【書籍化】黒鳥姫は箱庭から出たくない

高見 雛

プロローグ

プロローグ

 四方からただようバラの香りにむせ返りそうになりながら、ドリスは小さな歩幅で庭園の中を駆けていた。左右に結い上げた長い黒髪が、ウサギの耳のように弾む。

「もういいかーい?」

「ま、まーだだよっ!」

 遠くから聞こえてくる男の子の声に、ドリスは慌てて隠れる場所を探す。

「もういいよー」

 どこかから、隠れ終えた別の男の子の声が聞こえてきた。

「わ、わたしはまだ……っ!」

(どうしよう、はやくかくれなくちゃ。また、わたしが鬼にされちゃう)

 自分の身の丈よりも高いバラの木々は迷路のように複雑に配置されており、王宮に住まう子どもたちにとっては格好の遊び場だ。

(セレストさまは、みつけるのがじょうずだから、きょうは、みつかりにくいところにかくれよう)

 絶対に見つからないところを探そうと、生い茂る緑と色とりどりの花で区切られた狭い道をちょこまかと駆けていく。途中、何度かつまずきながら、どんどん奥へ分け入った。

(ここまでくれば、きっとだいじょうぶ……)

 息を弾ませ、あたりを見渡すと、そこはドリスの知るバラ園ではなかった。

「あれ……?」

 周囲に広がっているのは、生命力に満ちあふれたみずみずしいバラの花ではなく、鬱蒼と茂る常緑樹だった。

 青い空を覆い隠す天井のように、もしくはドリスを閉じ込める鳥籠のように、陽光を遮る枝葉はゆるやかな弧を描きながら天高く伸びている。

 迷子になった、と気づいた途端、小さな胸がどくどくと鳴りだした。

(どうしよう……)

 空を見上げてぐるぐると回っているうちに、どこから来たのかもわからなくなってしまう。

(魔法……、こういうときは、どんな魔法をつかったらいいの……?)

 王宮での魔法学の講義が大好きで、この数カ月で覚えた魔法の種類は両手の指で足りないほどあるのに、頭が真っ白になって何も思いつかない。

 梢を揺らす風の音が獣の唸り声に聞こえ、大きく枝を広げる樹木は絵本で読んだお化けに見えてくる。ドリスは小さな身体を震わせ、ぎゅっと目を閉じた。

(わたし、たべられちゃうの……?)

 湿気を含んだ地面にしゃがみ込んだその時、背後から声が聞こえた。

「見つけた」

 鈴を転がしたような軽やかな声に、ドリスはゆっくりと振り返った。

 薄闇の中、小さな人影が浮かびあがる。

 六歳のドリスと同じくらいの年頃の女の子だった。腰まで波を打って流れる髪の色も、同じ漆黒をしている。瞳の色はライラックのような淡い紫色。

 喪服のような闇色のドレスに身を包んだ女の子は、幼いドリスでもどきっとするような、色香を含んだ微笑を浮かべていた。

「だれ……?」

 おそるおそる尋ねると、相手は小さな右手を掲げ、鷹揚な口調で言った。



「やっと見つけた。――黒鳥姫こくちょうひめの器」

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