第37話 変ボウ



 ───ほら、見てみなよヒト。私達の子だよ。



 目の前にいる存在は、母性なんてものを一欠片も感じさせない瞳で、その両腕に収まっている少女の頭を撫でた。可愛らしい、女の子だ。顔の輪郭はコイツに似てる。でも、肌の色は普通だ。そして姿形も……人型だ。普通の可愛らしい女の子になるだろう。その事実に、俺は安堵した。


 ……しかし、如何せん致してから産まれるまでが早い。それに、成長も。



 ───なんだろなぁ。思ってたのと違う。もっとこう、私に似たモノが産まれると思ってたんだけどね。つまらないなぁ……。



 目が細められ、撫でていた手はいつの間にか幼い子の肌を引っ掻くように爪が立てられている。咄嗟にコイツを弾き飛ばし、子供をひったくる様に奪った。幸いにも、傷にはなってなかった。


 俺の腕の中で、赤ん坊は泣いた。



 ───お父さんにでもなった気なの? へぇ、君ってそんな顔もするんだね。



 黙れ。静かに声を発し、俺は子を守るように抱きかかえ、無意味とわかっていても距離をとった。


 やはりまともじゃない。アンタは異常だ。


 そう言うと、アイツは嘲笑わらいながら俺の前に移動して来た。そして、その両腕を伸ばして俺の頬に触れてくる。



 ───異常なのは、私も君も一緒だよ。ねぇ、ヒト……? そんなの放って置いて、こっちに来て一緒にヒトを見ていよう。



 お断りだ。俺は身じろぎして奴の両腕から離れる。すると、アイツは少しだけ不機嫌そうに眉をひそめた。そしてその真っ赤な口を開く。



 ───こんなつまらない結果なら、作らなくても良かったか。だって君は私に着いてきてくれないしね? いっそのこと………。






 ───……殺してしまおうか。



 俺は片手で子を抱え、もう片手で刀を手に取った。切っ先を奴に向け、出来る限りの補助魔術の詠唱を唱える。


 そんな俺の様子を見たアイツは……興味を失ったかのように、どこか別の方を向いて消えていった。残された俺は、緊張が一気に解け、その場に座り込んだ。赤ん坊は、まだ泣いている。


 ……アイツに子供は任せておけない。もう少し、大きくなったら………。


 ………どうか、幸せに。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 ……暑苦しい。そう思って俺は布団から起き上がった。何か嫌なものを見た気がする。悪夢か。起きた途端内容はすっかり消えてしまったが、寝る前に聞いた悲鳴のようなものが原因だろうか。少なくともゆっくりと休める状況じゃないことは確かだった。


 隣の布団で眠っている七草さんは、恐怖なんて微塵も感じていないようで、幸せそうに寝息を立てている。一方先輩の方は……なんだかデスソースがどうのと魘されていた。目覚まし代わりにかけてやろうか。


「……最近、悪夢は見なかったんだがな」


 ボソリと呟いた。忘れてるだけなのかもしれないが、俺が見る夢は基本的には異世界冒険ファンタジーだ。剣や魔法で戦って、お姫様を助ける。そこにホラー要素なんて皆無な訳で。俺自身ホラーは苦手なんだがね。


「……にしても暑い。窓を開けるか」


 まだ少しだけ眠りたがる身体を動かして、窓をゆっくりと開ける。夏だが、田舎は風が心地よい。すっと部屋の中に入ってくる風のおかげで、少しだけ気分が爽やかになった。天気は晴れだ。洗濯物日和になりそうだと思う反面、熱中症にも気をつけなければと思う。


 朝食の時間はまだ早い。少しだけ散歩してこようか。先輩と七草さんが二人きりになってしまうが……先輩は七草さんに手は出さないだろう。起こさないように身支度を整えて、民宿の外に出た。


「じい様ばあ様は、起きるのが早いな。もう畑仕事に行くのか」


 外をぶらついていると、腰の曲がったお婆さんがゆっくりと歩いて畑に向かっていた。途中で向こうは俺に気がついたようで、手でちょいちょいっと、こっちに来いと仕草で伝えてきた。無視するわけにもいかないので、お婆さんの元へと向かう。


「どうも、おはようございます」


「おはよう、偉いねぇこんな早くに起きてて……。昨日来た人だっペ? 田舎は空気が美味しいっぺよ」


 特有の方言だろうか。お婆さんは優しそうに笑いながら話しかけてくる。言ってることは理解できる程度の訛りだ。会話に困るということは無い。もっと田舎の方に行けば……最早会話が困難になるレベルの方言が出てくるのだろうか。対話ができないと調査が厳しいからそんなところには行きたくないものだな。


「色々と調べてくださってるんだべ。助かるよぉ、うちの孫もまだちぃっこいから、危なっかしくてあまり外で遊ばせたくないんだわ」


「お気持ちはわかりますよ。早めに解決できるよう頑張りますので、お力を貸していただきたい」


「こんな老婆でよければねぇ」


 カッカッカッ、と笑いながら、お婆さんは歩いて立ち去っていく。誰かの家の角を曲がり、姿が見えなくなるまで俺はその場で立っていた。特に何もすることがないので、その場から歩いてどこか別の場所でも見て回ろうか、と思っていたその時だった。



 ──────ッ!?



 悲鳴が聞こえた。しかも、この声は………。


「お婆さん!?」


 聞こえた声は、間違いなくさっきまで話していたお婆さんだった。すぐさま悲鳴が聞こえた方へと走っていき、お婆さんが曲がっていった家の角を曲がると、少しだけ陽の角度のせいか暗がりになっている場所があった。


「お婆さん、大丈夫か!!」


 お婆さんに向かって呼びかけながら、ゆっくりとその暗がりに近づいていく。だが、ダメだ。暗くてよく見えない。仕方が無いのでポケットから携帯を取り出してライトを点けた。暗がりがライトの発する光で照らし出されていく……。


「………ッ!? こ、れは……」


 光で照らし出されたのは……飛び散った血液。おそらくお婆さんであったモノの肉片。それらがその暗がりにあった。あまりの光景に思わず携帯を落としそうになり、そのままその場からゆっくりと後ずさって離れていく。


 心臓が飛び出そうなくらい暴れていた。一刻も早くここから離れよう。武器もない、仲間もいない。しかも日中だ。俺では何かあっても勝てない。


 周りを警戒しながら、とにかく助けを呼ぼうと来た道を戻ろうとした時だ。


「……おや、どうしたんだい。まだ儂に用があったのかえ?」


「なっ───」


 聞こえるはずのない声が聞こえた。咄嗟に振り向くと、そこには何食わぬ顔で立っているお婆さんがいた。さっき話していたのと同じ、腰は曲がり優しそうな顔で話しかけてくるあのお婆さんだった。


 声が詰まってしまって何も受け答えできない。頭は何か回線が壊れたかのように、必死に現状をどうにか理解しようと無茶苦茶な回路で繋ぎ合わせていった。数秒の沈黙の間が流れ、ようやく俺は口を開くことが出来た。喉の奥から、震えた声が出てくる。


「お、お婆さん……貴方、さっき……」


「何かあったかえ。それにしても、儂はどうしてこんな所に……あぁ思い出した。畑に行くんだった。それじゃ、儂は行くよ」


 お婆さんは少しだけふらふらとしながら道を歩いていく。俺はその場から駆け出して、先程の暗がりの部分に戻ってきた。ライトを点け、その暗がりを照らし出す。


 ……だが。


「……何も、ない……?」


 綺麗さっぱり、そこには何もなかった。血の跡も、匂いも。何もそこには残っていなかった。


 いや、そもそもここに何かあったのだろうか。


 見間違えではなかったのか。疲れて幻聴が聞こえたのではなかろうか。


 そうだ、きっとそうだろう。そうに違いない。混乱した頭は、無理やりこの不可思議な現象を思考させないように終わらせようとしていた。


 だが、俺の頭の中はある一点を見ただけで凍りつき、また正常に稼働し始めた。


「……血が、少しだけ残ってる」


 家の垣根に少しだけ、ほんの少しだけ赤いものがポツリと付いていた。いや、それはもしかしたら別のものだったのかもしれない。赤いインクがついていただけだったのかもしれない。もしかしたら他の小動物のものだったのかもしれない。


 けど、けれど……俺にはそれが、あのお婆さんが流したものだとしか思えなかった。


「うっ……ぇ……」


 少しだけ嘔吐えずいてしまった。危険だとわかっていても、その場で座り込んで胃の中身が落ち着くまで待つしかなかった。気持ち悪い。とてもじゃないが……あんな光景を見てしまっては、最早正気ではいられなかった。


 俺は幻覚を見ていたのではなかろうか。そう思いたいものだ。吐き気がある程度収まると、俺はその場から逃げ出した。せめて、誰か安心できる人の傍にいたかった。


 ……菜沙の声が、聞きたくなってきた。



To be continued……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る