第5話 渦巻く想い

 不思議な気分だ。身体がまるで自分のものではないように軽い。羽のように軽いという表現があるが、正しくそれだ。高揚感が身体を震わせ、戦えと心の底から何かが命じる。



 ───君にあげたその力は、月の満ち欠けで身体能力が向上するようになるものだよ。満月ならば最高潮に、新月ならば人並みに。ふふっ、まるで人狼ウェアウルフだね。



 人狼。狼男とも呼ばれるモノだ。一般的には月を見ると狼化して人を襲うらしいが、そんなものも創作上の話だ。丸いものを見て変身するのもあれば、自分の意志で変われるやつもある。所詮は作り話、なのだが……。


 ……あぁ、確かに。証明できないが、現実なのだろう。今この身に起きていることは紛れも無く事実で、俺はこの場をどうにかして切り抜けなければならない。この力を使って。


「氷兎君……!? な、なに今の!?」


「……わからない。けど……使えることは確かだと思う」


 迫ってくるバケモノ達。心の底にいるナニカは叫ぶ。戦え、戦え、と。


 ……しかし、それは無理だ。武器もなし、戦闘経験皆無、守るべき女の子がひとり。土台無理な話だ。つまり、逃げることが最適解だろう。ラノベ主人公なら、ヒロイン助けて俺スゲーするんだろうが……生憎、こちとらそんな大層なものでもない。自己保身大好きな人間なのだから。


「しかし、どうする……」


 完全に囲まれている。奴らは『勝ち』を確信しているのか、不気味な笑みを浮かべながら歩み寄って来る。この場から離脱するなんて、空を飛べないと無理だ。



 ───もう少し君がどうするのか見たかったけど……もう来たのか。案外速かったね。



 不意に脳に響いたその声のあと、突如としてバケモノたちの後列の方で大きな火が上がった。爆発ではない。単純な火なのだ。まるで意思を持つかのようにソレは燃え上がり、バケモノからバケモノへと燃え移る。


「君達、大丈夫!?」


 バケモノの群れを跳び越えて、黒いマントのようなものを着けた中背くらいの女性が現れた。片手には細いレイピアのようなものを持っており、それを空中で振って先程の火炎を操っている。


 ……バケモノの悲鳴と、嫌な匂いがたちこめる。思わず顔を逸らした。


「あ、あの……貴方は……?」


 七草さんが女性に尋ねる。しかし、七草さんの後ろから人型の奴らが襲いかかってきた。咄嗟のことで、身体は動かない。彼女に危ないと叫ぶことすらできない。


「ぎ、あぁぁぁぁッ!?」


 ……襲いかかろうとした男の額に、レイピアが突き刺さる。悲鳴をあげて倒れ伏した男の頭から血が吹き出して、辺りを赤く染めていく。敵の存在に気がついてから行動するまでが、異常なまでに速い。なんというか、手慣れていると感じた。


「……困ったね。何処にこんな数いたのかしら……」


 彼女は俺達の声には聞く耳を持たない。いや、持てないと言った方が正しいか。なにぶん包囲された状態で、360度全ての攻撃から俺達を護らねばならないのだから。


「……君、まだ動けるよね。これ、護身用に持っておきなさい」


「これは……」


 真っ黒な拳銃を渡された。先端には筒のようなものがついている。ゲームで見たことがあった。これは……サプレッサーだろう。発砲音を小さくできる部品だ。持ってみると、昔持っていたモデルガンなんかとは比べ物にならないくらい重い。


 女性は近づいてくるバケモノ達を斬り捨て、時にはどこからともなく火を出現させて近づけないようにしつつ、俺に伝えてくる。


「君達がいると動きにくいの。逃げ場を作るから、その子を連れて逃げなさい。いいね?」


「……逃げる、ですか」


 願ったり叶ったりだ。しかし、この中を逃げろと? 火を操っているように見えるこの女性に、申し訳ないけど逃げ場を作れるとは思えなかった。


「………」


 ……飛んで逃げる他ない、とさっき考えたな。この女性の人は、跳んで来たわけだ。なるほど、確かにそれならば逃げられるかもしれない。人間のスペックでは不可能だと言いたいが、こんな不思議なことが連発していたら、驚くに驚けやしない。実際何故か、あの黒いのに覆われた後から嫌に冷静になっている自分がいる。


「……七草さん、行くよ。しっかり捕まって」


「え、ちょっ氷兎君っ!?」


 七草さんをお姫様抱っこで抱えあげて、一度体を低くする。そして……クラウチングスタートのように、一気に走り出して走り幅跳びのように斜め上に向かって跳躍するッ!!


「……まさか、天然物の起源……?」


 背後からそんな言葉が聞こえてくるが、そんなことにかまけていられない。下を見れば人型のバケモノが俺らを見上げて唖然としている。気分は優越、しかし考えるとこの後が不味い。


 物理的に考えてみろ。とんでもないスピードで跳んだ物体に着地した時にかかる衝撃を。空気抵抗以外では運動エネルギーが減少しないと考えれば、横方向にかかる力は減少しないせいで、このまま着地したら間違いなくコケる!!


「うわぁ……すごいよ氷兎君ッ!! 飛んでるよ!!」


 首元にしっかり抱きついて少し楽しそうに言う彼女に、俺は言いたい。そんな脳天気なこと言ってる場合かッ!! 死を免れたと思ったらまた死の危険だよッ!! しかも今度は自業自得ときたもんだ。


 あぁ、地面が……どんどん近づいてくる……!!


「お、っとぉッ!?」


「きゃっ」


 地面に着地した途端に、前向きにとてつもない力が加わる。それをなんとか後ろ側に力をかけることで抑えることが出来た。凄いもんだな、これ……。



 ───喜んでもらえたようで何より。



 ……脳に響く笑い声を無視しながら背後を確認すると、奴らのうちの何人かが追ってきていた。あの集団から抜け出すだけで大分跳んだもんだな……。なんて、呑気なことを言ってる場合でもないか。とりあえず逃げなくちゃ。


「……上だな」


「えぇ、また跳ぶの!?」


 見上げた先にあったのは民家の屋根だ。屋根伝いに走って逃げれば、奴らから逃げ切ることが出来るだろう。


 ……いやなに、忍者みたいに屋根走ってみたいとか思ってたわけじゃないよ。そう、これは逃走するための致し方ないルートなのだ。心の中でそう言い聞かせながら塀に飛び乗り、そこから更に屋根に登ってまた逃走を始める。腕の中では七草さんが、浮遊感を感じるのが楽しいのか笑っていた。


「凄いんだね、氷兎君!! こんなに跳べるんだ!!」


「いや……俺の力ではないって言うか……」


 複雑なものだ。しかし、彼女の笑顔の前ではそんなもの気にすることなく消えていく。まるで彼女の笑顔は邪念を祓うニフラムだ。アカンそれじゃ俺も光の彼方に消え去る……。


「……しっかし、これ迷惑だよなぁ」


 走って跳んで、屋根を伝っていく。当然、強い力は音を生む。屋根を走る音も、着地する音も無いわけじゃない。おそらく家の中にいる人驚いているだろうなぁ……。


「……見えた」


 自宅が見えた。今となっては愛してやまない我が家だ。あと少しで安全な場所に辿り着ける。


 ……が、何か変だ。ここからでも見える。なぜ、玄関の扉が開いているんだ……? 俺が外に出た時に開けた? いやでも、俺にその記憶はない。記憶がないだけで、開けて出ていった可能性もあるが……。


「氷兎君の家? なんか、綺麗だね」


「あ、あぁ……まぁ、そうだな」


 ……おかしい。嫌な予感がする。とてつもなく、抗いようのない不思議な感覚が胸の中で渦巻いている。行かなくてはならないという思いと、行ってはならないという意識が頭の中でグルグルと回っていた。


「……七草さん。とりあえず下ろすよ」


 家の前で飛び降りて、七草さんを下ろした。何やら彼女が少しだけ悲しそうな顔をしたが、今はそんなことに構っていられるほど内心穏やかではない。


「……七草さん、懐中電灯借りていい?」


「うん、いいよ」


「ありがとう」


 彼女に借りた懐中電灯を使って、玄関から中を照らした。靴が一人分多い。菜沙が来ている……? しかもこんな夜中に。それに、やけに靴が乱雑になっている……。


 ……何かが壁を叩く音が聞こえる。二階からだ。靴を脱ぐことも忘れ、俺と七草さんは中に入っていく。リビングに続く扉を開けて……。



 ……その凄惨たる光景を見てしまった。



「……嘘、だろう……?」


「……なに、これ……!?」


 赤だ。朱だ。紅だ。その部屋のあちこちにまるで絵の具をぶちまけたかのように、それらは広がっていた。そして、その広がる中心……そこには、昔から自分を育ててくれた父と母が三又に別れた槍のような何かに貫かれて死んでいた。


「なんだよ、これ……。は、はは……夢、か?」


 夢だよなぁ……。夢だと言ってくれ。嘘だ。嘘だッ!!


 こんなのありえない!! ありえるわけがない!! 俺は悪夢を見ているだけだ、こんなの、目が覚めてみれば何もかも無くなって、次の日にはいつものように記憶から消え去っている!!


「氷兎君、しっかりして!!」


 俺の前に回り込んだ七草さんが、俺の顔を両手で包んで瞳をじっと見つめて来る。


「氷兎君……落ち着こう、ね?」


 落ち着く……? 落ち着くだと?


「……そんなこと、出来るわけないだろッ。誰だ、誰が俺の両親を殺したッ!?」


 叫んだ。その声が家中に響いた後に、二階から悲鳴のような声が聞こえてきた。



 ……ひーくんッ!! ひーくん、お願い助けて!! ひーくんっ!!



「この声……菜沙ちゃん!?」


「っ、くそッ!!」


 階段を駆け上がる。真っ暗なその闇の中をただ進む。そして、二階にある自室の前には……三人の男が扉を何度も強く叩いていた。その身体には、真っ赤な血がついている。奴らは自分を照らし出した懐中電灯に気が付き、俺を発見した。


「おい、例のヤツだ。逃げ切ったのか……?」


「そんな馬鹿な……」


 なんて言葉が聞こえてくる。あぁ……確信した。コイツらもだ。バケモノだ。人の皮をかぶった……あのバケモノ深きものどもだ。


「ッ……」


 無言で先程渡された黒い拳銃を向ける。正しい構えなんて知らない。ただ、懐中電灯と一緒にその銃を両手で奴らに向けた。


「……死ねよ、バケモノ」


 引き金を引いた。ゲームで聞いたような発砲音は出なかったけど……撃った弾丸は、確かに一番前にいた男の腹部に直撃した。小さな悲鳴をあげてその男が蹲る。


「お、お前なんで銃なんか……!?」


「……死ねよ、人の親を殺して……子供まで、いらなくなったら処分して……。お前ら、バケモノなんか……」


 今度は二発続けて発砲した。一発は、腹を抑えて蹲っていた男の頭に。もう一発はもう一人の男の肩に。反動なんてものを力づくで押さえつけ、再度引き金を引く。


「ッ、あ゛ぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 叫んだ。まるで獣のように。そして引き金を何度も何度も連続で引き続ける。銃口から弾丸が数発飛び出していき、弾丸は男達の身体を無慈悲にも貫いていく。


「──────ッ!!」


 もはや怒声とも言えないその声は止まることなく叫ばれ続け、引き金は銃が弾切れを知らせるカチッという音がなろうとも引かれ続けた。


「氷兎君ッ!! 弾切れだし、皆もう死んでる!! お願いだから落ち着いて!!」


「……あ、ぁ……?」


 背後から抱きしめられたその暖かさに、ようやく声は止まった。目の前に転がっている肉塊はもはや動く素振りもない。


「氷兎君……もう、良いの……。もう、終わってるから……」


 俺を抱きしめるその腕は、身体は……震えていた。それが、こんなことをした俺に対しての恐怖なのか、こんな非現実に対する恐怖なのか。それとも人が死んだことに対する恐怖なのか。俺にはわからない。


 ……わかるのは、銃を撃ったという感覚と、人を殺したという感覚と表現し難い罪悪感。そして、家族を殺されたという怒りと虚無にも似た何か。


 あぁ、形容し難い。なんなんだ、これは……。訳がわからない……。頭が、どうにかなりそうだ。


「……氷兎君。菜沙ちゃん、探そう? それで……ここから離れようよ」


「……あぁ。そう、だな……」


 彼女に手を引かれながら、俺は自室へと歩き出した。足元には肉塊が転がっていて、今にも動き出しそうで怖い。しかし、それらは動き出すことなく、自分の部屋の扉の前に辿り着いた。


「……菜沙、いる?」


 そう、声をかけた。すると中からは喜びとも悲鳴ともとれるそんな声で返事が返ってきた。


「ひーくんっ!? 本当に、ひーくんなの!?」


「あぁ……。扉を、開けてくれ」


「うんっ」


 何か重たいものを動かす音が聞こえる。おそらく、棚でバリケードでも作っていたのだろう。でなければこんな大人達の力ではこじ開けられてしまうだろうから。


 ……少し待つと、その扉はゆっくりと開かれた。中にいる菜沙が俺を視認すると、勢い良く開いて抱きついてくる。中で泣いていたのか、その顔には涙の跡が残っていて、誤魔化しているつもりなのか何度も身体に顔を擦りつけていた。


「よかった……ひーくん、助けに来てくれた……」


「……菜沙……」


 抱きついていた彼女は、下に倒れている死体を見て驚いた。言い訳する気もない。確かに明確な殺意をもって、俺が殺したのだ。そう、後悔はない。ない、けど……言い知れぬ不可解な感情だけが心の中を埋めつくしていた。そんな俺のことを見上げて、菜沙が尋ねてくる。


「これ……ひーくんが、やったの……?」


「……あぁ」


「……そっか」


 彼女はその後何も言わずに、ただ俺達を自室へと入れて扉を閉めた。そうしてようやく休める場所に来れた俺達は、床に座って休憩し始める。怖い思いをしたせいで俺から離れたくないのか、抱きついたままの菜沙に俺は問いかけた。


「……俺は、人殺しだ。奴らが、人ではないのだとしても、俺は殺した……なのに、お前は俺に何も言わないのか……?」


「……だって、助けてくれたから。それに、仕方の無いことでもあった。そうじゃないの?」


「……だが……」


 やるせない気持ちだけが、渦巻いていた。どうしようもないこの想い、いっそ否定された方が楽になれる気がする。お前は殺人者だって言われた方が、もっと何も考えずにいられると思った。それが、その場しのぎの逃げの手段であっても。


 そんな俺を見かねてか、菜沙は小さな声でポツポツと話し始めた。それは、ついさっきの出来事のようだ。


「……ひーくんの家から変な音が聞こえたから、見てみたら玄関が開いてて……それで、リビングにね、変な人たちがいてね……ひーくんのお父さんとお母さんのことを……。私、怖くなって悲鳴をあげちゃって、逃げようと思ったんだけど玄関にも人がいてね、仕方ないからひーくんの部屋に逃げたの」


 彼女は身体を震わせながら話を続ける。俺の服をぎゅっと掴みながら、耐えるように声を絞り出した。


「怖くて、助けも呼べなくて……けどね、そんな時にひーくんが来てくれたんだよ。ひーくんの声が聞こえて、幻聴じゃないかって疑ったけど……うん。ちゃんと助けてくれた」


 彼女は服を掴んだまま、俺を見上げて少しだけ微笑んだ。その目が、未だに揺れ動く俺の目を見据えているようだった。


「助けてくれて、ありがとう……ひーくん」


 ……どうにもならない気持ちがまだあって。捌け口も何もなくて。どうしようもなくて……。


 ……けど、彼女のその言葉と微笑みに、少なからず救われた気がした。



To be continued……

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