憧憬

 羨ましいなぁ。

 私が誰かを羨むなんてことはそうそうないと思っていたのに。


 その綺麗な指先が、揃って書類を纏めるのを見るたびに、不貞な妄想が首をもたげる。の左手薬指のリングは、彼女――ひら

 希実のぞみが夜光蝶になるベッドの上では外されて、ベッドサイドに置かれるに違いない。誰にでも分け隔てなく浮かべる笑顔は、やはり夜には艶美に乱れ、麗しの唇からは甘ったるい愛の言葉が漏れるに違いない。

 ああ、指を彩るリングには、最早魔除けの体を成さず。その唇は、私ではない誰かに捧げられる。刹那に敗北、拭えぬ劣等感……私がそんなポエムを心の中でしたためている間にも、彼女はてきぱきと指示を与えまた指示を乞い、今日も「デキる」キャリアウーマンとしての地位を確固たるものにしていく。

 希実には恋人がいる。本人は否定しているので、単なる邪推に過ぎない。それでも、その噂は社内に浸透している。彼女のためを思うのならば、その噂を断ち切りたいところだが……いかんせん、気になる。

 希実の立ち居振る舞いに色気が増した、というのは、私にもわかる。笑う回数も以前にも増して、ただそれだけでしかないのだけれど、それでも明確に魅力が増した。なればこそ、その要因を突き止めたいと願うのは、さほどおかしなことでもないだろう。

 ――私は、その恋人が羨ましくて仕方がない。


「――さん?」

 休日、道を歩いていると、背後から声をかけられた。平田希実の声音を私が聞き間違う筈もなく、私は声が上擦らないように必死で抑えながら、はい、と振り向いた。

「やっぱり! こんなとこで会うなんてぐーぜん!」

 プライベートでも彼女は花咲くような明るさだ。笑顔は自然で、柔和。私は心臓を口から飛び出させそうになりながら、そうですね、とかなんとか言った。

 ――希実の傍らに、彼女より二回りほど小さい、中学生ほどに見える女の子がいた。その子はとても大人しく、笑顔だけを浮かべていた。

 まさか、と思う。でも、2人ともおしゃれな服装をしているし、何より滲み出るのは、いかにも幸福そうなオーラ。

 他愛ない世間話をしつつ、訊くべきか訊かざるべきか葛藤する。それを知ってか知らずか、希実は女の子の肩を抱き寄せた。

「紹介が遅れたね、この子は――」

「……あの、この人の、彼女……です」

 女の子は、はにかみながら、でもはっきりと宣言した。透き通るような声だった。

 希実は恥ずかしそうにしながらも、どこか満足げで。


 ああ、いいなあ。羨ましいなぁと、私は思ってしまう。


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