第5話 正しい悪事の作法
ダンテが根城にしているスラム街は、暗くなってから活気づく。
一夜の快楽を求める男たちや、後ろ暗い所のある無法者が蠢き始めるからだ。
詐欺師であるダンテも基本的にはその例に漏れず、夜に活動することが多いのだが、本日は珍しく太陽の昇る真っ昼間に活動していた。
もちろん理由はある。
以前は子どもたちに食べ物を差し入れる為だったが、今回は仕事のパートナーが日の光の下で暮らしている人間だからだ。
ダンテはスラム街にしては異常に造りのしっかりした建物の中へと入っていく。
この建物の主は名前をモーリスと言い、このあたり一帯の裏稼業を取り締まる元締めのような存在だった。
「よぉダンテ、聞いたぞ。女の子をいじめたらしいじゃねえか」
そばかすが残る頬。茶色の短髪に、ヤクザな家に住んでいるとは思えないほど明るく朗らかな口調と雰囲気を持った青年――アルフレッドが呼びかけて来る。
「ったく。相変わらずくだらないことにも耳が早いな」
軽口を交わしつつ、ダンテはアルと軽い抱擁をかわす。
アルは、ダンテにとって親友であり、詐欺を行う上で欠かせないパートナーでもあり、元締めであるモーリスの一人息子でもあった。
「テッドから聞いただけさ」
「あいつ……余計なこと言いやがって。今度はテッドだけ飯抜きだ」
そう文句を言いつつも、結局子どもたちにそんな報復をしたことはなかったりする。
ダンテはそういう男だった。
「ま、そんなことより仕事だ仕事。でかいの狙うんだろう?」
「ああ」
この二人のする仕事とは、もちろん詐欺である。
しかも今回はより大きな相手に対して仕掛けるつもりであった。
だからこそ、元締めまで巻き込んでの大掛かりな準備が必要だったのだが……。
「本当にやるつもりか、ダンテ」
「モーリス」
奥の扉が開き、その中から髭を生やした強面の男――モーリスが現れた。
アル同様、茶色の髪の毛を短く刈り上げ、人を射殺してしまいそうなほど鋭い目をしている。
更にはダンテの太ももほどもありそうなぶっとい腕をしており、ちょうど人食いクマを小さくして人間の皮を被せたらこんな風になるのではないかという様な印象を受ける中年の男だ。
「親父、ダンテが止まるわけねえだろ」
モーリスはアルに手のひらを向けて黙らせると、もう一度同じ問いを投げかける。
「ああ、当然だ」
ダンテは左右で色の違う瞳を野心で燃やしながらモーリスを睨み返す。
そのまま二人はしばらく視線をぶつけ合わせる。
睨み合うこと十数秒。折れたのはモーリスの方だった。
モーリスの瞳から力が消える。
「お前の血筋についてはサッチ……育ての親から聞いているんだろう?」
「死に際に聞いたよ。親父らしく、自慢話としてな」
ダンテには肉親ともいうべき存在が居なかった。
何故いないのか。それはサッチが殺したからだ。
彼が死に際に残した話によれば、貴族の派閥争いで、サッチにダンテの一家を皆殺しにするように依頼があったらしい。
サッチは仲間と共に田舎の別荘ですごしていたダンテの一家を襲撃。
ダンテ以外を皆殺しにして首を切り、別荘の玄関に並べて置いたそうだ。
その際、保険としてダンテの身柄を確保しておいたというわけである。
なお、その一族は派閥争いに敗北して歴史から抹消されてしまったのだそうだ。
「まあ、俺には関係ない話だ。顔も見たことねえ親なんか、親とは思えねえよ」
サッチは頭のおかしい男だったが、一度仲間と決めた相手にはとことん情の深い男で、ダンテも実の息子のように可愛がって育てられたのだ。
ダンテはサッチに対して恩こそ感じていても、嫌悪感など全く感じていなかった。
むしろ裏の世界を生きる様になってから目の当たりにした、貴族たちのおぞましい姿を見て、そちらの方に嫌悪感を抱いてすらいた。
「貴族に深く関われば、お前の血筋に興味を抱く奴が出てくるかもしれんぞ?」
「それこそ知った事か。俺は俺だ。来るなら返り討ちにしてやる」
ひゅうっとアルが口笛を吹く。
そうやってはやし立ててはいるが、返り討ちにする時にはアルもダンテの隣に居るだろう。
なんだかんだ言っても、2人は親友なのだから。
「しかける相手はブルームバーグ伯爵家らしいが、それでもか?」
「とうぜ――」
「お前に縁があるとしても?」
ダンテの言葉をさえぎって放たれた一言に、ダンテは口を閉ざす。
生い立ちに関する話をした後に、この含みのある一言だ。
その意味をダンテは正しく理解し、その上でためらうことなくうなずいた。
「当たり前だ」
「……お前は間違いなくサッチの息子だよ」
「それは悪口なのか褒め言葉なのか分かんねぇな」
モーリスは軽く肩を竦めると、先ほど出て来たばかりの扉を顎で示す。
どうやら試験は合格らしい。
ダンテたちは揃って奥の部屋へと入っていった。
縦4メイル、横2メイルの小さな部屋は、モーリス専用の執務室となっており、半分以上を黒檀でできたデスクが占め、空いた部分に小さな木製の椅子が何脚か用意されている。
その内の一つに、革製の吊りズボンと無地のシャツを着た、表情の暗い中肉中背の貧相な男が座っていた。
「モーリス。この男が?」
ダンテは思わず懐疑的な視線をモーリスへと向ける。
ダンテは落ち目の貴族との面会を希望していたのだが、椅子に座って肩を落としている男性は格好といい雰囲気といい、どうしても農夫にしか見えなかったのだ。
「そうだ。このお方はロレンツ・ジョセフ・ブラウン男爵。見ての通り貴族さまだ」
最後に付け加えられたのは皮肉だろうが、その切れ味はいささか鋭すぎたようで、ブラウン男爵は渋面を作った。
「ブラウン男爵は、領地をお持ちなのだが、残念ながら経営がうまくいっていない。そのせいで莫大な借金があるのだが、いかんせん返すあてがない。だから我々にご協力いただけるというわけだ」
「わ、私は運が悪かっただけだっ。大雨で川が氾濫などしなければ……」
道を踏み外す理由の大半は金である。
この貴族も実にありふれた理由から、この場に居るという訳だった。
「それはどうでもいい。あんたは金が欲しいんだろう?」
ダンテに一言で切り捨てられたブラウン男爵は押し黙ったあと、ゆっくりと頷く。
「だったら黙って俺たちの言うことを聞いていればいい」
ブラウン男爵からの返答は一切無かった。
彼からしてみれば、ダンテたちはただの平民に過ぎない。
それが対等な口をきくどころか脅しつけ、命令してくるのだ。屈辱は相当なもののはずだ。
だというのに口答えすらできないのは、それほど追い詰められているのだろう。
そんなブラウン男爵を満足げに見下ろすと、ダンテは傍にあった椅子を引き寄せて腰を下ろす。
同時にモーリスたちもそれぞれの椅子に腰を下ろした。
「それじゃあモーリスからだいたいは聞いているかもしれないが、もう一度説明させてもらう。俺たちがするのは、結婚詐欺に近いことだ」
ダンテの計画はこうだ。
まずダンテがブラウン男爵の息子になる。これは正式な書面でもって正式に養子として迎え入れてもらう。
名実ともに貴族となったダンテが、帝国のステート・スクールに正式に入学する。
このステートスクールは、各貴族の子弟を人質として帝都に集めておく役目もあるため、相応に地位のある人間が集まるのだ。
ただ、彼らはあくまでも人質として出せる存在、つまり次男や女が多く、いずれは政略結婚の駒として利用される未来が待っている。
そんな女にダンテが粉をかけるのだ。
魔貌とも形容できるほど美しいダンテの容姿に抗える女はそうそう居ない。
そうやって骨抜きにしたうえで、ブラウン男爵への出資を募って金を引き出すのだ。
「工事のための資材や
治水工事ともなれば、天文学的な金が動く。ここにモーリスが手を突っ込めば、目が飛び出るほどの利益が得られることだろう。
「ブラウン男爵。あんたの利益はそうやって大貴族さまから出資を受けられることだ。これは正式なものだからなにも気にすることは無い。というより今回俺たちは基本的に違法行為をしない」
悪事を働くには信用こそ第一である。
信用できない外部の人間を仲間に引き入れているのに出来るわけがないのだ。
「だ、だが詐欺をするってアンタ……」
「ああ、俺が狙うのは正確には婚約破棄。つまり別れる前提で物理的に傷つけるつもりは一切ない」
もし女がダンテに心酔してしまえば、政略結婚の駒として使い物にならなくなってしまう。
夢見がちな女が暴走して駆け落ちするとでも言い出せば、その家はダンテのことを邪魔に思うはずだ。
ダンテを排除するのに暴力的な方法に出て来る可能性がないわけではなかったが、そんなことをするより金で解決した方がよほど楽で手早く確実である。
もちろんダンテもそのことを匂わせるので決着はすぐにつくことだろう。
なによりこの詐欺の良い所は、全て違法性のない正当な方法であるため、ダンテはこれからも大手を振って帝国を歩き回れる。
「アンタは正式に領地を立て直し、モーリスは正式にその仕事を請け負って、俺は正式に貴族になって、正式に婚約をする。悪事は何もしない」
「おお、俺もついに足を洗う時が来たわけか」
「本音が顔に出てんぞ、親父」
モーリスとアルが親子らしい息の合った冗談で混ぜっ返すが、彼らのあまりの言い草に、ブラウン男爵だけは二の句が継げないでいた。
確かに違法性のあることは何もしない。
しかし、人の心を弄び、女性をただの道具としてしか見ないやり口は、間違いなく悪そのものだった。
「じゃあ、ブラウン男爵」
ダンテはそこで言葉を止めると、一旦目をつぶる。
そして再び目を開けた時には……。
「いえ、今後末永くよろしくお願いいたします」
眼差しの柔らかさ、口調、果ては顔つきまで、明らかに先ほどとは別人になっていた。
その変貌ぶりに、ブラウン男爵は体を震わせる。
それでも構わずダンテは無垢な笑顔を浮かべ、
「
ブラウン男爵のことをそう呼んだのだった。
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