第3話ーーおっさん決断する
「着いた……ようやく我が城に着いた」
城でもなんでもない、ただの1K風呂トイレ付きの安アパートである。
「うぉっ……あぁ売却か」
疲れ果てていた為すっかり売却システムの事を忘れていたおっさん、情けない声を出して驚きまくっていた。
スライムの魔晶石を押したところで驚きの声を上げた。
<草スライムの魔晶石……381円>
<草スライムの魔晶石×268……102,108円>
倒した数も数だが、それよりも何よりも売却金額がまさかの10万超だったのだ。喜びいさんで売却ボタンを押したのは言うまでもない。
「うひょーマジかマジか!日給10万超きた!これって月25日稼働で250万。きっと下に行けばもっと買取金額も高くなるからそれ以上になる」
本日は無双出来たからなのと、無駄に迷いまくってエンカウントが多かった事などに思い至るはずもないおっさんは浮かれまくった。
「あれ?もしかして会社行かなくていいんじゃね?」
こうなるのは必然である。
お金の問題より何よりも、1000日以内に100階層をクリアしなければならないのに、今日1日かけて2階層で迷っていた事など忘れていた。
「よし、明日は辞表を出そう。引き留められるかもしれないが……世界のためだ涙を呑んでもらうしかないな。なるべく早く……2週間後から有休消化してだな」
何やら決意を固めた模様のおっさん、取り敢えずはと部屋に戻りシャワーを浴び食事まで済ませたところで考えた。
「魔法を打っ放すと気絶してしまうが、部屋では不味い……あっ、ベッドをダンジョン入口に置いておけばいいのか」
打っ放すどころか指先をほんの少し湿らせただけなのだが、凄いことに気が着いたと言わんばかりにベッドをダンジョン内入口へと移動させたおっさん、そしていそいそとベッドの上に座り込み、腕を突き出した。
「アクアブォォォォォリュゥゥゥゥ」
バタンッ
案の定気絶した。
これはおっさんも理解していたが、手のひらからコップ1杯ほどの水がベッドに染み込んだだけだった事は知らなかった。
どうやら成長はしていたようだーー戦闘に使えるかどうかは別として。
翌日おっさんが起床したのは9時だった。昨夜無駄に水魔法の事に張り切った事により、目覚ましをかけるのを忘れていた。会社の始業時間は9時ーーつまり遅刻である。
会社に到着したのは10時だった、大遅刻である。あまりにも慌てすぎた為に電話連絡する事など抜け落ちていたが、遅刻しているにも関わらず自宅で退職届をPCに打ち込んでいた。
「おはようございます」
「大磯先生はさすがですね〜、さすがの営業成績ぶっちぎりのナンバーワン」
ビルの一室に居を構える勤務先である職場に入り挨拶をすると、嫌味ったらしくかつての同僚で今は上司がイヤミを言ったーーが、おっさんは全く気にしていなかった、頭にあるのは退職の事ばかりである。
「えっとこれを……退職します」
「はっ?何言ってるの?遅刻してきたと思ったら退職って正気?」
「ええ、本気です」
おっさんの突然の退職宣言に周りにいた同僚達は固まり、視線はおっさんと上司に向けられる。
「いや、あのさあ……お前みたいなのがここ辞めて他で雇って貰えるとでも?それとも宝くじでも当たった?」
「他で働くのでも、宝くじが当たったわけでもないですが」
「じゃあ何?もしかして自分の不出来さに絶望して死ぬの?」
「いえ」
「じゃあ何?」
フロアにいる誰もが答えを待っていた。
「世界をちょっと救わなければならなくなりまして」
おっさんから出てきた言葉に固まった、何人かは口を開けっ放しだった。
「……世界を救う?」
「ええ」
「えっと……」
上司は周りの社員に助けを求めるように目を向けたがーー誰もが目を逸らした。
「いつまで働けばいいです?早ければ早いほどありがたいんですが」
「あっ……えっともし宜しければ今日この時をもってでも……」
「いいんですか?」
「あっはい、セカイヲスクウノナラシカタナイデスネ」
「分かりました、有休などは」
「その辺は人事と話して下さい」
あまりにもな発言に普段は傍若無人の上司も敬語に変わっていた。
完全に怯えきっていた。
他の社員はひそひそと話していた、「遂に狂った」「気がふれた」「可哀想に」など。どこからどう見ても良くて凡人が突然「世界を救う」など尊大な事を突然言い出したら、頭の中身を疑ってしまうのは当然である。
おっさんの耳にそれは聞こえていたーー聞こえてはいたが聞こえていなかった。引き止められ理由をアレコレ聞いてくると思っていたのに、まさかの即了承の上に引き継ぎもなく本日退社とは予想だにしていなかったのだ……驚きと喜びの狭間で揺れていた。
人事に移動して退職日の調整を行うのだが、おっさんの予定と違ったのは思っていたよりも有休数が少なかった事くらいで、簡単に決まった。
その間、なんとかショックから立ち直った同僚社員が隠された理由があるのではと探りをいれていたが、最終的には優しい目になっていた、生きて欲しいと願うまでになっていたーー何を聞いてもドヤ顔で「世界を救う」とか「冒険者になる」しか言わないおっさんと相対したらそうなるのも致し方ない。
自分の与えられたデスクから空き箱に私物をいそいそと詰め、オフィスから出る時一礼をして去っていったおっさん。直後オフィス内では「なんだあれ?」「大丈夫か?」「インタビューされるのも近い」「やべーだろ」「いいのかこのまま1人帰して」「駅で殺傷事件起こすかもしれんぞ」などと口々に一斉に噂した。
「私が後をついて行って見張ってみます」
1人の新入社員の女性がそんな中、手を挙げた。
それに対して社員達はそれぞれ止めた、「危ない」「何かあったら困る」などだ。だが女性の意思は固く「いざとなったら逃げるし、私は意外にすばしっこい」等と言い、手元にあったバッグを持ち追いかけて行った。
「大磯さんっ!」
ビルを出たところで後ろから声を掛けられたおっさんが振り向くと、そこには新入社員の女性がいた。
「どうしました?」
「半年間ですけど、色々ありがとうございました」
「いえ、大した事はしていないので」
「そんな事ないです!大磯さんが居てくれたおかげで私は何とかやっていけているんです」
女性が追いかけてきたのは、おっさんが犯罪を犯すかどうか確かめる為に来たのではなく、お礼を言うためだった。おっさんは否定しているが、事実彼女が入社して間もない頃には営業のイロハを教えたり、自らの数少ない顧客を紹介し譲ったりしていたのだ。
「これからどうされるんですか?」
女性は先程社内で「世界を救う」云々は冗談だと思っていた。あの何でも人をバカにしてくるような輩達には言いたくない事情を隠しているのだと。そして2人しか居ない今ならきっと答えてくれるだろうと思ったのだ。
「いや……だか……」
おっさんは「いや、だから世界を救うんだよ」と言葉を続けようとして止めた。女性の顔に心配するような表情が見て取れたのだ。そこで伝える事にした。
「うん、実は家の押し入れ……」
真実を告げようとした途端、どうやっても言葉が出てこない。
「押し入れがどうしたんですか?」
「押し入れが……」
やはり言葉が出てこない。
ここでおっさんは思い出した。仕様書の中に口外を禁ずるとあった事を。
「いや、色々あって仕事を辞めなくてはならなくなったんだ」
「えっ?さっきの押し入れっていうのは……」
「えっと……忘れて」
「えっと……はい」
困った顔のおっさんを見て、女性も頷くしかなかった、納得は出来ないが。
「あの、いつか話して貰えますか?」
「あ、うん、話せる日が来たら」
「また相談の電話とかしてもいいですか?」
「俺でいいなら」
「じゃあまた電話しますね、大磯さんお元気で!」
「君も無理せず頑張って」
にこやかに元気に告げると新入社員は来た道を戻っていった。その後ろ姿を見ておっさんも決意を新たにしていた。「あの子の未来も守らなきゃな」なんて小さく呟きながらーー頭の中ではもしかしてモテ期到来、ヒーローのオーラが出てしまっていたのか?等と1人にやけていた。
その姿を見た通行人がおっさんを避けて通り過ぎている事に気付いてもいないおっさんであった。
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