られたのも、偶然彼女が移動を始めようとしたからだ。


 どうしたものかとダンテが考えているうちに、アンジェリカは数十人にも及ぶ取り巻き立ちをぞろぞろと引き連れて歩き始めてしまった。


「行っちまうぞ……っても話しかけようがねえな、ありゃ」


 アルの言う通り、先頭を歩く彼女に話しかけようとしても、取り巻きから無礼千万と切って捨てられて終わりだろう。


 かといって、この機を逃せばまた周囲をガチガチに固められてしまい、話しかけることも出来なくなる。


 だからダンテは……。


「いや、行ってくる」


「おいおい」


 今を好機と捉え、話しかけることにした。


 ダンテはその場に立ったまま息を軽く吸い込むと、


「失礼、レディ!」


 4メートルほど離れているアンジェリカへ向けて話しかけた。


 言葉通りに失礼千万の振る舞いに、アルの顔面からはサーっと血の気が引いていく。


 遠くから呼びつけるだけでも失礼であるのに、家格の差を考えれば正気の沙汰とは思えない行動だ。


 当然の様に周囲からはどよめきや叱責の声が上がるが、ダンテはそれら全てを受け止め余裕の笑みすら浮かべてみせた。


「なにやってんだ……!」


 ダンテはアルの抗議を軽く無視して、足を止めたアンジェリカに近づいていく。


 あまりにあり得ない行動だからだろう。そんなダンテの歩みを止められるものは誰も居らず、ダンテは悠々とアンジェリカのもとへと達した。


「こんばんは、レディ。よい夜ですね」


 ダンテは、軽く目を見開いてダンテのことを見つめているアンジェリカの左手を取り、その甲へ口づける。


「君、失礼だろう! この方はブルームバーグ家のご息女で在らせられるのだぞ!」


 取り巻きが強い口調で警告を発するが、ダンテはどこ吹く風とばかりに無視をすると、口づけを落としたばかりであるアンジェリカの左手に、そっと自らの手を重ねた。


「あ、あなたは何者ですか?」


 そこでようやくアンジェリカが我を取り戻して誰何の声をあげるが、多少うわずっているのはダンテの美しすぎる魔貌のせいだろう。


 まさかこれが御者の男に踏みつけられていた老人と同一人物であるとは思うはずがない。


「私ですか? 私はあなたという美しい花に引き寄せられた、愚かな蝶ですよ」


「まあ、お上手ですこと」


 こういうおべんちゃらは、さすがに言われ慣れていたのか、アンジェリカに少しだけ冷静さが戻る。


「ですが、先ほどのなさりようは殿方として失格ではございませんこと?」


「今のはあなたも悪いのですよ、レディ」


 自分が悪いと言われてアンジェリカは形のいい眉をひそめる。


 だが、これはダンテの話術による罠であった。


「急に私の前に現れるのですから。つい私が我を忘れてしまっても仕方のないことと思いませんか?」


 常に褒められ、最高の評価を当然と考えている者を、いくら褒め称えようと意味はない。


 だからダンテは一度下げてから持ち上げたのだ。


 しかもそれだけでない。


 ダンテが、アンジェリカの美貌により我を忘れてしまったことを否定すれば、それは間接的にアンジェリカ自身の美貌を貶めることにも繋がってしまう。


 プライドの高いアンジェリカが、それを選択ことなどありえなかった。


「……ふんっ」


 アンジェリカは無理に作ったすまし顔をダンテから背ける。


 しかし、彼女の手とダンテの手は、未だ繋がったままだった。

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