亜空間炬燵 Ⅱ

「何はともあれ、対策は打たねばならん」

「でしょうね」

 西脇にしわきさんも消えているわけだし。わたしは彼との思い出を思い返した。思えば彼は真面目で研究熱心で、いつも思い通りに実験が進まなかったわたしを励ましてくれた。思い込みが激しいのが玉に瑕だったが、彼が人一倍他人想いなのは誰の目にも明らかだった。彼を取り戻したい。城崎きのさき教授だって、思いは同じの筈だ。

 しかし敵の内情はわからない。布団の下が亜空間になっている炬燵なんて聞いたこともない。そもそもこの研究室は薬学分野だ。亜空間を理論的に説明できるかどうかも怪しい。教授とわたしは頭を捻った。ただ頭を捻っているだけではどうしようもないので、レコードプレーヤーで古いロックを聴きながら頭を捻った。何も浮かんでこなかったので、今度は談笑しながらご飯を食べた。やはり何も浮かんでこなかった。


「……わたしが行くしかないということでしょうか」

「……そうなるな」

 わたしと教授が結論を出した頃には、窓の外の陽はとうに傾きかけていた。亜空間…というのがどのようなものかはわからないが、文献によれば一般相対性理論が通じない場所であるらしい。そんな情報ではどうにもならないが。物理法則があまりアテにならないということなのだろう。強敵だ。


「…では不肖、丹波たんば理佳りか。西脇先輩の救出に向かいたいと思います」

「うむ…!」

 城崎教授は頷いた。その手にはロープが握られ、そしてその先はわたしの腰に巻き付いている。命綱だ。齢63歳、平均よりも随分小柄な教授が果たしてわたしの亜空間探索に耐えられるのかはわからなかったが、この研究室で唯一、結果らしい結果を残している西脇さんを失うわけにはいかなかったのだ。

 わたしはクラウチングスタートの姿勢を取った。狭い研究室だが、少なくともわたしが全速力に達するまでの助走区間くらいは確保できるだろう。

「――教授」

「……何かね、丹波くん」

「今まで……ありがとうございましたッ」

 言うが早いか、わたしは地面を蹴って駆けだした! 行く先には炬燵。先輩を飲み込んだ、忌まわしき炬燵!!

「うおおおおおおおおッ」

 布団直前、受け身、スライディング! わたしの体重を受け止め、布団は口を開いた……瞬間、炬燵にあるまじき浮遊感!

「きゃッ――」

 それは、宇宙的恐怖。自分が自分でなくなってしまうような、得体の知れない根源的畏怖の感情……。

 それらが過ぎ去ったとき、わたしはに立っていた。

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