第27話 夏休みの予定

 ───ずっと、ずっと待ってたよ……。


 背中で項垂れている彼女は、そう言っていた。


 ───迎えに、来てくれるって……信じてた。


 だんだんと、彼女の呼吸が浅くなっていくのがわかった。俺はただ、彼女を背負って走っていた。あと少しで、外に出られる。そこまで行ってしまえば、逃げ切れる。


 ───ごめんね……私、貴方の隣に……。


 必死に彼女の名前を呼んだ。けど、その声は大勢の怒声によって掻き消されてしまう。隣で一緒に戦っている先輩は、銃弾をバラまいて襲いかかる人々を殺していた。


 ───……大好き、だよ……ずっと……昔、から……。


 


 呼吸が止まった。


 信じたくないと叫んだ。起きてくれと嘆いた。


 ……彼女の温もりが、段々消えていく。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 ……右腕の感覚がない。動かそうとしても動かない。薄らと目を開けると、最近ようやく見慣れた天井が見えた。右を向けば、幼馴染が幸せそうな顔で眠っている。


「……はぁ……」


 彼女を起こさないように、身体を起こした。部屋の香りが甘かった。少しだけゲンナリした気分になる。


 天在村での事件の後、帰ってきた俺に物凄い勢いで詰め寄って来た菜沙に、その日は一緒に寝ることを強要された。涙目で訴える彼女のその要求を、誰が断れようか。


「……6時半、か」


 ベッドから降りて、身体をぐっと伸ばした。身支度を整えて、冷蔵庫に向かう。中にあった食材を適当に取り出して彼女達の朝食を作り始めた。


「……ぅ……ひー、くん……」


 菜沙が眠たそうな顔で起き上がって、俺の元へと歩いてきた。連絡出来なかった二日間、まともに寝ることが出来なかったらしい。心配かけたと何度も謝ったが……いや、任務だし仕方なくないかと言うと、彼女の見た目からでは信じられないほどの怪力で抱きしめられて、危うく骨が折れるかと思った。


「ひーくん……ちゃんと、いるよね?」


「いるって。寝惚けてないで、顔洗いなよ」


「……うん」


 ……うん、とか言ってる割には洗面台に向かわず俺の身体に抱きついてくる。流石に寝惚け過ぎじゃないのかね。料理中に抱きつかれても困るんだけど……。顔を埋めるようにしている彼女から、少し震えたような声が聞こえてくる。


「……ひーくん。どこにも、行っちゃやだよ」


「仕事なんだけどな……。まぁ、暫くは任務もないだろうし、ゆっくり出来るだろうよ。お金も入ったから、今度どっか行くか?」


「……一緒なら、いいよ」


「なら、先輩とかも誘ってみるか。あの人外に出さないとそのうち苔が生えそうだしな」


 そう言ったら無言で背中を殴られた。だから料理中に妨害するなっての。危ないでしょうが。


「顔洗ったら、七草さん起こしてきて」


「……わかった」


 どこかムスッとしたまま、彼女は洗面台に向かっていった。そういえば、どこにも行っちゃやだと言われたが……なんだろう。何か変な夢を見たような気がする。何の夢だったかな……。


「……って、さっさと作り終わらなきゃな。これ終わったら部屋に戻って先輩の分の朝飯作らなきゃいけないし」


 誰か身の回りの世話できる人がもう1人くらい欲しいなぁ。普段なら菜沙が手伝ってくれるけど、疲れてるみたいだし。正直俺も疲れてるんだけどなぁ……。


 はぁ、っとため息をついていると、後ろの方で歩く音が聞こえてきた。料理の手を止めて振り返る。


「あっ、おはよう氷兎君。そういえば、私達の部屋で寝てたんだっけ」


「……っ、おはよう七草さん。もうすぐ出来るから、顔洗っておいで」


「うん。そういえば、氷兎君の作るご飯って美味しいんでしょ? 楽しみにしてるね!」


 そう言って、彼女は笑った。そして洗面台の方へと消えていく……。


「……っ、ぅぁ……」


 恥ずかしくなって顔を伏せた。チェックの寝間着に、少し寝ぼけた眼、そしていつもの屈託のない笑顔……。顔が熱い。どうしよう、本当に……。もうこの部屋で寝られない……。恥ずかしすぎる。


「……ひーくん」


「はい」


 背中から聞こえてきた底冷えするような声に、顔の熱さが一瞬で冷めた。なんで機嫌悪くなってるんですかねこの子。



 その後、朝食を一緒に食べる時に七草さんが笑顔で美味しいと言ってくれたことに対して、また顔が熱くなった。テーブルの反対側から、脛を菜沙に蹴られる。容赦ない一撃で、かなり痛かった。


「………」


「……なに、ひーくん?」


「いや……なんでもない」


 朝食を食べている菜沙をじっと見つめていたら、不思議そうな目で見られた。まぁそうなるか。でも……


「……….♪」


 俺が作った朝食を美味しそうに食べる彼女を見て、少しだけ心が安らいだ。本当に少しだけ……昔に戻ったような気がした。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 珈琲の香りが部屋に充満している。この匂いでようやく休めたような、そんな感じがした。ブラックで飲んでいる先輩は、ひたすら手持ちのゲームで遊んでいる。


「……部屋の中でイチャつくのはやめてくれないか」


 ゲームから目を離して、俺を一目見た先輩は忌々しそうにそう言った。俺の隣では、菜沙が肩に寄りかかるようにして休んでいる。そしてそれを少し離れたところで見ている七草さん。流石にこの部屋に四人も集まると狭く感じる。


「そう見えます? ただ単に寂しがってるだけですよ、この子は」


「その様を非リアに見せつけるのはなぁ、一種の拷問なんだよ……」


「……氷兎君、非リアってなに?」


「現実世界が充実していない、もしくは彼女がいない状態のことだな」


 不思議そうな目で尋ねてきた七草さんに対し、やはりどこかしら現代知識が抜け落ちているなと感じた。孤児院にいたせいだろうか。でも義務教育くらいは受けてると思うんだけどな……。


「……そういえばさっき話してたんですけど、今度どっかに遊びに行きませんか? 休暇をダラダラと過ごしてたら勿体無いですし」


「ヒッキーゲーマーの俺に夏なのに外に出ろとな? ハハッ、無理☆」


 語尾にキラットしたものをつけるほどまでに外に出るのが嫌らしい。まぁ確かに、こんな夏場のクソ暑い中外に出たくはないが……こんな地下空間でずっと過ごすのも何かと勿体無い。


「……暑いのが嫌なら、プールとか海とかどうですかね? 久々に泳ぎたい気分なんですよ」


「海なぁ……。美人がいるならともかく、あぁいう所ってウェーイ系の女の子しかいないだろ? 俺は気乗りしねぇなぁ……」


「すげぇ偏見だ」


「それにほら、行くっつったら七草ちゃんも高海ちゃんも来るんだろ? お前大丈夫なの?」


「何がですか」


 そう聞いたら、先輩は本人にバレないように七草さんを指差した。


「……水着だぞ?」


「……ッ」


 夏の日照りの中で、ビキニ姿の七草さんが遊んでいる景色を幻視した。今日何度目かわからない顔の熱さが込み上げてくる。先輩はそんな俺を見て口元を歪めていた。


「……いやもうむしろ行きましょう」


「お前もなんだかんだ男だな」


「海に行くの? バーベキューとか、アイスとか食べれる!?」


「あぁ〜……一式買いますか。だいぶお金入りましたしね」


「太っ腹だな。俺は金払わんぞ」


「マジですか」


 天在村での任務完遂のおかげで懐が暖かくなったものの、流石にバーベキューセット一式やら何やらを買うとなると中々に痛手だ。まぁ、買ってもいいかと思えるくらいに収入があったわけだけども。


 ……それに、七草さんがやってみたいというのなら、それでお金を使うのも悪くは無いだろう。


「……まぁ、百歩譲って行ってやるとしよう。しかし、俺肩身狭くないか。男女比トントンじゃなくて、男1女2対ボッチだからね」


「なら、加藤さんも誘いましょうか。あの人も暇でしょう」


「加藤さんか……」


 先輩がどこか遠くを見つめている。恐らく加藤さんの水着姿でも妄想しているんだろう。何しろ俺たちはまだまだ思春期真っ只中。疾風怒濤の時代である。女の子の水着が見れるとあっては、行かぬは損だろう。


「……行くか」


「じゃあ誘うの任せました。俺は買い物行きます」


「難易度高ぇよ……。二人に任せたらいいんじゃないのか」


「……七草さん、菜沙と一緒に加藤さん説得できる?」


「んー、多分? でも頑張ってみるよ!」


 胸の付近で両手をグッと握る七草さん。菜沙とは違う豊満なソレに目が惹き付けられそうになり、無理やりそらした。


「……じーっ」


 そらした先にあったのは菜沙の目。ごめんなさい仕方ないんです。俺だって男の子なんです。


「はぁもう……。海行くなら水着買わなきゃいかないかな」


「お前競泳水着で十分じゃない?」


「……ばかっ」


 顔を赤くした菜沙に頭を叩かれた。解せぬ。背丈ならともかく、その断崖絶壁に近い自己主張しなさすぎる陰キャラみたいな胸じゃ、ビキニはキツいだろ。背伸びした中学生みたいに見えそうだ。


「……やっぱり仲良いね、二人とも」


 どこか悲しそうに、七草さんは呟いていた。そんなに仲良さそうに見えるだろうか。


「……じゃあ、各自準備して……明々後日行くとするか」


 そんな雰囲気を察したのか、先輩が無理やりこの話を締めた。空気を読めるのか読めないのか……。不思議な人だ。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 天在村から帰ってきてすぐのこと。


 疲れやら何やらでボロボロの俺達は司令室に来ていた。天在村での事件の報告をするためだ。いつも通り碇ゲンドウスタイルの木原さんは、報告を聞き終わると満足そうに頷いた。


「ご苦労だった。無事に任務を終わらせて帰ってきたことを喜ばしく思うよ」


「今回の功績に関しては、唯野のものが大きく思われます。傍から見ていても、問題は無いと思います。訓練兵は卒業で良いかと」


「……そうだな。唯野、君はこれから一般兵だ。訓練スペースは勝手に使ってもいい。そして……これからは過酷な任務が多くなるだろう。平気か?」


 真剣な表情で尋ねる木原さんの言葉に、俺は力強く頷いた。それを見た木原さんも満足そうに頷き、組んでいた指を解いて楽な姿勢になった。


「さて……鈴華。これで彼を率いた任務は終わりだ。君のメンバーから唯野は外れることなる」


 その言葉に驚いたのは、俺と先輩の二人ともだった。これから先も長い間共に任務をこなすことになると思っていたからだ。この人となら、上手くやれると思っていたんだけど……。


「……言い方が悪かったか。鈴華、君はメンバーを変えることが出来る。どうする、まだ唯野と共に任務をこなすか?」


 その言葉を聞き、俺は横目で先輩を見た。先輩は、ただニヤリと笑いながら頷いて答える。


「勿論ですよ。むしろ……俺の仲間はこいつじゃないと務まりません」


 ……先輩の言葉に、身体が震えそうになった。先輩のその言葉だけで、嬉しさがこみ上げてくる。決意を新たに、俺は先輩と共に頑張っていこうと思った。


「わかった。これからも頼むぞ、二人とも」


「はいっす!」


「はい」


 二人で返事をし終えると、先輩が俺を見て歯を見せるくらいに笑いながら言った。


「なんだか……『相棒』みたいだな」


「……またそんな恥ずかしいことを。まぁ、あれです……貴方の『相棒』として恥じないように、努力しますよ」


 そう言い終えると、二人して笑い始めた。加藤さんも、どこか微笑みながら眺めているみたいだ。


 ……この人となら、仲良くやっていける。本当に心からそう思えた。


「……さて、笑うのはそこまでにしてだ。とりあえず報告書を書いてもらいたい。消費した物、現地で起こったこと、色々と詳しく書いて提出してほしい」


「……なんていうか、面倒くさそうですねソレ」


「私も毎回面倒だと思っているよ」


 首を竦めながら加藤さんが言った。木原さんから渡された紙には、本当に事細かな説明を要求するような内容が書かれていて、これをこれから書かなければならないと思うと少しだけ憂鬱な気分になった。


「……まぁ、二人で書けばすぐ終わりますかね先輩」


 先輩を見るように横を向けば、そこにはもう誰もいなかった。


「……君の『相棒』ならもう既に部屋から出ていったよ」


「せんぱぁーーい!?」


 俺の声だけが虚しく響いた。ちくしょうあの人面倒だからって逃げやがった!!


 結局その報告書は全部俺が書いた。次の日の先輩の朝ごはんにデスソースを混ぜることで鬱憤は晴らした。




To be continued……

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