第105話 魔術と話術は近しいもの

 そろそろ肌寒くなってくる季節の朝のこと。朝起きたら天パが更に悪化している先輩を見るのも日常風景になり、個人個人の私物どころか西条さんの私物まで部屋の中に増えてきた。暖かい味噌汁を作っていると匂いに釣られたかのように西条さんがやってきて、眠りこけている先輩を叩き起こす。


 朝から運動することになるので基本は軽めに作り、冷めた身体を暖めるべく、なるべくできたての朝ごはんを振る舞う。そうしていつものように滞りなく日々が過ぎようとしていたのだが……。


「ちょっと西条せんぱいっ、最後のやつ私が食べようとしてたのに!」


「馬鹿者。早い者勝ちだ」


 訓練が終わって一休みだというのに、部屋の中は騒がしい。暇な藪雨はひとりで部屋に遊びに来ることがままある。そして先程作った金鍔を巡って藪雨と西条さんがいつもの口喧嘩を始めたのだ。爪楊枝を口に入れたままほくそ笑む西条さんの憎たらしさと来たら……そりゃ、藪雨も怒りたくなるだろう。


「先輩、また始まりましたぜ」


「うーむ、これは……根じゃな?」


「は?」


 思案顔で訳の分からないことを言った先輩に対して思わず怒声を上げかけたが、手元にあるカフェオレで心を癒す。遠巻きから眺めている分には、あの二人の口喧嘩もかわいいもんだが……如何せん、ここは俺と先輩の共同部屋。別にメンバーの憩いの場というわけじゃない。というか、俺が憩えない。外でやって、どうぞ。


「あぁもうあったまきたッ!! その眼鏡ペシャンコにして焼き入れてやるぅ!!」


「年上になんたる口の利き方か。義務教育からやり直せ」


「ヌッ! クッ! フッ! ゥ゛ウ゛ウ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!! ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」


 藪雨がブチ切れ、とうとう女の子が出してはいけないような声を出し始めた。いや、元ネタの先輩は女の子だったはず。となれば藪雨が言うのも違和感はない……?


 目力先輩と化した後輩。つまり先輩は後輩であり、後輩が女の子なので先輩も女の子。QED終了。学会に報告しよう。


「この部屋にいる人どんどん語録の沼にハマっていってません?」


「堕ちたな……」


「女の子は語録NGじゃないんすかねぇ……」


「野獣先輩は女の子だろいい加減にしろ!!」


「個人的にオシリスの天空竜説を推したいです」


 まぁ、どうでもいいことだ。ヒートアップしてきている二人を尻目に先輩と会話していると、ふと何かを思いついたのか手招きをし、ちょっと部屋の外へ行こうぜと連れ出された。部屋の中からは二人の口論が聞こえてくる。ちゃんと防音対策してあるはずなんですが、それは。


 しかしなんだって先輩は俺を連れ出したのだろう。不思議に思って見つめてみるが、先輩はニヤニヤとした顔を隠そうともせずに口を開いた。


「氷兎、俺にいい考えがある」


「当てにならなそう」


「まぁ聞け。西条と藪雨は確かに仲違いしやすい。しかしそれはある種の同族嫌悪というか……似たもの同士なんだ。境遇を知ってる俺たちからしたらな」


 先輩の言い分は確かにわかる。西条さんも、藪雨も。互いに他者を信用できなくなって壁を作っていた。その壁が今は取っ払われているが……藪雨の作られた笑顔を西条さんは嫌い、また西条さんの他者に対する不器用なコミュニケーションを藪雨は嫌う。同族嫌悪とまではいかなくとも、似通った部分を感じてしまっているんだろう。それこそ、磁石の同極が反発しあうように。


「というわけで……俺は作戦を考えました。題して、『なんで嫌いなはずなのに、こんなに気になるの……?』大作戦だ!!」


「あ ほ く さ」


「藪雨のマイナスと西条のマイナスを掛け合わせ、プラスに転換してしまおうというこの発想。嫌な奴と嫌な奴を掛け合わせれば総じて残されるものはプラスになる」


18782嫌な奴18782嫌な奴足したら37564皆殺しになるって知ってます?」


「掛け算だから。西×藪だから」


「それは草」


 こうしていつもの先輩によるアホみたいな作戦は実行されることとなり、裏で秘密裏に準備を進めていくこととなる。バレた時に西条さんに首を飛ばされないか、ちょっとだけ怖かった。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




「……藪雨のことが嫌いなのか、だと?」


 いつもの部屋に、いつもの三人。藪雨がいないので、俺は率直に西条さんに尋ねてみた。彼は顎に手を当てて、しばらく思考の海に潜る。ふむっ、と喉を鳴らすような声を出した西条さんの結論は……。


「嫌いだな」


「バッサリいきましたねぇ」


「あの仮面がどうにも癪に障る。それと、男を手球に取ろうとするあの態度も気に食わん」


「禿同」


 うんうん、と先輩は頷いている。いないところでボロクソに言われている藪雨だが、仕方がないことだ。俺でさえ時折甘々な声で近寄られて、うわなにこいつウッザって素で思うほどに藪雨は俺たちの神経を逆撫でる。


 まぁ、俺の事は置いておいて……カフェオレで喉を潤わせたあと、西条さんにひとつ提案をする。


「西条さん、藪雨にちょいと一泡吹かせてやりたいと思いませんか?」


「なんだ、藪から棒に」


「いやあの野郎部屋に来る頻度が西条さんに次いで多いんで、しかも棚のお菓子勝手に食うわで食費がですね……」


「それは……まぁ、なんだ。ご愁傷さまと言っておこう」


 嘘は言ってない。この事実が発覚した時、どれほど脳内にいる藪雨に向けてデスソースをぶん投げたことか。液体ではなく瓶ごとぶん投げてやりたくなる衝動に駆られること数度、俺は先輩にデスソースを与えることでストレスを発散していた。


 このままでは先輩の身体が危ない。なので早急にこの事態をどうにかしなくてはならないのだ。


「と、いう訳でですね……今度藪雨を含めた女性陣を引き連れて、ドリームランドに行こうと思ってるんですよ。そこで、日頃からの感謝の印として皆にプレゼントを渡すということを考えまして……藪雨のプレゼントを、西条さんに選んで買ってきてもらおうかと」


「……俺が?」


「はい。ついでに藪雨にプレゼントを渡す役もお願いします」


「いや、俺にはそういった経験がないのだが……。しかしそれのどこが奴に一泡吹かせることになる?」


「西条さんからのプレゼントとか、藪雨は顔を歪めるに決まってるでしょう」


 まるでそれが至極真っ当で、当然の事のように俺は言う。西条さんは唸りつつも、嫌がりはしなかった。本人も一泡吹かせてやりたいとは思っているんだろう。


 もちろん俺も思っている。洗い物の最中に次々と新しい皿を出してお菓子を貪ったり、楽しみにしていた羊羹を勝手に食われたりと、かなりの被害を被っているのだから。絶対許早苗。


「……まぁ、よかろう。しかし普通の物を買っては一泡吹かせようにも吹かせられんな」


「えぇ、そうでしょう。しかしご安心を。色恋にまったく縁のなかった西条さんのために、わたくし今回は特別に調べて参りました」


「ほう……?」


 まるで通販番組みたいだ。けれど西条さんの眼鏡の奥にある鋭い目がキラリと光る。西条さんは乗り気だ。内心ほくそ笑んでいるのをバレないようにしつつ、俺は藪雨に買うべきプレゼントを伝えた。


「ズバリ、櫛ですね」


「櫛……だと?」


「えぇ、髪を梳かすあの櫛です」


 カバンの中から菜沙の髪の毛梳かす用の薄緑の櫛を取り出して、西条さんに見せながら説明する。


 曰く、クシとは苦と死が入ることから、贈り物としては少々敬遠されるものだ。しかしながら、櫛とは女性にとっては必需品。朝起きて髪の毛をセッティングするのも、風呂上がりに髪の毛を乾かしながら梳かすのも、櫛は必須だ。男なら真っ黒で梳かせるのならなんでもいいと思うかもしれないが、女性なら少しは気を遣うだろう。


 それに、普段使いしやすいものを贈り物として贈られるのはそれなりに嬉しいものだ。その敬遠されるべき物を贈られることと、けれども使い勝手が良いという狭間で葛藤し、更には贈られた相手が西条さん。これには流石に藪雨もぐぬぬっ……となるに違いない。


「なるほど……なかなか直接的にではないものの、しっかりと考えられた作戦だ」


「どんなものを買うのかは任せますよ。綺麗なものを買って、悔しがらせるのもよし。骨董品のようなものを買って、反応を楽しむのもよし。西条さんの気の向くままに、どうぞ。あっ、ただし通販はNG。箱置いてあったら藪雨にバレます」


「俺に足で直接買ってこい、とな」


 面倒くさがるかと思っていたが、西条さんはどうやらそうは思っていない様子。作戦成功だ、と心の中でニヤリと笑った。隣を見れば先輩が、はぇー、すっごい……とでも言いたげな顔で俺のことを見つめている。よせやい照れるだろう……。


 ……ケツに悪寒がする。言葉の意味は全くわからないが、ともかくケツに悪寒がする。俺はそっと先輩から目を逸らした。


「……わかった。では買ってくるとしよう。お前達はどうする?」


「俺は他の連中誘ってきますよ。あと、昼からお料理教室開いてきます」


「えっ、なにそれは。お前いつの間にそんなものを?」


「わりと女性から人気です。少なからず男性もいますよ。俺と菜沙で、桜華に料理を教えるついでに他の人にも教えてたら、いつの間にかお料理教室になってました」


「うーん、この対人コミュ力……」


「来れないというのはわかった。仕方あるまい、たまには一人で買い物というのもいいだろう」


 西条さんは立ち上がると、自分の荷物を持って部屋から出ていく。そっと扉を開けて、西条さんが遠くに消えていくのを見届けた後で……俺と先輩は大きなため息をついてソファに身体を預けた。


 先輩命名の『嫌いなはずなのに、どうしてこんなに気になるの……?』大作戦の準備はこれにて整った。ひとまず安心である。隣で特に何もしていないのに、マジ疲れたーとか言っている先輩は、笑いながら俺の事を褒めてくる。


「いやー、流石だわー。俺じゃ西条のことあんなに易々と丸め込める自信ない」


「俺だって冷や汗もんですよ。成功してよかったです」


 人を騙すためには、まずそれが本当に正しいのだと思い込ませなくてはならない。そのためには、自分がそれを正しいのだと思い込むことから大切になってくる。自分の発言を信じて疑わなければ、相手もそうなのかもしれない、と心を揺さぶられる。数々の事件を乗り越えて、会話による情報収集と心理戦、騙し合いの経験値はかなり高まったと思う。


 まったく、このままじゃ詐欺師にでもなってしまうんじゃないか。今なら巧妙な手口で藪雨に高い壺を買わせることができそうな気がする。


「それにしても、本当に櫛で良かったのか? 藪雨の奴、悲しがるんじゃね?」


「なーに言ってんですか、先輩」


 どこか心配そうな顔をしている先輩に、俺は口元を浅く歪めて嘲笑する。


藪雨あの馬鹿が櫛にまつわる話なんて知ってるわけないじゃないですか」


「……お主も悪よのぅ」


 互いに黒い笑みを浮かべて、ハイタッチ。次いでロータッチからの腕を交差。まさしく俺たちの大勝利である。


 あとは……藪雨と西条さんがこう、いい感じになってくれれば……。


「……最後の問題が超難関っすねぇ」


「西条に関するクエストの難易度は最上級だなぁ……」


 ……そろそろ雪が降る季節にでもなったか。ドリームランドに行く日に雪降られちゃ困るんで、先輩はしばらく黙っていてもらいたいものだ。


 先輩から視線を背けて、カフェオレを一口。なんとまぁ、温くなってしまっていた。これはいけない。先輩は温かいものが好きなのに。仕方がないから、芯から暖まれるように、そっとデスソースを加えておく。俺はなんて優しい後輩なんだろう。





To be continued……

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