第4話 バケモノ
かなり昔の事なんだが、とても現実に近い夢を見た。いや、夢ではなく実際現実だったわけだけど。ともかく、それのせいでこうなったとも言える。
……アンタがやったのか。なるほど、全てはアンタの掌の上だったってことか?
いつから俺はアンタにマークされていたのやら。だとすると、俺は知らないうちにとんでもない奴とエンカウントしていたというわけか。
レベル1で魔王に挑むとか、そんなもんじゃない。赤子が魔王に挑むようなものだ。今でもアンタに勝てる気は微塵もしない。元より、人が勝てる存在じゃないしな。
歯向かはないのか、だと? それをやったらアンタ、アイツを殺すじゃないか。そんなことするわけが無い。アンタとの契約を反故する気はないよ。俺は、アンタの
言っただろう。アンタが世界を敵に回せと言うなら、俺はそのとおりにする他ない。目的達成の為に、俺は礎となろう。こんな世界、クソ喰らえだ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「………」
付近は夜の闇に包まれ、虫のさざめきが聞こえるだけの静かな夜だった。静寂に包まれた、と言えばまだいい感じに聞こえるかもしれないが、これはあまりにも異常だった。まるで現実ではないようで、でも俺は確かにここに立っている。身体の感覚もあるし、腕をつねれば痛みが生じた。
「……夢、じゃないのか」
そう呟く俺の目の前に建っているのは、明かりの消えた潮風孤児院。堀に書かれた絵が、とてつもなく不気味に見えた。昼間の明かりでは気が付かなかったが、海の中に描かれた二足の生物は、目の部分が薄らと赤く塗られている。
───行ってみなよ。
そんな声が聞こえた。女性のような声だ。やはり夢か、こんな不可解な現象が現実で起こるわけがない。第一、俺はさっき自室で布団にくるまって眠ったはずなのだから。こんな場所に立っているなんて夢以外の何があるというのか。ただ、寝巻きのままなのがそこそこリアルに感じさせる。まるでそのまま連れてこられたみたいだ。
───証明できる?
その言葉に息を飲んだ。何故その台詞を俺に言えるのか。そういった話をしたことがあるのは菜沙だけだ。なら、この声は菜沙か?
いや、ない。菜沙はこんな声じゃない。そもそも、聞こえる声自体が一人分ではない。若い女性から、老婆のような低い声までが混ざったように聞こえる。その声が聞こえると、鳥肌がたって背中がぞわぞわと落ち着かない。そんな自分を風が後押しするように吹き抜けていく。まるで逃げ道を塞がれたかのような感覚に陥った。
───そう、それでいい。
気がつけば足は前へと歩み出していた。靴なんて履いてない。おかげで足に石が食い込んで歩く度に変な挙動になってしまう。しかしそれでも歩みを止めずに、孤児院の敷地に入っていった。
「………」
夢か、夢ではないのか、それは今の俺には証明できない。なにせ情報も、証拠も何もかもが足りなすぎる。身体の感覚があって、痛覚もあるのだから現実だと思うのだが、それにしてはこの現状は現実味がなさすぎる。今の俺に出来るのは、この声に促されるままに孤児院の中に入っていくということだけだ。
───気をつけなよ。タイムリミットは案外近くにまで迫ってきている。聞こえるかい、奴らの声が。
……言われるがままに耳を澄ましてみた。風で揺れる木と虫のさざめき、そして強く打ちつけられる波の音が聞こえてくる。いや、よくよく聞き分ければ不自然な音が波の音に紛れていた。この音は……海で泳ぐ音だろうか。強く水を叩きつけるような、そんな音だ。
───見つかったら、ゲームオーバーだよ。君の勝利条件は、情報収集を完遂すること。簡単なことでしょう?
「……ゲーム感覚かよ」
姿の見えない相手に悪態をつく。こうして突っ立っていても何も始まらない。とりあえず声の言うことを真に受けるのなら、時間をかけ過ぎると何かが来るんだろう。恐らく、海で泳いでいる何かが。それに見つかると負け。敗北条件はわかりやすいが、勝利条件に至ってはその限りではない。情報収集を完遂することとは、一体何の情報なのだろうか。
「……暗い。電気も何もないな、ここ」
不安な心を宥めるためか。独り言が増えていく。孤児院の中は真っ暗だった。廊下にはいくつも部屋が面しており、その他にも大きな食堂や厨房がある。孤児の部屋を覗くと、子供達がすやすやと眠っていた。
(……なんだ、この扉?)
館内を歩き回っていると、厳重そうな扉があり、立ち入り禁止の札がかけてあった。鍵はかかっていないが、子供の力では開かないような、とても重い扉だった。触って見た感じだと、まるで鉄か何かで作られているみたいだ。
……どうしようか迷ったが、このままでいても仕方が無いと思い、グッと力を入れて思いっきり引いてみる。ギィィッと音をたてて扉は開いた。部屋の中は更に薄暗く、細部まではわからないが、本棚が多いことと机と電気スタンドから書斎のようなものだと判断した。ぎっしり本が並べられた本棚は、少し埃っぽい。目を凝らして本を見てみれば、タイトルの多くは英語だった。読めない言語もある。
(……なんだ、これ)
机の上に置かれた紙の束のひとつに目がいった。電気スタンドに電源を入れ、その紙に書かれていることが理解出来た。書かれている内容は、『18歳 数2』『15歳 数1』『質 良好』『廃棄 7』
「……年齢に質、廃棄……?」
───机の三番目の引き出しの板を外してみなよ。
疑問に思いながらも、三番目の引き出しを開いた。小物と紙束がぎっしり詰められており、それらを取り除くと明らかに机の色とは違う板が敷いてある。爪を間に入れて取り外すと、そこには写真が添付された一枚の紙切れがあった。
(deep ones……深き、ものども?)
紙には名前が書かれていた。深きものども、なんていう訳の分からない名前が。そしてその紙に付属している写真に映る影は、孤児院の堀に書かれていたものと似ていた。その影は二足歩行で、ちょうど海から上がろうとしている様子を写したものだ。少しボヤけているが、その顔はまるでカエルのようで、一見人に似たような個体もいる。そして……いつか見た変な顔の女性も映っていた。
「………」
……概ね、そんなことが書かれていた。
「……いや、まさか……」
苦笑いを浮かべて、バカバカしいと吐き捨てた。そんなことはないだろう。これは、アレだ。黒歴史ノートか何かだ。恥ずかしいからここに隠していたんだろう。いやぁ、流石の俺もこんなもの書いたら隠したくなるどころか火をつけて証拠隠滅したくなるな。にしても、誰だよこんな写真合成した奴……最近の合成技術ってこんなことできるのか。
───いや、まさか。そんなことはないだろう。
───だってここは夢だ。そんなことはありえない。
───タチの悪い夢だなぁ。早く醒めないかな。
───なんて、考えてるよね?
───じゃあ証拠は? これが夢だと断言出来るものは?
───これが現実だと判明できるものは?
───なにもないでしょ?
「…………」
───さっきの紙に書かれていたのは、連れてかれた
───廃棄は、使い物にならなくなったんだろうね。
「……なんなんだよ、これ」
響く声を聞いていると、嫌悪感が身体を満たしていった。気がつけば持っていた紙に皺が出来るくらいに、手でギュッと掴んでいる。理解できない。いや、理解したくない。これは夢だ。そうだ、早くこんな所から出なくちゃ。夢から覚めて、家に帰らなきゃ。
───良いの? 七草ちゃん、ヤラれちゃうよ?
……その言葉を聞いて、踏みとどまる。彼女の年齢は、17歳。連れていかれた年齢は、15歳〜18歳と妊娠できる年齢なら誰でもいいといった感じだ。つまり、七草さんも連れていかれる可能性がある、ということだ。
……この情報が本当なら、の話だけど。加えて言うなら、この世界が現実であることも条件だ。
───連れて逃げなくていいの?
脳内に響く声を聞きながら、部屋を元の状態にして後にした。扉もしっかりと締め、これで入った形跡はわからなくなっただろう。
……海の方で、何かが泳ぐ音が強くなっている気がする。恐らく、今海に向かえば見ることが出来るだろう。あの写真のバケモノが。少し見てみたい気もするが、声の通りに従うのなら、見つかった段階でアウトなんだろう。
───夢であるなら杞憂でよし、現実ならばVサイン。
───ほら、アイツらが帰ってくる前に逃げないと。
「………」
確かに、その言葉には頷ける部分があった。夢であったことは現実ではなくなる。けど、そうすることが最善手であったなら? 誰かを助けられる行為であったなら? もし、それが現実だったら? 夢だと思ってやったことが現実で、それで人が救えたなら万々歳だろう。
そうだ、これは夢だ。なら俺は、いつものように……魔王を倒す勇者にならなければ。そして、お姫様を助けて夢から覚めるのだ。
───そう、それでいい。
……酷い悪寒がした。自分がとても小さくなった気がして、その小さな世界で、とてつもなく巨大な何かが
変な錯覚が消えた今でもその声が聞こえる。アハハハハッと、まるで腹を抱えて笑うような、愉しむような声が。反射的に耳を塞いだが、その声はまるで脳に直接響くかのように聞こえてくる。
「……なんなんだよ……」
悪態をつきながらも、館内を散策する。どうやらこの孤児院は年齢でおおまかに分けられているようなので、その年の層を探せばすぐ見つかるだろう。いずれにしても急がなくては。
「……誰ッ!?」
「うおっ……」
歩き回っていて突然目の前が白くなったかと思えば、女の子……七草さんの声が聞こえてきた。必死にその視界を遮る光から目を背けて彼女に自分の名前を伝える。彼女は音をたてることなくこちらに近づいてきた。そういえば、体術を使う人は音をたてずに歩いたりできるんだったか。どこかでそんな話を聞いたことがある。
「氷兎君……? なんで、ここにいるの?」
彼女は俺に向かって懐中電灯の光を向けたまま尋ねてくる。俺は、なるべく声を小さくして答えた。
「それは俺も聞きたい……ってか、なんで七草さん出歩いてるのさ」
「なんでって……なんか、変な音が聞こえたから……」
なるほど、気になって見に来たわけか。懐中電灯のおかげで視界が確保でき、更に近くに知人がいるおかげか大分精神的に安定してきた。未だ心臓はうるさいくらい波打てど、身体が恐怖で震える状態ではなくなった。
「俺は……気がついたらここにいたんだ。それで、その……」
……どうしよう。なんて説明すればいい? バケモノがいるんだ、早く逃げよう? いや、そんな説明信じてもらえないだろう。
───そろそろ来るよ。
脳に響いた声にハッとなり、耳を澄ますと濡れた長靴で歩くような、それか沼を無理矢理歩くような、そんな音が聞こえてきた。どんどん下の海から近づいてくる。もう、時間がないことは明白だ。すぐにでもここから逃げ出さなくては……。
「七草さん、説明は後でするからとりあえず逃げよう。ここにいるのは危険だ」
「危険? 何言ってるの、氷兎君?」
「良いから、行くよっ!」
「ひょ、氷兎君!?」
彼女の手を取って走り出す。廊下を抜け、玄関で彼女の靴と誰のかはわからない靴を取り出して履き替え、すぐさま外に飛び出した。周りを見回してみても、特に人影のようなものは見当たらない。
「氷兎君、一体どうしたの……?」
孤児院から遠ざかろうとすると、彼女は立ち止まってそう尋ねてくる。逃げようにも彼女が動かなくては逃げ出せない。まぁ、確かにあの孤児院は彼女の家だ。疑問があったとしても、逃げようとは思わないだろう。
「……信じてもらえないかもしれないけど、バケモノがいるんだ。あの孤児院に」
「……バケモノ……?」
彼女が俯いてしまう。流石に言い方が悪かったか……いや、これ以上どう奴らを例えればいい? 怪物、地球外生命体、悪魔。それぐらいしか思いつかない。いずれにしても、簡単に例えられるのは、バケモノだろう。
「魚みたいなバケモノが……..ッ!!」
立ち止まっている七草さんの後ろ側。今俺達が逃げてきた方から何かが跳ねるようにして移動してきている。更に海も多くの何かが泳ぐ音が聞こえてきた。バレたのか? いや、バレる様なヘマはしてないはず。だとしたら、単純に遅すぎただけか。
「逃げるところをちょうど見られたか……」
「な、なにあれ!? あれが氷兎君の言ってた奴……!?」
「とりあえず逃げるぞッ!!」
七草さんの手を取って再び走り出す。跳ねて追って来る連中はどうやらスピード自体は遅いので追いつかれる心配はないだろう。だが、問題は真横の海を泳いでいる連中だ。波が道路に来ないように高くなっているとはいえ、相手は例えるならば魚人のようなものだ。海から高く飛び上がって地面に着地することもできるかもしれない。
「クソッ……どこまで逃げればいい……」
とりあえず海から離れなくては。それが第一優先だ。後ろを跳ねて追って来る連中は、どいつもこいつも気分を害する顔をしており、人らしい奴は見当たらない。遠目からでも、見ただけで鳥肌がたつレベルだ。嫌悪感に顔を歪めながらも、彼女の手を取って逃げ続ける。
「……家まで走って逃げれるのか?」
住宅地まで逃げてしまえば奴らは追ってこれないだろう。なにせ、海から遠い上に人に見られれば奴らは活動できないはずだ。見つかれば世間は奴らの存在を公にするかもしれない。
……いや、待てよ。ならどうして人に近い個体が追いかけてこない? なぜ魚人顔の連中に俺達を追わせる必要がある?
「……なっ!?」
あと少しで住宅地といったところで、何やらその住宅地の方から何人もの人が集まってきた。各々手に何かしらの武器を持っていて、草刈鎌だったり農具だったりと殺傷性が高いものばかりだ。それを見れば嫌でもわかる。俺達を助けに来た人なんかではない。
「氷兎君、人がいるよ!! 助けてもらおうよ!!」
「いや、待て……あれは……」
……奴らもだ。あの目の前にいる人達は、深きものどもだ。間違いない。そもそも、人の顔をしている奴らが孤児院にいる必要は無い。住宅地にでも住まわせて人のように生きればいいだろう。つまり……あの群れなす人達は、人の顔をしたバケモノだ。
足を止めて他の逃げ道を探すも、どの道にも奴らがいる。海から何体かバケモノが上がってきて、後ろには下がれない。前にも進めない。逃げ場が完全になくなってしまった。それでも諦めずに周囲を見回すが……なにも、ない。立ち止まった俺を不思議に思ったのか、七草さんが尋ねてくる。
「氷兎君……? 助けてもらわないの?」
「……違うよ、七草さん。あの人達も、同じだ。完全に囲まれた」
「……えっ?」
彼女は人々を見て驚愕している。そりゃそうだ。俺だって思いたくない。まさか近くで一緒に生活していた人が、人ではなくバケモノだったなんて。
「……氷兎君。私、行くね」
掴んでいた手をするりと抜けて、彼女が前に歩いていく。何を馬鹿なことを。俺は必死に彼女を呼び止めた。
「行くって……お前何言ってんだよ!! 殺されるかもしれねんだぞ!!」
「……私なら、大丈夫だから。ほら、知ってるでしょ? 私は強いから……氷兎君を逃がすだけの時間なら作れるよ」
だから逃げて、と彼女は言った。泣きそうな顔で。彼女の顔を見て、胸がキュッと苦しくなった。その泣きそうな顔を、見たくない。彼女には、あの日見た純粋な笑顔のままでいてほしい。
……だが、俺に何が出来る? この状況を打破できる何かが、俺にあるとでも言うのか? いや、ない。バケモノと戦う勇気も、喧嘩が強いわけでもない。
「……いや……」
ひとつだけ、あった。俺に出来ることはないけど、あの声の人物なら何かできるかもしれない。この状況を改善できるような情報か何かを持っているかもしれない。もう、藁をも掴むような心境だった。
……頼む。助けてくれ。 心の中で叫んだ。 彼女を守りたいんだ。彼女の笑顔を壊したくないんだ。なんだっていい、この状況を変えてくれ。アンタならなにか出来るんだろう!?
───藁にもすがる思いって感じだね。中々、面白いシチュエーションじゃないか。援軍もなし、頼れる者もなし。逃げ場もなし。ふふふっ……必死そうだね。なりふり構わず、私に助けを求めるんだから。
その声は、こんな状況でも愉しそうに声を弾ませていた。その声に苛立ちが募る。何が可笑しい。どこが笑えるのだ。こんな絶体絶命のような状況のどこに笑える要素があるんだ。
───愚か者は好きだよ。禁断の果実を食べてしまった彼らのように、君もソレを手に取ってみる? 責任は取らないし、今後何が起ころうと知ったことでもないけど。
……周りを見回すと、本当にすぐ側にまで奴らは迫ってきていた。もう迷っている暇はない。俺は、声に向かって叫んだ。
……禁断の果実だろうが何だろうが、食ってやる!! だから、俺に彼女を助けさせてくれ!! っと。
その返答を聞いた声は高らかに、満足そうに笑った。
───いいねいいね、それでこそヒトらしい!! その意地汚さと生への執着こそ、ヒトがヒト足り得るモノだ!! さぁ、君のその想いに免じて私から君へ力を貸してあげるよ。せいぜい……私を愉しませてちょうだい。
声が聞こえ終わると同時に、足下から何か黒いものがせり上がってくる。まるで液体のようなそれは、俺の身体を飲み込むと溶けるように消えていった。その液体の中から出てきた俺は……別に身体が変わっていたりすることもなく、特に何も感じない。ただ……
……無性に空に向かって叫びたい気分だった。
自分の真上では、満月に限りなく近い月が煌々と輝いている。まるで、新たなバケモノを祝福するかのように。
To be continued……
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