おっさんのダンジョン無双夢物語
マニアックパンダ
プロローグーーおっさん世界のヘイトを集める
その日世界に衝撃が走った。
その日世界の人々は何度もその日がエイプリルフールではないかと疑った。
それほどまでに衝撃的な出来事だったのだ。
2021年9月15日日曜日、東京では公式マラソン大会が開催された。この大会はあらゆる人が登録さえすれば参加可能である。一般人は登録し抽選に当たれば男女各80名、プロ選手は招待選手を含め20名が参加していた。上位に入賞すればその国において世界大会への代表に選ばれる事もある、更に賞金も出る。
午前10時、まずは女子選手が一斉にスタート。その1時間後男子選手がスタートした。当然の事ながら、マスコミ各社も街道で見守る人々も、テレビの前の視聴者もどこの国のプロ選手が上位に入るか期待して見守っていた。
だがその予想は見事に裏切られる。
見たことも無い太っちょの中年が先頭を爆走していたのだ。
1kmまでは誰もが笑ってみていた。中継アナウンサーも微笑ましく見ていた。「記念出場の思い出作りですかね~」なんて言っていた。
5kmを超え、本来の1位であるプロ男子選手との差が大きく開き始めた頃から声に戸惑いが増え始めた。
先頭を走る白バイ隊員はサイドミラーを見る自分の目を疑った。サングラスをずらし目を擦り何度確認しても、そこに映るのはあらゆる贅肉をたぷんたぷんと揺らす中年男だった。しかも想定タイムよりも早いスピードで迫ってくるのだ。警察入隊前より憧れたマラソン先導白バイ隊員という憧れの仕事を任されたという喜びはいつの間にか去り、ただただ恐怖を感じスロットルを握る。
同じく先頭を中継するカメラマンも顔を大きく顰めていた。無駄なものを全て削ぎ落とし、人体には過酷な距離を走り続けるアスリート達を映すつもりでいた、これまではそうだった。だか今は贅肉の塊ともいえる物体を映さざるを得ないのだ。彼もまたスタート当初は笑っていた、距離が進むにつれ首を捻り、何かのトラブルで他の選手が走れないのかと疑い何度も局に連絡したりしていたが、これが現実であることを知ると黙り込んだ……その目は虚ろになっていた。
給水所ではペットボトルをいくつも手に取り水を浴びるように飲むおっさん。
時折思い出したかのように身体を捻りったり、腕をぐるぐる回したりするおっさん。
キョロキョロと辺りを回しながらニヤつくおっさん。
その姿をテレビ前で笑う者、不快そうに顔を顰めるもの、興味深げに見つめる者ーー様々な人々がいた。
SNSでは東京マラソンがトレンド入りし大いに盛り上がっていた。それは天空のお城で少年少女が滅びの言葉を共に告げる時以上だった。
中継放送を担っていたテレビ局でも、当初は戸惑い疑い首を傾げていたが、時間が経つにつれそれは笑顔に変わり盛り上がっていた。なぜなら開局以来の最高視聴率を更新し続けているのだ。
そしてそのままおっさんはゴールした、男子選手を大きく大きく引き離して。
ゴールした瞬間、あるはずのコールはなかった……何故ならそのタイムがこれまでの世界記録を30分も短くしていたのだ。計測器の異常を疑う者もいたが、女子選手が通常のタイムでゴールしていた為に声を飲み込む事しか出来なかった。テレビ前ではドーピングを疑う者が多かったが、あのでっぷりした身体にドーピングしたところでここまでの記録を出せるのかと、誰もが首を捻った。異世界から帰ってきた説やサイボーグ説などのとんでも理論が当たり前に出てくるほどだった。
当のおっさんはというと、スタート直後から余裕を持って気分よく走っていた。周りの事なんて一切気にせず、気になるのは脚を進める度に揺れる腹の肉と流れ落ちる汗だけだった。
途中周りに他選手がいないことで、ちょっと飛び出し過ぎたか?等と思ったが、しばらくすると前に選手が走っている事に気付き安心しペースは一切落とさない。前方の選手達が1時間前に走り出した事などすっかり忘れていた。
異変に気付いたのは国立競技場に入った時だった。それまでは歓声が聞こえていたはずであるのに、おっさんがトラックに進入した途端歓声が止んだのだ。周りをキョロキョロと見回し首を捻るか、答えは見つからない。そのままおっさんはゴールテープを切る。
誰もが言葉を発する事無くその場に不似合いなおっさんを見つめる中、本人は大変満足していた。周りの空気感は不可思議なものだが、生涯初めてのフルマラソン参加をし、更に完走出来たことに。
静寂を破ったのは仕事としてきているアナウンサーとカメラマンだった。恐る恐るおっさんに近付きインタビューを試みる。
「……おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
おっさんは照れた。
テレビ等でよく見かける綺麗なアナウンサーに話しかけられてドキドキしまくっていた。心拍数はマラソン中より跳ね上がっている。自分の異常さを理解していなかったため、「おめでとうございます」との言葉に『選手全てに声をかけるなんて大変だな〜』なんて感心していた。
「並み居る強豪選手を引き離してのゴールですね」
「えっ?引き離して?私の前にも沢山選手走ってましたよ?」
「……それは女子選手では?」
「あぁ、確かに女性が多かったですね」
「……女子選手は男子選手より1時間前にスタートしたんですよ?」
「へーそうな……で……すね」
「ええ、ワールドレコードを30分も短縮してのゴールですよ!」
「……30分」
ようやく事態に気がついたおっさん。
自分がやらかしてしまった事に先程まで感じていた熱気は一気に去り、冷や汗をかきはじめていた。
「凄いですよ!私今凄い瞬間に立ち会ってるんです!」
興奮した表情で迫り声をかけてくるアナウンサーにおっさんはたじろぐ。
「凄い!凄いです!」
男なら 誰もが憧れる女子アナが顔を上気させ、上目遣いで褒めたたえる。それに伴い競技場内の観客も少しづつ歓声をあげはじめた。
その状況に一気に気を良くしたおっさん。自分がやらかしてしまった事なんてすっかり忘れた。
「ちょっとは痩せましたかね」
自らの腹をたぷんたぷんと手で叩きながら笑った。
「いやー東京観光とダイエットを兼ねて走ったんですけど……少しは痩せてるといいなー」
「…………ダ……イ……エット?」
おっさんの言葉に目の前の女子アナはもちろん観客は凍りついた。
「いや、1人で走るのとか辛いじゃないですか?他の人がいれば気も紛れるかなーなんてハハハハハ」
再び訪れた静寂に焦り、更に要らぬことを呟くおっさん。
「……はっ?」
「適度に運動してるはずなんですけどなかなか痩せなくて……気分転換がてら申し込んだんですけど運良く当たって良かったですよ~」
「……はぁっ?ダ……ダイエット気分でワールドレコードです……か」
おっさんの言葉に誰もが固まった。
「じょ、冗談ですよね?さすがに……」
「………」
「…………」
「もももももももちろんじょじょじょ冗談ですよハハハハハ」
「ハハハハハ」
乾いた笑いだけが静寂に包まれた競技場内にこだまする。
その時、本来であれば1位であるはずの男子選手がゴールした。
彼は戸惑いと怒りと喜びに溢れていた。
戸惑いとは、観客が一切盛り上がっていなかった為だ。
怒りとは、ゴールテープが用意されていなかったのだ1位でゴールしたはずなのに。
喜びとは自ら時間掲示板を確認し、これまでのワールドレコードを1分短縮していた事だった。
彼はおっさんの事なんて気にしていなかった、それどころか存在事態を忘れていた。スタート直後ありえないスピードで走っていくおっさんがいた事は知っていたが、長年の経験則から考えて、何より体型を見て記念出場で直ぐにリタイアしているだろうと思っていたのだ。
惚け固まっている係員を問い詰め問いただし……今起きている事態を知り固まった。
静寂を破ったのはまたしてもおっさんだった。
「あのーお腹も空いたし、シャワー浴びたいし、せっかくなので東京観光もしたいので帰っていいですか?」
「……はっ?ちょ、ちょっと待ってください!まだ表彰式もありますし、それに賞金も出るんですよ!?」
「えっ?お金貰えるんですか?」
「あっはい……1位は300万円ですが」
「そんなに貰えるんですか?いやーダイエット出来た上に短時間でそんなに貰えるなんてありがたいですね~!」
「「「「「ふざけるな~!!」」」」」
思いもよらぬ金額に驚いたおっさん、ついまた余計な事を言い放った。
真剣に競技に取り組んでいる選手や関係者はもちろんの事、呆然としていた観客もがついに声をあげた。「デブふざけんな」「死ね」「痩せてねーよ」「ハゲー」様々な怒号と罵声が鳴り響く。
あまりの怒号におっさんはビビった。ビビりまくった。
「ま、まだハゲてないし!」
おっさん、必死に言い返しその場から逃げ出した。
先程フルマラソンを終えたとは思えないスピードで走り去るおっさんの後ろ姿を呆然と見送る大会関係者。表彰式や賞金の話をしなければと我に帰った時には既におっさんの姿はどこにもなかった。
そしてまた訪れる静寂……
そこに残ったのは衝撃だけだった。
止まった刻が動き出したのは、更なる衝撃だった。
<地球に住む者どもよ、試練を与えよう>
誰とも知らぬ声が世界中全ての人間の頭の中に響いた。そして続く言葉は更なる衝撃を与えた。
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